アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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西洋舞台演劇史素描・9 アリアドネ・アーカイブスより

西洋舞台演劇史素描・9

2011-08-01 22:35:24

テーマ:映画と演劇

10.小津映画――銀幕の不思議な輝き

 

 二千数百年に渡る演劇空間史の掉尾を小津安二郎の映画を語ることで語り終わり語り納めようとすることは適当だろうか。一口に小津と云っても戦前と戦後の映画があり、晩年の二三作を除いてはモノクロの映画である。戦後の小市民の哀感を描いたという小津映画は内容的にも技術的にも映画産業の最盛期を代表するものとは言い難い。しかし小津映画の最高峰をなす“東京物語”と“麦秋”においては、人と人との交わりの中に成立する演劇的空間の長い歴史における一つの特殊な到達点を示していると考えられるのである。

 “東京物語”も“麦秋”も戦争の記憶が次第に遠ざかり、日常的な時間が支配的な意味を帯びて来つつある東京と云う都市空間の物語である。“東京物語”では東京と云う名の都市空間は戦後を引きずる記憶の重さゆえに老夫婦の入場を拒み、老婆は故郷で寂しく死んでいき、老人は一人残される。“麦秋”においては永遠の悔いとしての記憶は若い娘に寛容に微笑みかけ次第に日常的時間を取り戻して行くであろうことを暗示して終わる。小津は日本人を代表して喪と再生の儀式を銀幕の上に代行していたことになる。わたしたちが小津映画を見るたびごとに受ける感謝の気持ちは、実は小津映画が戦後において日本人の生と死の実存の様式を代行してくれたことによる。

 小津映画の重要な技法としてのローアングルとは、対象への敬意がもたらしたものであった。それは戦争で亡くなった霊魂に対するものであり、また自分たちに代わって戦後を支える伸びゆく若き世代に対する賛歌でもあった。その賛歌の中心には云うまでもなく東京・丸の内と銀座の空間があった。人々は東京をこよなく愛し、去りがたく“(色々あるけど)東京はいいところだぞ!”と云って惜別の辞を述べるのである。転勤のある朝去りゆく同僚が乗った電車を社窓から見送る、ここに後期の小津映画の一期一会とも云えるものがある。

 小津映画が家族を描いた風俗映画の外観にも関わらず文化史上に描きくわえたものとはなんだったろうか。小津映画は人が立ち去った後の廊下や戸外の洗濯物のはためきの中に非常とも云える超越性の美学を演出する。小津映画における典型性は、日常些事の折節を演出する冠婚葬祭を描く場面であろう。その当時の日本人の風習にしたがって彼らは整列して記念写真を撮る。レンズを通して見るものとみられるものの世界が絶対的に分離され、それは生と死の世界を分けるアナロジーともなる。“親密なるものとしての空間”としてのその反対極における映画芸術と云う名の疎外態芸術の行きつく先を、懐かしく哀しく、それでいて埋めることのできない心の疼きが映画芸術と云う固有の演劇的様式において到達した段階を、われわれは知ることが出来るのである。