アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ブルームズ デイ アリアドネ・アーカイブスより

ブルームズ デイ
2009-06-06 15:46:27
テーマ:文学と思想

6月6日 土曜日 曇り 今から105年前のアイルランドは首都ダブリンの今日一日の出来事を背景に、主人公レオポルド・ブルームとスティーブン・ディーダラスの一日の軌跡を、ギリシャ神話の英雄おディッセウスの10年間の漂流と祖国への帰還と重ねて描いている。18の章立てはが夫々において、ヨーロッパ最古の叙事詩の一つホーマーの『オディッセウス』の18章にそれぞれ対応しているといわれている。

ジョイスの『ユリシーズ』は、40年前に丸谷ほか訳で一度読んだだけであるから大きなことは言えないが、今日的な意義は二つあるように思われる。

一つは文学史的文献の膨大なデータベース化と、文学作品の科学的構造分析化である。この点については既往の研究家の文献にさまさまに言及されているので多くは論じないが、例えば人物造形において形而上型の類型(文学青年スティーブン)と形而下型の類型(サンチョ・パンサ)。これが悲劇型人間像としてのハムレット型と喜劇的人間像としてのキホーテ型へと幾重にも重合する。不貞の疑いを懸けられているモリオン・ブルームは逆立ちしたドルネーシア姫でありオフィーリアであり、『トリスタンとイゾルデ』神話や『神曲』や『デカメロン』等の主要な文献の影を読みこむことも十分に可能だといわれている。しかし一介の文学愛好者としては、かかる文献的かつ実証的な知見や発見はさして重要なことではなくて、後世のプログラミング的な発想によってこの小説が書かれているということに気づけば十分である。つまり、コンピューターに小説を書かせたら多分こうなるであろうという、高尚であると共に愚かしい実験がなされているのである。

いま一つのジョイスの”発見”は、はるかに重要な諸点である。先にジョイスは18の章を様々な文体でもって書いたと言ったが、真実を語るにはそれを語るに相応しい複数の文体が存在する、という”発見”である。これは簡単には聞き逃すことができない文学上の発見である。とりわけ我が国においては、小林秀雄から江藤淳に至るまで、作家の人格と文体は一体であるという言説がある種の信条告白めいた名人芸において語られてきた。今でもそうだと思うのだが、我が国の文学風土の中で白昼堂々とかかる意見の開陳に及んだならば、文学への冒涜であるという意見が、老いも若きもかかわらず、声高に可なりヒステリックな調子の見解が披露され、魔女裁判じみた糾弾の豆つぶてが飛んでくるはずである。実際にそうならないのは、有名な割にはこの本を誰も真面目に読んでいないからであり、ジョイスの”発見”に気が付いていないからであるにすぎない。

真実を語るにはそれに最も相応しい文体があり、文学遍歴においては複数の文体の利用が可能であるというジョイスの”発見”は、作家の人格や作品における超越的視座の無効を宣言するものであり、神のごとき存在の特権性の前提事項が持つ欺瞞性をあからさまに告知するものであろう。『ユリシーズ』を真剣に読むならば、かってアドルノアウシュビッツ以降の詩のあり方について語ったと同様に、文学を語ることの困難さについて私達は語らなければならなくなるはずである。『ユリシーズ』が語り伝えているのは、文学修業などというものは、最初から「文学」や「芸術」という対象領域が安定的に与えられているのではなく、人間の主体的な思惟や身体性によって初めて延び縮みするという、文学研究の諸前提を崩壊させるような事態だったのである。この点、『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』が秘境的な文体で書かれたことは、大多数の文学愛好者にとって実に大変に幸せなことであったというべきである。今日この日”ブルームの日”がもたらした問題提起と文学的課題を、いまの現代文学のどこの誰が真剣に問い、かつ継承しているというのか。

最後に『ユリシーズ』を初めて読んだ40年前の雰囲気について語りたい。私達の世代は戦争によって価値が180度転換したのち、戦後民主主義と教育理念を、教えられるまま一途に信じた最後の世代である。かかる理念的、教条的枠組みの観点からは、現下の現実が全て不合理であり不条理に見えたものである。もちろん理念や理想といったものは現実と触れ合うことによって、多かれ少なかれ習合の過程をとりいつしか見わけがつかなくなるということもあるだろう。事実、戦後の現実の風化はそのようなものとして進行した。しかし個人レベルでは、谷間の奥や隠れ里のように、かえって戦後的理念が熾烈に燃え盛ることもありえた、そんな最後の世代であった。

わたしたちは戦後的な理念を学ぶと共に、物事の判断もつかない幼い頃から、国際社会における弱小国としての我が国の位置、豊かな国土性も資源も欠いた各自の創意工夫の中にしか国民的未来が存在しない国民であることをずっと教えられてきた。戦後民主主義の理念を奉ずる国際主義者であると共に何ほどか愛国者であった。『ユリシーズ』を共感をもって読んだのには、隣国イギリスの絶えざる政治的圧迫と国民文化の蹂躙、文化的劣等意識と後進国の特殊性があった。『ユリシーズ』や『若き日の芸術家の肖像』で常に背後に通奏低音のように存在しながら、ジョイス個人によっては決して語られることのなかった、反英的政治運動、民族的革命運動、そしてアイルランド文芸復興運動は、今日からは想像もできないほどの現実性を持っていた。20世紀文学の最高峰にして比類なき世界文学の知的な実験的作品などではなかったのである。

『ダブリン市民』最終章の”死者たち”は何度読んでもそれに価するそれ自身すぐれた文学作品であるが、20世紀文学の旗手ジョイスが文学的な形象と引き換えに何を失い、何を犠牲にしなければならなかったかを語っている。桶谷秀明氏の表現を借りるならば、ジョイスはその負債を,未完に終わった民族アイデンティティの亡骸を背負ってヨーロッパ中を引きずって歩いた。『ユリシーズ』末尾の”トリエステチューリッヒ、パリ”とは彼が引きづって歩いた旅程の長さと歳月の重さなのである。そして同じ問いの前に、あの日あの時、僕たちは立たされていた。文学を問うことがそのまま自分自身を問うことであり、日本の政治的現実を問うことにつながる、稀有の時代であった。