アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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エリック・ロメール監督”木と市長と文化会館”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
見終わって不思議な感動に捉われた。商業映画活動の合間に撮ったらしいドキュメンタリータッチの映画は、ほとんどが討論と、インタヴューからなっている。物語というのは、フランスの地方の――人工500人足らずの村の――フランスではこのような最小の住民自治の単位を”コミュユーン”と言うらしい――スポーツジムもプールも映画館もある多目的な文化会館の建設をめぐる推進派の思市長を中心に展開する。

市長は社会党員で1993年当時のミッテラン以降の社会主義的政権の後退という社会現象を背景としている。この時代の特徴は、左翼の保守化と保守の左翼化という現象で、保守革新の違いが見えにくくなった現代に共通する政治的な課題を抱えた時代の端緒の時期である。

この映画の背景には、我が国と共通する地方の生活基盤の崩壊と農業の疲弊、がある。文化会館建設とは、箱もの建設による需要創出とその波及効果が云々されるわけであり、これに環境破壊の問題が絡む。

登場人物は、四人に限定される。文化建設推進派の市長。地方に広大な屋敷を持ち、地域の知名度を利用して政治活動をするところは日本と同じである。しかも現実密着型の政治理念を掲げる市長を社会党系としているところが、この映画をもん切り方から区別している。彼の政治的手法とは中央政府からの助成金を獲得するという誘導型の政治手法である。政治家の役割とは中央のパイプを保っておくことであり、目に見える行政で利害を還元することで選挙時の足場固めを図る。

二番目の人物は、文化会館予定地に一本の柳の古木があり、緑の景観は金銭にかえられないとする小学校教師である。彼はやや戯画的に描かれており、彼の娘から悲憤慷慨するだけではなく駄目だと諭される。

三番目の人物は市長の現在の愛人である。彼女は小説家という設定になっているが、文化会館の建設の如何よりも、示された建築計画案の機能性に疑問を呈する。建築家の提案するもっともらしい”環境と共存した”設計そのものに疑問を呈する。疑問は美的ならびに機能性の重視面に向けられる。しかし彼女p自身が自説にどれだけの拘りを持っているかは疑問である。彼女の所見はよく流行のある紋切り型の議論にすぎないからだ。
むしろ彼女の本質は、田舎や農業生活というものへの根本的な無関心によって特徴づけられる。都市以外に文化があろうとは思えないのである。

四番目は女性のジャーナリストである。彼女の役割は市長をはじめとする多様な登場人物や村の住民にインタヴューして意見を披露することである。この中から、20世紀が農業の姿をいかに変えてしまったかが明らかになる。農業の大規模化・機械化によって何が失われていったのか。市場経済の流通は人間と人間、人間と家畜、人間と生活基盤としての地域の在り方を根本的に変えてしまう。生産物を地方に振り分ける効率化のシステムによって運送屋だけが儲かる社会システムを作り上げてしまったのである。物を商品交換過程に置くという”物流”という言葉の恐ろしさをが明らかになる。

彼女もまた市長と同じようにシングルであり、家に子供を一人残して働くキャリアウーマンである。この映画では二人の個人的な関係はみじんも描かれないのだが、将来の親密な関係を暗示して映画は終わる。

この映画のクライマックスは、ふとした偶然から推進派の市長と、反対派の小学校教師の娘で、お父さんには行動力がないと批判した娘が、何気なくそれでいて真剣に、多目的文化会館の必要性を討議する場面であろう。10歳の娘は必要なのは自由に遊べる緑地の存在ではないかという。村には至るところ緑があるではないか、と市長は反論する。あってもその緑は有刺鉄線に囲まれた、番犬が吠えたてる私有地ばかりではないか。市長はそれは卓見だと了解する。建設会館と緑地の保存は十分に共存が可能だとうなづく。子供と大人が未来について真剣に討議するこの映画の最も美しい場面である。人と人との信頼関係を描いてこの部分は秀逸である。

映画の終わりは、小学校の教師の元に文化会館建設案は却下された旨の通知が届き、彼が狂喜する場面で終わる。

ドキュメンタリータッチの映画でありながら、到る所で多様な観点が盛り込まれている。この映画には一人として狂信的な人物は登場しない。それぞれの社会的役割と利害を伴って、つまり固有な限界を備えた人物として描かれている。人間だから完全な意見の一致をみることはないだろう。しかしその限界を踏まえながら信頼を築いていこうとする多様さ柔軟さが、見終わった後もなにか夢の名残りのような、何時までもさめやらぬ感動の余韻を与えているのである。


フランス映画”木と市長と文化会館”1992年

<スタッフ>
監督・脚本:エリック・ロメール
撮影:ディアーヌ・バラティエ
録音:パスカル・リビエ

<キャスト>
市長:パスカル・グレゴリー
女流作家べレニス:アリエル・ドンバール
小学校教師:ファブリス・ルキーニ
ジャーナリスト:クレマンティーヌ・アムル―

発売・販売:蟲伊国屋書店 DVD 111分