アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅰ アリアドネ・アーカイブスより

演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅰ

2011-02-04 07:03:36

テーマ:絵画と建築

概   要

 

1.はじめに

2.古典古代期のギリシア的演劇空間

3.コンウォールの中世イギリスの円形舞台から野外劇へ

4.大劇場の成立からバイロイトの祝祭歌劇場の演劇空間へ

5.ワグナー歌劇から映画芸術の誕生へ

6.おわりに

 

       劇場空間のなかで観客と演奏者とが、通常プロセニアムアーチと呼ばれる門型の額縁を介して対面する近‐現代の鑑賞の形式はいつの世も不変の、唯一の芸術鑑賞のスタイルなのであろうか。

 主‐客の論理的対立と云う近代主義的な認知構造とパラレルな関係にある近‐現代の演劇スタイルの起源を求めて、ギリシアの円形劇場、中世イギリスの野外劇や教訓劇、さらに私たちの鑑賞形式を根底のところで規定し、完成態として一世を風靡することになるバイロイト祝祭歌劇場におけるワグナーの試みについて触れながら、やがて20世紀に至って代表的でもあれば固有な芸術の一形式として演劇的空間にせり出してくる映画芸術の、現代と呼ばれる時代に占めるその象徴的な役割を文明論的に存在論的に問う。

   20世紀における映画芸術の成立を、主‐客が絶対的に対立する認知の絶対的な疎外態として、主‐客の相互疎外の完成系としてとらえ、そこから如何にして”親密なる空間”としてのギリシア古典古代期のオルケストラやコロスがありえたかの本源的な意味をとらえかえし、そこにおいてこそ初めて人間が人間でありうる“場”としての演劇の存在の意義を問う。

   演劇!諸芸術の王道としての演劇とは、ソクラテスニーチェが正反対の立場から見ぬいていたように恒久不変の絶対空間ではなく、流転し現成する“時制”をもった空間なのである。

 

 

 

1.はじめに

 

 博多座は日本の伝統でき古典芸能の一つである歌舞伎の公演施設として地方都市への文化の保存と振興を期して建設されたが、ミュージカルやコンサート、演劇等や演舞等多様な目的に対応できる、最新機能を生かした多目的ホールである。舞台から見渡すことのできる客席の空間的な広がりと解放感は、いまは客席の椅子に隠れて見えないオーケストラボックスを始めとする花道、脇花道、奈落やセリ、廻り舞台等の舞台設備と諸機構を始め、それを内外から内部の舞台構造まで見学するバックステージツアーに参加すると、まるで最新鋭の航空母艦かメカニズムに立ち会っているような気持ちが去来し、伝統的な古典芸能の幾つかに携わっているのだという感覚を一瞬忘れてしまいそうである。

去年は客席から一般の観客の一人として、今年は立場ところを変えて大学院の授業企画の一環としてツアーの一員としてステージ上という特権的な場所に立たせてもらっているのだが、ちょうどこの二年間の勉学に勤しんだ時間が、まるで一枚の透明な鏡を隔てて向かい合った二人の自分自身が対面しているようで、不思議な感慨に襲われるのである。むしろ私の意識は古典芸能よりも現在研究しているギリシア悲劇や劇場史の影響の方に強く吸引されていて、演歌と演芸が幕を降ろして間もない、紫雲が霞み漂う舞台上から遥かにうち眺められるプロセニアムの彼方の雛壇状の深紅の客席が、まるでエピダウロスの円形劇場かパッラディオの設計になるヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ、さらにはメトロポリタンやスカラ座等と云った近代を代表する歌劇場の馬蹄状のボックス席に二重に重なって見えたのは、昨夜の夜なべ仕事と、今日の演舞劇が果てて間もない劇場の興奮消えやらぬ人口の紫雲の名残りとが、いまだ後片付けが終わらずに散見される桜吹雪の吹き溜まりが引き起こした半ば幻想と酩酊のせいであったろうか。

しかし、現代の舞台空間は古典古代期のギリシアの円形劇場に、また形状においてもまた精神的な類縁においても少しも似ていはいない。観客席を隔てるプロセニアムアーチの真下に立って客席の床に格納されてあるとされるオーケストラボックスの痕跡を学理的にあるいは機械・機構的に多少強引に想像上再現するにしても、又深い奥行きを持ってせり出してくる二階席や左右のバルコニー席がヨーロッパの主要な古典的な劇場に少しも似ていないことを確認するにしても、昨夜の疲労感と、ツアーに参加できたことからくる歓び、ささやかな私の精神的な興奮状態の中では、その差異は混沌とした天地開闢の坩堝の中に掻き消えてしまうかのようである。

 

 

 

2.古典古代期のギリシア的演劇空間

 

