アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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映画”ヘンリー8世と私生活”1933年をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
名優チャールズ・ロートンがなるほどそうであったかというほどの名演である。
この映画のメインをなすキャサリン・ハワードの野心と繊細を兼ね備えた人物造形は言うまでもなく、映画冒頭で処刑を待つ二代目のアン女王の気品あふれる姿も心を打つ。日本映画の到底到達できそうもない女性群像の数々である。

印象に残っているのは、策が見破られたのも知らずに優雅に踊り続けるキャサリンと恋人の豚追う会の場面であろう。露見した後の二人の狼狽を映画は伝えないが、あの踊りの堂々とした輪舞からして従容として運命を受け入れただろうキャサリンの毅然とした態度を想像することは困難ではない。女性の力、女性の気品というものを見せつけられて、やはりイギリスはすごい国だと思った。

この映画は、何よりも女性賛歌なのである。しかもなよなよしい大和撫子もどきの女性ではなく、毅然と運命に向かいあった。こうした観点で見るとき、ナイーブなくせに大物らしく振舞わざるを得ず、寂しさを馬鹿笑いの陰に押し隠したヘンリーの人間性が一層悲しくも美しく浮かび上がってくるという構図なのだ。

史実がどうであったかではなく、史実以上にレアリティを持ちえた映画、しかもトーキー初期のイギリス映画の実力を見せつけた映画である。舞台装置も、華麗な衣装も、音楽も素晴らしい。


ヘンリーの6人の錚々たる妻の群像については英国海外旅行COMより

1501年に兄、アーサー(Prince of Wales)が急逝したことにより、ヘンリーは皇太子となった。1509年、父の死によりヘンリー8世として即位した彼は、その2ヶ月後、最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1485-1536)と結婚した。

キャサリンは亡くなった兄、アーサーの妻だった。当時、イギリスでは女系への王位継承が認められていなかったため、ヘンリーは息子を授かることを切望していた。しかし、彼女の度重なる流産などにより、結局、女児メアリーしか授かることができず、彼は高齢により出産が難しくなったキャサリンと離婚することを考え始めた。

そして、結婚から22年後、ヘンリーはキャサリンの侍女であるアン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507-1536)と再婚するため、離婚が認められていなかったカトリック教会に対し、キャサリンが「兄アーサーの妻だった」という事実で「婚姻の無効」の認可をとろうとしたが、結局、許可されることはなかった。そこで、ヘンリーはカトリック教会からの離脱を決意し、自ら英国国教会を設立。1534年、アンを正式な王妃に迎えることとなった。

アンはすぐに女児エリザベスを出産したが、その後、男児を流産してしまったことを境に、ヘンリーのアンへの愛情は次第に冷めていった。彼の心はアンの女官であったジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509-1537)に移り、彼女と再婚するために、アンを「反逆、姦通、近親姦および魔術」という無実の罪で裁判にかけ、ロンドン塔で処刑した。

数日後、ヘンリーはジェーンと結婚した。ようやく男児エドワード6世(Edward VI, 1537-1553)を儲けたが、残念ながら、ジェーンは産褥死した。また、エドワードも15歳で病死している。

その後、4番目の妻となったのはアン・オブ・クレーブス(Anne of Cleves, 1515-1557)。しかし、当時の大臣トマス・クロムウェルが画家ハンス・ホルバインに書かせた肖像画とアン本人とのイメージがあまりに違っていたため、彼女に会った直後にヘンリーの不興を買い、わずか半年で離婚されたと言われている。その後、トマス・クロムウェルもこの件の責任を取らされ、ロンドン塔で処刑されている。

同年、ヘンリーはアン・ブーリンの従妹にあたるキャサリン・ハワード(Catherine Howard, 1521-1542)と結婚した。この時、ヘンリーは49歳。キャサリンは彼よりも30歳若く、目に余る自由奔放な振る舞いを続けたことから、彼女もまたアンと同様の理由でロンドン塔に送られ、アンと同じ運命をたどることになった。

