アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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イタリア映画”木靴の樹”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映画はヴィスコンティの”山猫”や”夏の嵐”を描いたリソルジメントの激動期を経てそれなりの過渡的な安定期を迎えた19世紀後期の北イタリアはロンバルディア地方、ベルガモやミラノの近郊の農村を舞台に描いている。

水田すれすれの狭い小川や、堤に添って連なるさびしげな樹木の連なりや廃屋のような倉庫や農機具置き場など、いまでも見慣れた都市郊外の風景として展在する。昨年北イタリアを旅した時も、ミラノを起点とした小旅行の旅に車窓に眺めた風景と同じものである。

一方都市化の極限にあるミラノはかって縦横に運河が開けていたと聞くだけでそのよすがもない。この映画の最後ら付近に、早朝に結婚式を挙げた二人が船でミラノまで行くくだりがあるが、ああ、運河が埋められる前はこんなふうだったのだな、と住み慣れた町でもないのに妙に納得していた。

オルミ監督のこの有名な映画については語りつくされている感があるので、なぜ19世紀後半を舞台としたドキュメンタリータッチの映像が、1970年代の後半に造られたのかを考えてみたい。この映画の農村風景を描いた映像美や自然描写の中に素朴な神への賛歌を読み取ったとしても、所詮は現代人の都合にすぎないのだろう。

物語の由来は”木靴の樹”。封建性以前の窮屈な身分制のもとで階級を離脱する方法には僧侶階級に身を連ねることと、もうひとつ軍隊での経験があった。一方支配階級である僧侶階級においても優秀な人材の補充は貴族階級だけに頼ることはできずに、こうした庶民に上昇願望を利用する形で育成する必要があった。

年端もいかない少年が利発であるがゆえに学校に行くことを”神の使命”と司祭様に説教され、父親は大事な労働力を失い、少年は往復12キロもある学校への道のりを通学する過程で靴をすり減らして壊してしまう。家に帰ると家では主婦に丁度子供が生まれたところで、父親は心配をかけまいとこっそりと小川のほとりの樹木を刈に行きそれで子供のための木靴をつくる。やがてそのことが発覚すると地主の逆鱗に触れ、一家は住みなれた家を放棄しどことも知れぬ旅へと追放されてしまう。主婦は、心配症の夫を慰めてこういう。子供を授かるということは、目に見えぬ恵みを授けてくださっているのだと。住み慣れた家を逃げるように去っていく、荷車の上で揺られていく少年の悲痛な泣きべそ顔を映してこの映画は終わる。せめてこの健気な母親が運命を切り開いてくれるだろうことを期待するばかりなのである。少なくともこの家族に限って神が微笑まれることはなかった。

神は沈黙を守るだけではなく、”時には”微笑まれる。もう一つの寡婦の母親は洗濯屋をしながら家族6人を扶養している。心配した司祭が保育院に下の二人を入れることを提案するが、15歳にしかならない長男が、僕が夜も働くから家族一緒にいようと健気なことを言うのでこの話は沙汰やみになる。もうひとつこの家のお祖父ちゃんがちゃっかりしていて、僅かな建物周りの空き地を利用して、今でいうトマトの早期栽培――と言ってもバスケット一杯のささやかな収穫にすぎないのだが――で町に卸しにいって孫娘にささやかな希望を与える。牛が重い病気になって一家が絶望の淵に沈んだとき、神は獣医の下した診断をそっと脇におどけになる。

早期栽培による商品経済における希少価値の実現、つまり現代人に劣らずの巧みさやずるさも描いている。もう一つの家族では父子の折り合いが悪く、息子は昼間から酒を飲むようになる。父親は映画の冒頭から軽量される荷車に石を忍び込ませて多く見積もらせることの常習犯であるらしい。この父親はおまけに村の祭りで拾った金貨を馬の馬蹄の底に秘匿しており、取り出そうとすると何かのはずみにそれがなくなっていたので、馬を相手に殴りつけるやらのやつあたりを演じた揚句、今度は怒った馬に家の中まで暴れこまれるという醜態を披露することになる。農民は素朴でもなければ偉大でもなく、真仰深く敬虔でもあれば恩寵の届かないところでは自分の才覚を生かして生き延びる他はない、つまりそれ以上でもなければそれ以下でもない民衆の等身性をもって描かれている。ただ一つ違うのは、この時代が子供を神の贈り物と考えていたこと、子供は共同体全体で育てなければならないという不文律がまだ生きていた時代であったことだろう。