 私たちはいま、古典古代期のギリシアの円形劇場の一角にたっていると仮定する。そこは、例えばそこはシチリアシラクーサの劇場であると特定しても構わない。背後には地中海を球形に囲む蒼穹と青い水平線が広がっていたであろう。そこではいままさにアイスキュロスの“アガメムノーン”が演じられている。私たちはトロイ戦争の概要を知っており、アガメムノーンという人物がだれであり何を成した人物であるかを知っている。かれはいまや一連の一族の不吉な血と運命との廻り来る連鎖によって最終の悲劇的局面に至ろうとしている。その物語一部終始の出来事を中央に位置するオルケストラと呼ばれるこれは古典古代期ギリシア特有の円形の、舞台よりは一段低いステージで、これもまたコロスと名付けられたギリシア悲劇に特有の合唱隊によって語り歌われようとしている。アガメムノンがトロイ戦争の戦利品?カッサンドラを伴って勝利の凱歌を高らかに歌い上げながら、紫色の絨毯が敷かれた勝利の花道を奥へと歩を進める時、現代演劇との顕著な違いが明らかになる。

現代演劇においては物語の一部終始は神の如き位置にある作者の一点透視画的なオリジナル性によって強く規定されており、運命の女神といえどもこれを変えることは出来ない。ニュートン的絶対空間・時間による厳密性と言い換えても良い。同様にギリシア悲劇においては既に完結した歴史的事象としてのホメロス時代の物語と歴史的記憶の経緯とを語る紀元前5世紀のギリシア悲劇の作者と演者、あるいは観客にとってもまた物語空間の起承転結性は自明ではあるのだが、ここではコロスと云う名の合唱団が観客の代理人として、仮面に仮託された演者との一連の演劇的掛け合いを通じてそこに“現在”という時の時制を現出させる。演劇空間はそれが完結した物語的空間として語られる時現在と云う時制の他に過去と未来と云う複数の時制を所有することが出来るのだが、悲劇が現在進行形として生じつつある過程としては現在形以外の形式の取りようがない。悲劇的空間はまさに現成し生じつつあるホメロスの時代の時制に一瞬回帰することによって、悲劇の骨格自体は変わらないにしても、そこでは物語はなお進行中であり完結することのないある種の身体的な臨場性が誕生する。観客は固唾をのんで、あるいはコロスと云う演者兼観客と云う中間的媒介者を通じて舞台裏に、あるいはギリシア悲劇では通常スケーネと呼ばれていた舞台の背面の背後に演者たちが姿を消そうとする間際になってもまだ、正義とは何であるかの議論を通して、いままさに生じつつある舞台裏の不可視の悲劇に介入すべきか否かを自問自答する観客自らのあり方を少しも不思議に思わないのである。物語としては完結していても、演劇空間としては“その都度”的に時制が甦ることによって物語は完結することなく、引き延ばされた現在と云う名の特権的な時制の中に観客は永遠に放置されたままになるのである。ここにギリシア演劇のあるいはアイスキュロスの悲劇の特徴がある。

余談だが、プラトンの有名な“国家論”などに代表される芸術否定論と、プラトンその人が持つ老人性特有の臆病な警戒感は、主として演劇的空間が持つその都度的な臨場性と非完結性にあったことがうっすらとではあれ想像することができる。哲学者であるよりは政治家を志向したプラトンにとって、また芸術と哲学とは評価の位階制としては異なった評価を与えていたとしても、政治の手段としてしか考えていなかった古典古代のギリシア民主制のプラトンと同時代の人々にとっては、演劇的空間が導入する不確定性的な“現在”という時制の導入と、つねに進行過程にあることからくる未完結性は真理に対する許しがたい冒涜であるように彼の眼には映じた、と云うことだけをこの論考では付け加えておく。

 

 

 

3.コーンウォールの中世イギリスの円形舞台から野外劇へ

 

 15世紀に行われたコーンウォールの円形舞台や道徳劇と呼ばれるものの詳細は伝わっていない。僅かに“忍従の城”の舞台図が現存しておりリチャード・ササン博士により概要がほぼ明らかにされていることをサイモン・ディドワースがヨーロッパにおける劇場の変遷の歴史的過程を語ったその著“劇場”において書いている。以下その書に基づいて概要を紹介する。

 そこでは円形舞台のまわりが円周状に掘り状に掘り下げられ、その剰余の土を盛り上げて平たい台形状の演壇となし、観客席をも組み込んだ巨大な円形のステージが形成され、中央には城を象徴する巨大な樹木状のものが、反対の円周上には中心を取り囲むように複数の小高い丘かステージが、それぞれ中世のキーワードである“神”・“悪魔”・“欲望”・“肉体”・“世間“の隠喩的意味を代表して、つまり衆舞台も含めた都合六つの舞台で交互交互に、あるいは同時進行的に舞台進行が進められたものであるらしい。観客は堀で囲まれた台形の円周内に渾然一体として俳優や演出家と混在していたわけであり、物語を知りたいと思えばその何れかの舞台に注目し、そこまで出向いて”見聞“しなければならなかったのである。つまり近代芸術に固有の神の代理人の如き作者の万能性や観客の特権的鑑賞性を保証するような視座は無かったのである。知りたければ知るために”出かけていく“、当たり前のことのようなのだが、不動のものとしての作者や演出家、そして特権的に鑑賞するものとしての観客というあり方は顕著ではなかった。中世の野外劇は、自然という広大な有情の環境下で変幻自在の夢幻の演劇空間を現出させていたのである。