元号選定と歴史誤認 アリアドネ・アーカイブス
大伴旅人、家持とは、どういう人たちなのですか?
日本古代史に於いて、古代律令制が変遷、変質、変形して、藤原一強の大土地所有者としての荘園制と呼ばれた中世的土地所有形態に移行していった時代に、神祇と武門に携わるものとしての皇親派の立場から土地の私的所有に反対した立場、――天智・天武の古典国際派の立場から内向きの国風文化へと舵を返しつつある門閥的藤原一強体制?に「抵抗」し、その影響力を削がせるために藤原氏がすすめた、大宰府、越中、そして因幡へと、遠隔地に「左遷」され粛清されていったのが、大伴一族ではなかったか。
藤原一族の一強体制?と、内向きの国粋的歴史観?は、なにやら今日の我が国の平成末期の状況?とも似ており、総理は自分自身の無意識を制御できなかった、とみえる。
教養がないとは恐ろしいことである。
当時、強弱の鬩ぎあいのなかで、一歩一歩土俵際へと押し戻されつつあった大伴一族にとって、俵一本にどうにか片足の爪先が掛かった半身の状態で、のんびりと、「令和」などと云う訳がないじゃありませんか。
それにしても、古代日本史の初歩的な出来事を、――「令和」を肯なった側もそうでない側も!ーーなぜ誰もが言わないのだろうか?
ここにもう一つの魔訶不思議さがある!