最後にヘンリーは、イギリスでは女性として初めて本を出版し、聡明な学者でもあるキャサリン・パー(Catherine Parr, 1512-1548)と結婚した。彼女は、当時、私生児の身分に落とされていたメアリーとエリザベスの地位を「王女」へと戻すことをヘンリーに嘆願し、認められた。そしてまた、彼女はエドワードを含めた3人の教育係を任されるほど、彼からの信頼も厚かった。

結婚3年半目にヘンリーがこの世を去った後、キャサリンジェーン・シーモアの兄と再婚したが、翌年、病死している。

皮肉なことに、ヘンリー8世は息子を授かるために苦労したにもかかわらず、英国史上最も偉大な君主の1人になったのは、娘エリザベス(Elizabeth I, 1533-1603)だった。このエリザベス一世自身も投獄されていたロンドン塔に一度行ってみて、処刑された女性たちの人生に思いを馳せるのも一興、ではないだろうか。

(執筆者 西村あかね)



inseeke より

<あらすじ>

ヘンリー八世の私生活(33米?) ★★★★☆ 鑑賞日 2002.08.15.
The Private Life of Henry VIII
KEYWORDS:【歴史・イギリス】
ヘンリー八世の最初の王妃キャサリンは気が強い女で,離婚.次の王妃アンもお払い箱となったが,それは別の理由によるものだった―
王の寝室でまだ温かいベッドを前に侍女たちが騒いでいる.枕などのAのイニシャルをJにしなければならないのだ.アンは不貞の廉で処刑されることになっており,すでに後がまはジェーンと決まっていたのだ.
口笛を吹きながら回転砥石で剣を研ぐフランス人の首切り役人にイギリス人の首切り人がよそ者だと不平を言う.彼は王妃の不貞の相手五人の首を切ったのだ.それに対し,フランス人はむさくるしい男ならともかく,女性となると繊細さが必要で,フランス人でなくてはつとまらないと言うのだった.
処刑を待つアンは首が落ちても髪が乱れないようにと念入りに支度をする.一方,王はジェーンのことしか頭になかった.気の強いキャサリン,野心家のアンと違い,ジェーンは頭はからっぽだった.枢密院の会合中に飛び込んできたジェーンは婚礼の髪飾りを選んでくれとヘンリーにせがむ.
こうしてアンは断頭台の露と消え,まもなくしてヘンリーに王子誕生の報せがもたらされた.ところが,戻ったヘンリーはジェーンが死んだことを知ったのだった.
王は当然のごとく王子をかわいがったが,四十年間王に仕えてきた乳母は,ひげで肌を傷つけるなとか,日にさらしてはいけないなどとしかり,王も形無しだった.
周囲は世継ぎをもっともうけるために王の再婚を望んだが,王は三度の失敗で結婚はこりごりだった.
不機嫌な王にみな黙りこくる食事の席,王の所望に応えて王がつくった歌を歌ったのはキャサリン・ハワードだった.キャサリンはかつて王も一皮むけば一人の男だと言ったことがあり,王も覚えていた.
王もついにドイツのクレーフェの姫アンとの結婚を考えるようになった.しかし,ドイツ人に美人はいないとの持論の王はPと画家をドイツに送った.ところがアンはPに好意をもってしまい,三人の妃と悲劇的な別れかたをしたヘンリー八世のことを青ひげと呼んではばからなかった.
肖像画を見て王も満足するが,それでもその晩,キャサリンの部屋で歌を聴かせてもらう約束をすることにした.それを見た友人のトマス・カルペパーは,キャサリンを諫めるが,キャサリンはきかなかった.
その晩,忍んでいこうとする王だったが,道々の衛兵たちは「陛下のお通り」と大声で告げる.やっとたどりついた王は,「誰にも気づかれずに来た」と言い,かつてのキャサリンの言葉「国王も一人の男」を実証しようと迫る.ところが,そこにカルペパーがはいってきてアン姫がロチェスター城に到着との報せをもたらした.
