アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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パヴェーゼを読みたくて〜『女ともだち』 

 
 パヴェーゼ最晩年の本、と言うことは、この本を書いてから一年後に彼は亡くなるのだが、あのスキャンダラスでもあればミステリアスな事件とともに。
 
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 先回書いた『美しい夏』とともに、小説設定は似ている。二人のヒロイン、男たちが主要なテーマを演ずることはない。パヴェ〜ゼにとって、何故女流作家のような作品が際立つのか!人は性差の違いを論ずる以前に、何故パヴェーゼがかくも、異性の心理を描きうるのか、と言う点について、不思議に思わなければいけないだろう。
 
 性とはなんなのか。性差とは?
 
 閑話休題。主人公も二人の女たち。戦後の、未だ戦争の傷跡が生々しく残るトリノ、そこにローマから里帰りしてきた熟年の女性デザイナーがいる。小さな街なので彼女はちょっとした有名人になる。故郷に錦を飾ったと言う意味ではないけれども。彼女の周りに群がるトリノの若者たち。なぜか、彼女と同世代の物は少ない、一人の聡明らしい男友達を除いて。彼との間に、恋愛話が成立するのかと思っていたら、そうではなかった。もう一人の、自殺願望の強い、上流階級の娘が一人。ヒロインがトリノに到着した晩に同じホテルで彼女は自殺未遂事件を起こす。二人をつなぐのは、そんな儚い偶然性だけなのである。経歴をとっても、人生に対する態度をとっても、性格や趣向は言うに及ばず共通点は少ない。
 
 しかし経歴こそ語られないけれども、ヒロインは過去に事件を起こしたことのある、「事後」の人間?なのではなかろうか。実際にそう言うことがあったと言うことではなくて、そうした願望を秘めた生き方をしてきた人間の一人であったとしても、かまわない。そうでなければ思春期の小娘の自殺願望にかくも親身に付き合うはずがないではないか。しかもヒロインはローマの本店からトリノに新規に店を開くために派遣されてきた多忙なビジネスマンという設定であったのではなかったか。
 
 物語は、トリノショールームの改修工事と、煩わしい建築家や現場監督たちとのややこしい交渉ごとの記述とともに同時進行する。店はどうにかトリノの一角に竣工し、気難しいローマのおばちゃまワンマンオーナーを迎えて、どうにか開店の目処も立ちそうな雰囲気の中で、あの若い娘は二度目の自殺を試みてそれに成功する。小説はそこで終わる。
 
 パヴェ〜ゼの本は例によって、暗示や言外の黙示によって記述される。説明はなく、所感と客観的記述だけがある。
 誰も若い娘の自殺願望を止めることはできない。もしかしたらヒロインだけがそれができたかもしれない。しかし、彼女は動かなかったし、自殺を阻止する積極的な理由を見出せなかった。
 
 ここで描かれているのは、自殺という名の生命の過剰!のことなのである。
 
 誰もがパヴェーゼの自殺を止めることはできなかった。文学賞を取ったばかりで、これから有名人たちの群像の中に名を連ね始める直前の彼の死、早すぎる青年作家の死!-ー自殺の理由についてはさまざまに噂され、推測されたけれどもいまだに合理的な理由がわかっていない。
 
 自殺に理由など要らないのである。
 
 政治と文学、彼には異質なものの対立を秘めた内面生活と戦前戦中戦後の時間があった。
 戦争を挟んだ動乱の時代に死んだ者たち、彼の戦友とも言える友人知人たち、その中にはギンズブルクもいたはずだ。
 死することによって絶対となった死者たち。
 
 有名人になって、これから華やかな戦後の時代が幕開けされようという時になって、パヴェ〜ぜは重たさに生きていけないと思ったのではなかろうか。戦後の華やかさが予感されればされるほど、そのような時代とは異質なものとしての彼がいた。
 
 戦前中戦後を切り抜けて、本書のヒロインは生きるだろう、パヴェーゼの対極にあるものとして。その生き方は、あるいは生き延びる、という語感こそ相応しいかもしれない。パヴェーゼは自分自身をネガとしてポジを描いた。しかしそうだからと言って、そうだからこそ、より逞しく生きうるのかもしれない、彼女は。
 
 戦後の繁栄の中で、内面にはあの「荒野」を秘めたまま。轟々となる荒野を!風荒む荒野を!
 
 
(追記)
 このほとんど半世紀以上も前の翻訳本を紐解いて改めて思ったことーーこの時代のイタリア文学の本は、フランス語や英語を通じての二次翻訳であったのですね。本格的なイタリア文学者というものはまだ戦後の我が国の文学界には存在していなかった?あるいはいても、とても数が少なかった?ーー須賀敦子の本を読んでいるとなんとなくわかります。