アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジョゼフ・ロージー映画”エヴァの匂い”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
フランス映画“エヴァの匂い”1962年作品。ジャンヌ・モロー、当時34歳。映画人としての彼女に抱くわれわれの幻想を、その純粋形にまで高めた作品ということができる。ジャンヌには、少女時代を描いた自伝的な作品もあって、彼女の実像にも出会うことができる。パンには、バターとジャムを同時に塗ってはいけないとかどうでもいいエピソードだけが記憶に残っていて、田舎の純朴で質素な生活もうかがえて興味深い。

この映画には、分からないことが三つある。一つは悪女ものが描かれた必然性、二つ目はダメ男の系譜、三つ目は海に浮かぶ海上都市ヴェネツィアとドラマの関係である。

第一の問いは月並みかもしれない。ジャンヌは“突然炎の如く”や“黒衣の花嫁”など、いまだ見る機会を得ない“危険な関係”などでも、価値化から自由な自由な女、つまり悪女を演じている。

二つ目のダメ男の系譜についてはどうだろうか。半年ほど前やっとミケランジェロ・アントニオー二の“さすらい”をみて、ポー川下流の心象風景と戦後イタリア労働者階級の描写に魅かれた。ある日突然夫を軽蔑し始めた妻をアリダ・ヴァリを能面のような無表情で演じきっているが、これも悪女なのだろうか。いうれにしても、日本に紹介されたころ盛んに言われた“愛の不毛”などというものとは、似ても似つかないものであることだけは確実に言える。

トリュフォーは、“突然炎の如く”でダメ男を描いているし、“柔らかい肌”などもその系譜の最たるものだろう。後者は、とりわけフランソワーズ・ドルレアックという薄幸の美女を映像に留めていて尊い。ダメ男の掉尾をかざるのはゴダールの“気違いピエロ”であろう。私にはこのゴダール映画が象徴的に思われるのは、近現代の古典の古典からの引用からなるこの作品を最後に、ダメ男の映画は影を潜めるようになるし、事実ゴダール自身も“ヴェトナムを遠く離れて”以降は左傾化し政治的な映画しか作らなくなるからである。

ダメ男と違って悪女ものはその後もすたれずに人気を保っているようだ。悪女ものと言われるものが何ゆえの残照であるのかを考えるのはバカバカしいので誰も真面目に研究?した人はいないようだが、先日モーツァルトのオペラ・ブッファと市民社会の成立についての論文を書いていたら、愛の武勇伝を語るのは良いが恋を語ってはいけないという不文律が語られているのですね。事実この映画でもジャンヌは繰り返し“恋を語ることだけは許さない”というメッセージ性を持って語っている。こうなるとこの映画は単純な悪女ものではなく、ラクロワ以降のフランス文学の伝統、ものぐさとアンニュイの伝統にたつ文芸作品ではないのか。

なぜ“恋をしてはいけない”のか。何故、純情や純愛は嘲笑されなければならないのか。しかも死をもって迎えられなけらばならないほどに。それは市民社会の成立というものが、本音をもってしては生きて生きえないことの、強烈なメッセージ性ゆえになのである。事実この映画の主人公の偽作家はその世間的な成功も恋も人間関係も全て虚構性の上に成立している、ちょうどヴェネツィアという街がそうであるように。

<あらすじ> goo映画より
雨にけむるヴェニス。一隻のゴンドラが静かに水の上をすべる。そのゴンドラから過ぎゆく景色を眺めているひとりの女。エヴァ(ジャンヌ・モロー)--それがこの女の名前。彼女の住む家はどこともきまっていない。また夫がいるかどうか誰もしらない。ただわかっているのは、幾人もの男がこの女のために身を滅していったということだけ。ティヴィアン・ジョーンズ(スタンリー・ベイカー)もそのひとり。彼は処女作が大当りをとり、一挙に富も名声も獲得した新進作家だった。そして、あとはフランチェスカ(ヴィルナ・リージ)と結婚するばかり。ある雨の降る夜だった。ティヴィアンの別荘にずぶぬれになった男と女が迷いこんできた。エヴァと彼女の客だった。それがティヴィアンとエヴァとの最初の出会いだった。が、その夜以来、ティヴィアンの脳裡にはエヴァの面影がやきついて離れなかった。ある夜、彼はローマのナイト・クラブで黒人の踊りを放心したように眺めているエヴァに会った。その時を契機とし彼はエヴァの肉体におぼれていった。ある週末、彼はエヴァヴェニスへ誘った。が、彼女は拒絶していた。このことからティヴィアンはフランチェスカとの婚約にふみきった。そのレセプションの席上、エヴァからの電話が鳴った。「ヴェニスへ行きましょう、今すぐ」。ティヴィアンはすべてを捨てヴェニスへ走った。酒とエヴァとの愛欲の日々。そんな関係におぼれたティヴィアンは口走った。小説は自分が書いたのではないことを。ティヴィアンはフランチェスカのもとに帰った。二人の結婚式はゴンドラの上で行われた。が、エヴァからまた呪わしい電話がかかってきた。ある夜、エヴァがティヴィアンの別荘へやってきた。そのくせ彼に指一本ふれさせないエヴァだった。その光景をみたフランチェスカは絶望のあまり自殺した。二年たった。いまは乞食同然のティヴィアン。が、彼はいまだにエヴァの面影を求めている。今日もヴェニスは雨にけむり、ゴンドラが漂っている。

エヴァの匂い(1962)

<キャスト(役名)>
• Jeanne Moreau ジャンヌ・モロー (Eve)
• Stanley Baker スタンリー・ベイカー (Tyvian Jones)
• Virna Lisi ヴィルナ・リージ (Francesca)
• Giorgio Albertazzi ジョルジョ・アルベルタッツィ (Branco

<スタッフ>
監督Joseph Losey ジョセフ・ロージー
製作Robert Hakim ロベール・アキム
• Raymond Hakim レイモン・アキム
原作James Hadley Chase ジェームズ・ハドリー・チェイス
脚色Hugo Butler ヒューゴー・バトラー Eva Jones エヴァ・ジョーンズ
撮影Gianni Di Venanzo ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽Michel Legrand ミシェル・ルグラン
美術Richard MacDonald リチャード・マクドナルド Luigi Scaccianoce ルイジ・スカッチャノーチェ