アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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様式美としての文法――ヴィスコンティ”夏の嵐”について アリアドネ・アーカイブスより

 
わたしはまだロッセリーニの映画を一本も見たことがないので所詮はネオリアリズモという運動を云々する資格はないだろう。例えばピエトロ・ジェルミの”鉄道員”やデ・シーカの”自転車泥棒””二人の女”、”終着駅”やミケランジェロ・アントニオー二の初期の”さすらい”などと比べて同列にあると論じることはどうだろうか。

この映画は後年の”山猫”を思わせる、オペラの舞台や貴族の広大な館の風景や、とりわけヒロインが身につける19世紀貴族社会の華麗な衣装を無視してはあり得ない。ネオリアリズモが人間そのものを描こうとしたのに対して、”夏の嵐”1954年はヒーローやヒロインを取りまく儀式や衣装という属性を描くことで、近代人の個性であるよりは、広範な歴史的典型性を描いた。

”夏の嵐”の魅力は、アリダ・ヴァリ演ずる伯爵夫人の身につける衣裳のくすんだ色合いと、石畳の道を引きずる裳の幾重にも重なり合う残映にある。伯爵夫人の度を越した激越な恋を理解するためには当時のイタリア貴族の結婚の様式、つまり結婚とは家紋同士の釣り合いのためになされるのであり、年齢差がある場合には年下の夫人は若い愛人を持つことが黙認された、あるいは高貴の貴婦人に愛を奉げるのは貴族的エレガンス、つまり風流を解することであり貴族社会の若き子弟の性教育の側面もあったという。レディファーストとか騎士的なプラトニズムとは案外この辺に起源があるとする穿った見方もある。

この映画の中で素晴らしいのは、敵性国の二人が彷徨う夜のヴェネツィアの風景であろう。青年将校は大した技巧も弄せず四日目に伯爵夫人は陥落してしまう。一旦恋に身を落としてからの伯爵夫人の行動が凄い。如何なる外聞や世俗的因習的な関係を捨てて、過去はなく現在と未来のみがあると宣言する。より正確にはその日から伯爵夫人には現在進行形の時制しか存在しなくなる。それが恋なのだと夫人は言う。

恋に一直線に突き進むとき初期ヴィスコンティ的人物はほとんど逡巡しない。倫理的な迷いや反省をほとんどしない。恋とはオペラの舞台の中の登場人物のように近代人としての苦悩や性格は不要なのだ。もし近代的リアリズムの手法で描いていたら伯爵夫人の人間象の中から画一化された人物像以外を引き出してくること以外は困難であっただろう。

伯爵夫人の激越なそれでいて様式化された行動を、近代のタイトスカートやジーンズで演じるのは不可能なのだ。儀式じみた日々の所作や衣装、広大な貴族の館の幾重にも重なる部屋の連なりや運河と壁で縁取られたヴェネツィアの風景を通してこそ、個人を超えた歴史的典型性としての個性を描きえることを、貴族の末裔であった若きヴィスコンティであればこそ、確信したに違いない。

物語の結末で全てを奉げたつもりの恋人に無残にも裏切られ、自分たちは物語の世界の登場人物ではないのだ、自分で勝手に描いた幻想に恋し、裏切られていくという意味で自業自得なのだという元オーストリア青年将校の罵声を背中に受けて伯爵夫人が退場する場面があるが、これは青年の方が間違っているのだ。かれは封建的身分制が崩壊する歴史的変動期における個々の人間の没落を、あえて言えば近代的個人の個性的悲劇を見ているにすぎなかった。しかし伯爵夫人が演じたものは、間違いなく歴史の転換期における悲劇性をその典型性において”生きていた”のである。

しかしこの一見平板的に描かれているかにみえるオーストリア青年将校も本当はただものではない。封建社会においては身分制度を超越する代表的な方法に二つあった。一つは僧籍に就くことでありもう一つは軍隊組織に身をゆだねることであった。今日においても後者が一部の者に気持ちの良い回顧の対象となるのは身分制を超える経験を個人に与え、平等主義の理念を束の間ではあれ、教えたからである。

青年将校には最初から、この物語の発端が愛国的なヴェネツィア貴族との決闘の予告で開始されたように身分制に対する庶民としての憎しみがあったと思う。伯爵夫人を恋の虜にし、女を征服する手練手管は、一種のマルクス主義階級闘争である。物語の最後にこの元青年将校が投げつける罵声は貴族社会そのもの終焉に向けられた19世紀的社会の挑発ですらある。

