アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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アンドレイ・タルコフスキー”鏡”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映像詩ともいえるこの映画を読み解くのはなかなかに困難である。今日はタルコフスキーというなじみのない映画監督、高名であることはかねてより聞いていたので、土曜日の午後頑張ってミニシアターに出向いた。

映画の最初と最後にユーモラスな場面がある。ヒロインが通りすがりの医師と私的な会話を交わす部分。もう少し接近しようと並んで掛けた柵が二人の重みで壊れてしまう。この人間的な笑いがこの映画では一度もきけない、自然な笑いなのである。

映画の最後の場面、結婚にこぎ着けた若い二人が男の子が欲しいか女の子が欲しいかと議論する場面。空気までが輝いているかに見える。その横を祖母と思われる母親が二人の子供を連れて遠ざかっていく。

水、火、そして森と、恐ろしい映像の隠喩に満ちている。
現在はカラーの映像で、過去は(父母の世代の出来事は)モノクロで映像化されている。親子二代の夫婦関係をカラーとモノクロで描いている。語られなかった子供たちの世代は何色で描くつもりであったのだろうか。

映像の強烈さは、時にイングマール・ベルイマンを思わせる。今回は批評するまでには至らなかったが、なお注目していきたい。


日時:2009年10月30日 土曜日 午後1時半~
場所:福岡市総合図書館ミニシアター


[スタッフ]
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー/撮影:ゲオルギー・レルベルグ/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/挿入詩:アルセニー・タルコフスキー
[キャスト]
母マリア、妻ナタリア:マルガリータ・テレホワ、父:オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の私、息子イグナート:イグナト・ダニルツェフ、幼年時代の私:フィリップ・ヤンコフスキー、行きずりの医者:アナトーリー・ソロニーツィン、ナレーション:インノケンティ・スモクトゥノフスキー、詩朗読:アンドレイ・タルコフスキー

1975年/モスフィルム製作/長編劇映画/35mm/スタンダード/カラー/110分
配給:ロシア映画社/日本公開:1980年



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関本洋司、という人のブログ――内容がかなり特異であると思うので、紹介する。

ジャネとタルコフスキーの『鏡』
「この現実化機能の最終項、先行するすべての諸項を恐らく要約するだろうところの項は、不幸にしてきわめて識られていないひとつの心的作用、すなわち、時間を構成する作用、現在時を精神に於て形成する作用であろう。時間は完全に作られて精神に与えられるのではない。これを証明するには、子供や病人の抱く時間に関する幻想を研究すれば足りよう。(中略)ひとつの精神状態や一群の現象を現在化することに成立つところの、新語を造って現在化作用(pre'sentification)とでも呼びうるところの、ひとつの精神能力が存立する。」(ピエール・ジャネ『強迫観念と神経衰弱』より)*

フロイトが概念を優先させたのに対して、ジャネは概念を優先しない。その態度は些細なことのようだが、臨床の重視にもつながるという意味で大変重要だと思う。概念を優先させることにより、個々の事例研究がおろそかになってしまうのは、狭義のマルクス主義者が信用組合(例:プルードンの交換銀行など)の具体的事例を軽視してきたのと似ている。

本題に戻って、ジャネの時間論についてさらに述べるなら、ここで筆者に思い出される映画がタルコフスキーの『鏡』だ。
この映画のなかでは映画作家タルコフスキー自身の記憶が再構成されているが、それは時間軸に沿っているわけではない。現在と過去は交互に出現し、ラストシーンでは主人公の現在の母と子供時代の主人公が手をつないで草原を歩くといったように、ひとつの画面自体のなかに複数の時間が再構成されるのだ。

フロイトマルクスに影響を受けたエイゼンシュテインの映画が概念を前提に作られているのに対して、タルコフスキーはジャネのいう「現在化作用」、その形成プロセス自体を映画のなかで再現しようとする。

『鏡』の主人公は映画の最後に病気になり寝込むが、精神科医にその病名について「記憶が原因です」と言われる。これは「現在化作用」を見失った映画作家自身の赤裸々な自己批評だと思う。タルコフスキーは後に自著『映像のポエジア』**で、完成間際まで映画の構成が見極められなかったとも語っている。

誤解がないように言っておくと、タルコフスキーの映画は戦争や圧制といった歴史に対しても開かれた映画であり、個人の記憶の中に閉じこもっている映画ではない。
そこには人類史に対する非妥協的は批評精神が存在するのだ(実はこの一点においてタルコフスキーエイゼンシュテインは精神的な相似形をなす)。
タルコフスキーの倫理観は彼の別の作品『惑星ソラリス』の次の台詞が雄弁に語っているように思われる。

「われわれに必要なのは鏡だ」。

この言葉は、他者の欲望に引きずられたり、自己にではなく他者にのみ要求するといった倫理観の欠如した現代の文明の課題を、明確に指し示している、と思う。



*ジャネ自身の著書は入手困難だが、同じ心理学者ミンコフスキーが『生きられる時間(1)』(邦訳p45)で上記のジャネの時間論に言及し、引用している。
**『映像のポエジア』(キネマ旬報社)は現在絶版。復刊が望まれる。なお『鏡』に関しては黒澤明の好意的な批評がある(イメージフォーラムタルコフスキー』)