アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅲ アリアドネ・アーカイブスより

演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅲ

2011-02-04 07:11:31

テーマ:絵画と建築

6.おわりに

 

 私たちは“親密な舞台と観客の原初的な関係”を如何にして取り戻すことが出来るのだろうか。それは芸術形式のあれこれの違いを論じることではなく、固有の演劇空間の成立の如何による。演劇空間の意味論的な定立は芸術概念の改変にある。つまりテスト氏の一夜を潜り抜け、その夜明けには何があるのか、という問いである。残念ながら私たちはそれに対応する術を豊富に持っているわけではない。本稿のギリシア悲劇の解釈や中世の道徳劇に関する事例から得られる知見は、若干の示唆と教訓と重要なヒントとを与えるであろう。さらに純粋芸術と大衆芸能の並立的状況を鑑がみながら、あの啓蒙期を生きたインマヌエル・カントが最晩年に志向したとされる美学、とりわけ趣味論は参考になるだろう。またファシズムの時代を潜り生き抜いたドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントはカントの美学に準拠し敷衍しながら、味覚に関する秘私的な趣味性についての意義を語っている。そこでは食べ物の好き嫌いのような学問的には何の価値があるとも思えない、最も私秘的なものでもあれば個人的なことどもの底に潜む厳密性を帯びた拘り、プライヴェートでありながら手強いある種の客観的なものの感触を帯びた存在に直面した驚きについて語っている。あえて芸術と云う名の手垢が付いた呼称を用いることを避け、あえて私秘的なもの味覚・間隔・触覚という、従来視覚や聴覚が外部感覚と名付けられた分類からすれば所謂内分感覚として分類されたものを対置し、そこに私秘的ならざるある種の客観的な感じのする“あるもの”、そのあるものの由来こそ実は主観的であるようで主観的でなく、客観的であるようで客観的でもない、存在論的にニュートラルな芸術の起源があり、公共性の痕跡を求めようとする私たちの旅はまだ続くのである。

 古典古代期のギリシアは自由と云うものを知っていた。しかし平等の概念には割合鈍感であった。またギリシア時代は歴史上初めて“公共性”の概念を知っていたけれどもそれは政治的な公共性の意味を超えるものではなかった。そういう意味では芸術を公共性の概念のもとに捉えようとする試みは、かつて人類が経験したことのない新しいページを開くのである。

 

 

【参考文献】

一般に入手が容易な人文科学系や文学・哲学関係の文献は省略いたします。

劇場建築に関しては、下記の書物に多大な示唆を受けています。

S・ティドワース著 “劇場” 白川宣力・石川敏男訳 早稲田大学出版部 1997年