しかしこの元青年将校の行動を最初から刹那主義的にしているのは彼自身もまた所詮は旧体制の社会的環境を抜け出すことができず、新時代に適応して生きる気概をもった人物としては描かれてはいない点だろう。青年は絶えず自分の足元を洗う歴史の消失感に晒されていることを感じる。彼もまた違った意味で現在以外の時間を失う。恋が収斂する過程で彼は世界そのものが失われていくようだ、と表現する。彼が属したパプスブルグ王家はヨーロッパのp覇権を争う帝国主義の鬩ぎ合いの中で足もとから崩壊しかかっていたのである。

この青年将校は恋の絶頂期にあってさえ老人のような冷めた恋愛観を披露する。すなわち恋が終わって長い時間が経って回顧の対象となった時、不思議にも光を求めて夏の夜の虫が窓辺に突き当たる羽音など今となってはどうでもよいことどもや、たまさかの恋人の仕草であるとか髪を解く癖とかが妙に鮮明に思い出されてくるものだと。これはすでに末醐の目なのである、パプスブルグ家を覆っていた、いや旧世界に生きる貴族体制全体の厭世的な終末観の表出なのである。



<あらすじ>  goo映画より

1866年5月のある夜、水の都ヴェニスフェニーチェ劇場ではオペラ「吟遊詩人」が上演されていた。その時、一階席でオーストリヤ占領軍の若い将校フランツ・マラー(ファリー・グレンジャー)中尉と反占領軍運動の指導者の一人、ロベルト・ウッソーニ侯爵の間に口論が起った。そのあげくロベルトはフランツに決闘を挑んだ。丁度、夫とともに観劇中であったリヴィア・セルピエーリ(アリダ・ヴァリ)伯爵夫人は従兄ロベルトを助けようとしてフランツに近づいて決闘を思い止まらせようとした。しかし、その夜、ロベルトはオーストリヤ軍に逮捕され、一年の流刑に処せられてしまった。そしてリヴィアが再びフランツに会った時には、彼女はこの青年将校の魅力の虜になってしまっていた。リヴィアは五十男のセルピエーリ伯爵と愛情もなく結婚したのであるが、それ迄は貞淑な妻であった。だがフランツを知ってからは盲目的な激しい情熱にとらわれ遂に彼に身も心も捧げてしまった。一方オーストリヤとの間には再び戦争が起った。セルピエーリ伯はヴェニスを離れてアルデーノの別荘に移ることになった。リヴィアは偶然、越境してヴェニスの同志に軍資金を渡しに来たロベルトに会った。ロベルトは彼女に金を渡しアルデーノの別荘で同志に渡してくれと頼んだ。ある夜別荘の彼女のもとにフランツが現われた。彼女は再び男に身を投げ出した。フランツは軍籍を抜けるのに大金がいることを話した。戦争によって男を失うことを怖れた彼女は預った金迄も彼に渡してしまった。クストーザ丘陵の戦いで伊軍は敗れロベルトも重傷を負った。敗戦を聞いたリヴィアは墺軍の占領下のヴェロナにフランツを求めて馬車を走らせた。だが一時の浮気心で彼女を相手にしたにすぎないフランツは彼女の来訪を喜ばず数々の悔言を浴せた揚句ロベルトを軍に逮捕させたのは自分だと叫んだ。絶望のリヴィアは占領軍司令部に行くとフランツが自分から取り上げた金で軍医を買収し、病気と偽り除隊に成功したことを彼女に感謝した手紙を司令官に示した。フランツは即刻逮捕され、銃殺された。

キャスト・スタッフ - 夏の嵐(1954)
リンクするには
キャスト(役名)
Alida Valli アリダ・ヴァリ (Countess Livia Serpieri)
Farley Granger ファーリー・グレンジャー (Lieutenant Franz Mahler)
Massimo Girotti マッシモ・ジロッティMarquis Roberto Ussoni)
Heinz Moog ハインツ・モーグ (Count Serpieri)
Rina Morelli リナ・モレリ (Laura maiden)
Marcella Mariani (Girl Friend of Franz)
Christian Marquand クリスチャン・マルカン (Bohemian Official
Tonio Selwart (Colonel Kleist)
Cristoforo De Hartungen (Commander in Venice)
スタッフ
監督
Luchino Visconti ルキノ・ヴィスコンティ
原作
Camillo Boito カミロ・ボイト
脚本
Luchino Visconti ルキノ・ヴィスコンティ
Suso Cecchi D'Amico スーゾ・チェッキ・ダミーコ
脚色
Suso Cecchi D'Amico スーゾ・チェッキ・ダミーコ
Luchino Visconti ルキノ・ヴィスコンティ
Carlo Arianello
Giorgio Passani
Giorgio Prosperi ジョルジョ・プロスペリ
台詞
Tennessee Williams テネシー・ウィリアムズ
Paul Bowls ポール・ボウルズ
撮影
G. R. Aldo G・R・アルド
Robert Krasker ロバート・クラスカー
指揮
Franco Ferrara フランコ・フェルラーラ