アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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親しきものの死――映画”禁じられた遊び”にふれながら アリアドネ・アーカイブスより

 
禁じられた遊び』は死が日常化した戦時の現実において、死かいかにして固有なものLとなるか、という重いテーマを描いた作品である。映画のエンディングが、”ミシェル”、と”ママ”という名指された固有名詞の叫びで終わることは象徴的である。そうしてこの点はリルケが『マルテの手記』の中で、固有な尊厳が死から奪われた状況を、世紀末のパリの群衆の中における孤独と平和における死、という状況において描いたことと変らない。

禁じられた遊び』はもうひとつ、重いテーマがある。それは、死が内容を欠いた空虚な儀式で始まり、固有な個人の死を悼む人間的感情の発生で終わるという、通常とは逆転した関係についてである。監督ルネ・クレマンは、死という事態が子どもゆえに理解できず、また神に祈るということも知らなかったゆえに、淡々と十字架を築く子供たちの無機質的の営為を説明しているようだが、映像表現はそれ以上のものを表現した。

いわば、感情がない、ということの恐ろしさである。

しかし、そうだろうか。私たちは親しきものが死んだら、あるいは泣き叫び、あるいは目に涙を浮かべて哀悼の意を表するものだと思っている。しかし本当は泣いてはいけないのではないのか。本当の親しきものにおいては、死が自分自身の外に対象化されずに、言い換えれば対象の死と未分化であるがゆえに、喜怒哀楽等の感情の人間的形式がいまだ成立していないのではないのか。言い換えれば、悲しみは”まだ”時間的にないのではないのか。死が、適度の悲しみをもたらすというのは、第三者にのみ言いうることではないのか。――こう、わたしは幾つもの反論を予想しながら、あえてこう書いている。

死者は、適切に弔うものの存在を見出したとき、生とも死ともいえぬある中間領域に移行する。死は反芻され、定義され、再帰的に回顧され死者の生を終点まで生きる。やがて弔うものにとって死がありありとした像を結ぶ時、長い喪の期間は終わる。その時人は初めて悲しみという人間的形式を、つまり悲しみという感情が何であるかを理解するにいたるのである。

                             ◇◇◇◇◇

禁じられた遊び 1952年 フランス映画
(ウィキぺディアより)

あらすじ
1940年、フランス郊外。ドイツ軍の爆撃から郊外へ避難するパリ市民の行列。5歳の少女ポレットは、逃げた愛犬を追いかけ、それを追った両親は戦闘機の機銃掃射で命を落とす。同時に死んだ愛犬のジョッグを抱き、避難の列から外れて彷徨うポレット。小川のほとりで、郊外に住むミシェルという11歳の少年と出会う。ポレットはミシェルの家でしばらく暮らすこととなった。

ミシェルの家、ドレ家は貧しかった。ミシェルには二人の兄と二人の姉がいたが、上の兄のジョルジュは馬に蹴られて重傷を負い、寝たきりになっていた。隣人のグアール一家とはいがみあっており、ことあるごとでののしりあう関係であった。ドレ家の人々はパリ育ちで都会っ子のポレットをものめずらしく見るが、温かく受け入れる。とくに末っ子のミシェルはポレットに親近感を持ち、無垢なポレットもミシェルを頼るようになる。

ポレットは「死」というものがまだよくわからず、神への信仰や祈り方も知らなかった。ポレットはミシェルから「死んだものはお墓を作るんだよ」と教えられ、人の来ない水車小屋に愛犬ジョッグを埋葬し、祈りをささげる。

愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと思ったポレットは、もっとたくさんのお墓を作ってやりたいと言い出す。ミシェルはその願いに応えてやりたくなり、モグラやねずみなど、様々な動物の死体を集めて、次々に墓を作っていった。二人の墓を作る遊びはエスカレートし、十字架を盗んで自分たちの墓に使おうと思い立つ。

しばらくして、兄のジョルジュの容態が急変、兄は亡くなった。ミシェルは父が用意した霊柩車から十字架を盗む。葬儀中、父に問い詰められたミシェルは「隣のグアールのせいだ」と言い逃れをする。一方、ポレットは教会の美しい十字架に魅せられ、ミシェルにあの十字架がほしいとねだる。後日ミシェルは教会の十字架を盗もうとするが、神父に見つかり追い出される。

ポレットにもっとたくさん十字架がほしいとねだられたミシェルは、意を決して夜中に家を抜け出す。ポレットとともに向かった先は、教会の墓地。ミシェルたちは墓地から十字架を15本盗み、爆撃で光る夜空の下、自分たちの墓地へと十字架を運ぶ。

ミシェルの兄の墓参りの日が来た。道中で、ミシェルの父は道に落ちた小さな十字架を見つける。それはジョルジュの墓につけられていたもので、以前ミシェルが盗む途中で落としたものだった。ミシェルの父は、グアールのいやがらせだと思い込む。

墓に着き、荒らされた様子に驚く一家。兄の十字架まで引き抜かれているのを目にした父は激昂し、グアールの仕業だ、復讐してやると言い、近くにあるグアールの妻の十字架を壊し始める。

ちょうど墓参りに現れたグアール一家と鉢合わせとなり、ミシェルの父とグアールは殴り合いのけんかとなる。

そこへ神父が現れ、十字架泥棒はグアールではない、犯人はミシェルだと伝えて場を収める。ミシェルはその場から逃げ出し、家出をしてしまう。十字架を盗んだことを訴えられるのではと恐れる父は、必死にミシェルを探す。ミシェルは水車小屋に隠れ、ポレットと作った墓場を満足げに見つめていた。その夜ミシェルはこっそりと家に戻り、墓がとてもすてきになったとポレットに伝える。

ポレットを墓に連れて行こうとした矢先、警官がドレ家を訪ねてきた。戦災孤児として申請していたポレットの身請けにきたのだ。

ミシェルは父にポレットを引きとってほしいと懇願する。父は、十字架のありかを教えればポレットは引き取る、と交換条件を出す。ミシェルは悩み、ついに水車小屋にあることを告白する。しかし、父は約束を破り、ポレットの身請けの書類にサインをする。ミシェルは怒るが父は聞く耳を持たない。ミシェルは家を飛び出し、腹いせにすべての十字架を引き抜き、川に流して捨ててしまう。すべて捨てたあと、ミシェルは車のエンジン音を耳にする。それはポレットが連れて行かれる車の音だった。

多くの人があふれる駅。ポレットは修道女に連れられ、名札をつけて少し待っているように言われる。名札には「ポレット=ドレ」の文字。

人ごみの中から「ミシェル!」と呼ぶ声が聞こえる。ポレットは涙し、ミシェルの名を叫びながら探しに行く。しかし人違いで、ミシェルはいない。ポレットはミシェルとママの名を叫びながら、雑踏の中へと走っていく。


スタッフ
監督:ルネ・クレマン
原作:フランソワ・ボワイエ
脚本:ジャン・オーランシュピエール・ボストルネ・クレマン
音楽:ナルシソ・イエペス

キャスト
ポレット:ブリジット・フォッセー
ミシェル・ドレ:ジョルジュ・プージュリー
ミシェルの父:リュシアン・ユベール
ミシェルの母:ジュザンヌ・クールタル
ジョルジュ・ドレ(ミシェルの兄):ジャック・マラン
ベルテ・ドレ(ミシェルの姉):ロランス・バディー
フランシス(ベルテの恋人):アメデー