アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

回想のベルイマン監督・映画”処女の泉”について――原罪とキリスト教的聖性(教会)の起源 アリアドネ・アーカイブスより

 
映画の結末を長い時間をかけて反芻するうちに少しづつ意味が違ってくる、そんな映画です。
最初は人間の原罪の起源とキリスト教的聖性の成立の由来を語った”神話”として理解しました。つまり未開社会にキリスト教がもたらされる罪と浄化の物語です。反面――、

無垢な少女を凌辱して殺すなどというおぞましい弱肉強食的自然の論理や欲望の支配する地上の出来事と、祭儀のように冷静に履行された復讐の論理のいずれが真に恐ろしいといえるのか、そんなことを考えさせる映画なのです。

掘り起こされた土くれの中から変わり果てた愛娘の亡骸を抱き起こすと、そこからまるで罪の許しを象徴するような泉がこんこんと湧きだすというラストシーンがありますが、ここで父親はある啓示を受けます。つまりここに教会を建てねばならない、と。この暗い内容の映画の最後に付け加えられたこのエピソードの効果について、ベルイマンは、シナリオライターや当時の映画界のニーズに応えざるをえなかったのだ、というような弁明をしているますが、むしろこの場面を入れることでこの映画は本当の意味で恐ろしい真実を告知する映画になっているのです。

<あらすじ>
舞台は土着信仰とキリスト教が混在する中世のスウェーデン。裕福な地主テーレとその妻メレータ、彼らの一人娘であるカリンの一家は敬虔なキリスト教徒である。しかし一家の養女であるインゲリは密かに異教の神オーディンを信奉し、苦労を知らずに育ったカリンを呪詛している。

ある日教会への勤めを両親に命じられたカリンとインゲリ。途中でインゲリと言い争いをしたカリンは、彼女と別れて一人教会に向かう。道中カリンは貧しげな三人の羊飼いの兄弟に遭遇する。彼らに同情して食糧を分け与えるカリンだが、清純なカリンに魅了された長男と次男はカリンを強姦、更に勢い余って彼女を殺害してしまう。その様子を物陰から目撃していたインゲリはカリンを助けようとするが、結局何も出来ない。

カリンを殺害した夜に羊飼いの兄弟が宿を乞うたのは、偶然にも彼女の両親が経営する農場だった。そうとは知らず母親のメレータにカリンから剥ぎ取った衣服を売りつけようとする羊飼いの兄弟、そして娘の運命を察したメレータは、夫のテーレに誰が娘を殺したかを告げる。妻にカリンの衣服を見せられ、更に人目を忍んで帰宅したインゲリから娘の死の様子を聞きだしたテーレは、羊飼いの兄弟に復讐することを誓う。娘に乱暴した長男と次男を斃したのち、テーレは激情に任せて罪の無い末っ子の少年の命まで奪ってしまう。冷静になったテーレは自らの犯した罪の大きさに慄然とし、神に許しを乞う。

羊飼いの兄弟を皆殺しにしたテーレは、インゲリによって森に放置されたカリンの亡骸まで案内される。変わり果てた娘の姿にショックを隠しきれないメレータ、そしてテーレは娘の死と彼自身の冷酷な復讐を看過した神を糾弾する。神の無慈悲に絶望しながらも、それでもなお神の救済を求めるテーレは、娘の遺体の側に罪滅ぼしのために教会を建設することを約束する。

テーレとメレータが娘の亡骸を抱きかかえたその時、彼女が横たわっていた場所から泉が湧き出してくる。神の恩寵を目の当たりにした一行は、跪いて神に祈りを捧げるのだった。(ウィキペディアより)

<データ>
”処女の泉”
Jungfrukällan
監督 イングマール・ベルイマン
製作 イングマール・ベルイマン
アラン・エーケルンド
脚本 ウラ・イザクソン
出演者 マックス・フォン・シドー
ビルギッタ・ヴァルベルイ
グンネル・リンドブロム
ビルギッタ・ペテルソン
音楽 エリック・ノードグレーン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
配給 昭映フィルム
公開 1960年2月8日
1961年3月
上映時間 89分
製作国 スウェーデン
言語 スウェーデン