アンは今やPと恋仲になっており,なんとかしてヘンリーとの結婚を避けたかった.ヘンリーの前に現われたアンは,しかめつらをしており,動作もぎこちなかった.王は全然美人ではないとクロムウェルを責めるが,どうしようもなかった.
王は「国のためと我慢して」アンの寝室へ.ところがアンは何も知らないふりをして赤ん坊はコウノトリが運んでくるものなどと言う.やむなく王は歌も楽器もだめなアンと賭けトランプを始めた.ところが王の自信に反して王は負け続けた.寝所から出てきた王が金(95クラウン)を持ってこさせる命令を発するのを聞いて家臣たちはあっけにとられるのだった.
王は首をはねるわけにもいかず,腹が立った.まさか離婚に承知してもらえまいとは思っていたが,アンは喜んで承知するとのことだった.その条件は荘園と年金,そして若い騎士Pだった.ヘンリーはアンがはじめからそのつもりだったと悟り,アンは初めて笑顔を見せた.そして,キャサリン・ハワードのことも知っていたというのだった.
ヘンリーは国民の要求であることを口実にキャサリンに求婚した.
五番目の結婚はうまくいったかに見えた.レスリングの観戦中,キャサリンが王が「若いころは強かった」と言ったのに反発し,チャンピオンに挑戦した.王は勝って歓声を浴びたが,発作を起こして倒れてしまった.
これまで王冠に満足していたキャサリンはやはり愛のない生活はつらくなっていた.一方,カルペパーも王妃としてのキャサリンを見ているのが耐えられなくなり,アメリカへ渡る決意をした.アメリカはスペインとポルトガルの領土だと指摘されると,北アメリカだと言う.まだ未開の土地だった.
そのカルペパーをキャサリンはその晩,寝室に誘った.カルペパーは別れを告げに来たが,立ち去れずにいた.そこに思いがけず王が訪れ,カルペパーは身を隠した.王はフランスとドイツを和解させたいと愚痴を言った.ドイツはフランスの半分を,フランスはフランドルを餌に同盟を申し入れてきているが,若いころならいざ知らず,ヨーロッパを戦争に巻き込むわけにはいかないと老境のヘンリーは考えるのだった.
食事の席,ヘンリーは足が痛くて踊れないので王妃の相手をカルペパーに命じた.二人が踊っている間,王は枢密院に呼び出された.ヘンリーは枢密院で王妃のカルペパーとの不義を告げられた.証人もいて事実だと知ると,王はむせび泣いた.
一五四三年,クレーフェのアンがヘンリーに会いに来た.アンは寂しがっているヘンリーに再婚を勧めた.
「最初のように強気でなく,二番目のように野心家でもなく,三番目のように愚か者でもなく…」
「四番目のように詐欺師でもなく?」
「そう.そして五度目のように若すぎもせず.」
そういってアンは,庭で子供たちの相手をしているキャサリンを示した.
数年後,王妃キャサリンはさんざん小言を言ったかと思うとヘンリーの食べていた肉を取り上げ,毛布を掛けて寝かしつけて去っていった.キャサリンが去ったと見るとヘンリーは毛布を捨て,肉をむさぼりながら言う.
「今度のがいちばん悪い.」

王妃たちがそれぞれ個性的に描かれていて最高.そして傲慢ながらも弱気のヘンリーの寂しさもいい.BGMに「悲愴」とマールボロマーチがあった.



監督:アレクサンダー・コルダ
脚本:ラボス・ピロ/アーサー・ウィンベリス
撮影:ジョルジュ・ぺりナル
美術:ヴィンセント・コルダ
衣装:ジョン・アームストロング
音楽:カート・シュローダー

主な出演者:チャールズ・ロートン/ビニー・バーンズ/ロバート・ドーナット/マール・オべロン/ポール・スコフィールド
公開年:1933年
製作国:イギリス
ジャンル:ドラマ/歴史劇