最後の家族、ミラノの修道尼院を訪ねる新婚の二人を描くタッチだけはオルミ監督の色調までが異なる。まるで宗教画を思わせるような言葉少なの二人の微笑、そして神の国への道行のようなミラノに向かうロンバルディアの船旅、色彩も一変しミレーからルノワールへの明るく変貌する。まるで新婚旅行を兼ねたようなミラノへの旅の終わりに院長は二人に一人の乳児の保育を託す。まさに暗雲の中に射す雲の晴れ間のようにこの場面は小川の水面の煌きのように美しい。

この映画をネオレアリズモの名称で語ることはできないだろう。何ゆえ1978年にこの映画は作られたか。一世紀も前の農村風景の抒情詩を語りたかったためではないだろう。オルミ監督がまだ青年時代を過ごした頃の、高度成長期以前のイタリアの農村にはまだ、このような風景、このような人の善意というものが残っていたのではないのか。それを生き、経験した証人としてそれを一編の叙事詩として残すことは映像作家の義務としてではなかったか。

オルミ監督の映画を見るのは今回が初めてになったが、監督の名前を教えていただいた他のブログのmoさんに感謝します。


この映画に農民精神の偉大さなどを読み込むのは現代人の都合である。
以下、goo映画

あらすじ - 木靴の樹(1978)

あらすじ
19世紀末の北イタリア、ベルガモ。農村は貧しく、バティスティ(ルイジ・オルナーギ)一家は、他の数家族と一緒に小作人として住み込んでいたが、この農場の土地、住居、畜舎、道具そして樹木の一本までが地主の所有に属していた。フィナール(バティスタトレヴァイニ)はけちで知られており、収穫を小石でごまかしていた。ルンク未亡人(テレーザ・ブレッシャニーニ)は夫に死なれた後、洗たく女をして6人の子どもたちを養っていた。ブレナ一家の娘マッダレーナ(ルチア・ペツォーリ)は美しい娘で、勤めている紡績工場のステファノ青年(フランコ・ピレンガ)と交際していた。バティスティ家に男の子が生まれた。バティスティは靴を割ってしまった長男ミネク(オマール・ブリニョッリ)のために、河のほとりに並ぶポプラの樹の一本を伐ってきて、木靴をつくってやった。マッダレーナとステファノの結婚式が済み、ミラノへ新婚旅行に行った2人は、マッダレーナの伯母が修道院長であるサンタ・カテリナ修道院を訪ねた。そこで捨て子の赤児をひきとることにする。ある朝、ポプラが一本伐られていることが地主の目にとまり犯人追求の手がのびた。バティスティの仕業だとわかり、農場を追われることになったバティスティ一家が荷車をまとめていた。この光景を見る者は誰もいなかった。そして、人々は荷車が去ったあとを見守るのだった。

キャスト(役名)
Luigi Ornaghi ルイジ・オルナーギ (Batisti)
Francesca Moriggi フランチェスカ・モリッジ (Batistina)
Omar Brignoli オマール・ブリニョッリ (Minek)
Carmelo Silva カルメロ・シルヴァ (Don Carlo)
Mario Brignoli マリオ・ブリニョッリ (The master)
Emilio Pedroni エミリオ・ペドローニ (The bailiff)
Teresa Brescianini テレーザ・ブレッシャニーニ (Widow Runk)
Carlo Rota カルロ・ロータ (Peppino)
Giuseppe Brignoli ジュゼッペ・ブリニョッリ (Grandpa Anselmo)
Maria Grazia Caroli マリア・グラツィア・カローリ (Bettina)
Lucia Pezzoli ルチア・ペツォーリ (Maddalena)
Franco Pilenga フランコ・ピレンガ (Stefano)
Battista Trevaini バティスタトレヴァイニ (Finard)
スタッフ
監督
Ermanno Olmi エルマンノ・オルミ
製作
GPC
脚本
Ermanno Olmi エルマンノ・オルミ
撮影
Ermanno Olmi エルマンノ・オルミ
音楽
J. S. Bach J・S・バッハ
音楽演奏
Fernand Germani フェルナンド・ジェルマーニ
美術
Enrico Tovaglieri エンリコ・トヴァリエリ
衣装(デザイン)
Francesca Zucchelli フランチェスカ・ズッケリ
字幕監修
山崎剛太郎 ヤマザキゴウタロウ