アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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フランソワ―ズ・サガンの生きた時代 アリアドネ・アーカイブスより

フランソワ―ズ・サガンの生きた時代
2009-06-21 01:19:49
テーマ:文学と思想

フランソワーズ・クワレーズ、1935年6月21日アヴェロン県カジャール生まれ、2004年9月24日アルヴァドス県オンフールの病院で死去。69歳。もっと若く死去しているような気がするのは、サガンが青春の文学であるからなのだろう。長く行き過ぎたのあもしれない。


ルリエーブルの評伝を読むと意外な事が分かってくる。一つは友人知人に恵まれていたこと、二つ目は彼女の墓には一人の女性が埋葬されており、その名はペギー・ロッシュ。しかし墓標に刻まれているのはフランソワ―ズの名前だけである。この事実は友人に聞いても、風に柳のように流されてしまう。第三者のあなたに何の関係があるというの、とでもいうように。

フランソワーズ・サガンの生涯は、一人の人間として、一人の女性としての人格を成立する以前に作家としての大成が先行した場合の悲劇である。19歳にしてシニスムがにあっており、人生について既に学び終えているように感じられた。若者らしい初々しさとは単にセンスの不足であり、老成した感じが彼女の場合先人たちによって伝えられたフランス的エスプリ、内気さ、育ちの良さとつつましさを隠し持つ、つまりは風俗としてのエレガンスなのである。

こうしてクワレーズとサガンの実生活の文学的現象の逆転現象がおきた。作品によって生み出された文学的空間が私生活に先行し吸収した。フロランス・マルローやベルナール・フランクという当時の知的で繊細な人間もこの魅力に抵抗出来なかった。レジスタンス運動の勝利の記憶は完全には過去形とはならず全能感がおーらのように時代に遙曳していた。この雰囲気の中心にはもっと大きな求心力を持つ存在としてのJ・P・サルトルシモーヌ・ド・ボボアールらがいた。映画ではヌーベルバーグのグループ、そしてフランス映画界の星、アラン・ドロンやJ・P・ベルモンド、ジャンヌ・モローブリジット・バルドーがいた。フランソワ―ズの葬儀は知人だけで質素に行われたのだが、ほとんど面識がなかったといわれるバルドーが、双子の片割れへという言い方で弔電を送ってきたそうである。つまり彼らは一つの時代の雰囲気を生きたのである。

わたしはベルナール・フランクという作家に注目したい。サルトルらによって前途を嘱望されながら作家的習錬の厳しさよりはうたかたのフィッツジェラルド的な生き方を選んだ男。悪く言えば文学ゴロツキ。自己韜晦癖があるので分かりにくいのだが、彼の生き方をみると、遠慮深さ、優しさ、そしてエレガンスと、フランソワ―ズの文学そのものを体現した生き方なのである。男と女の友情はあるとしたらどんな形を取るのだろうか、と思いながら楽しく読んだ。あの時代のフランスなら、何だって可能だったのだろうな、という気持になってしまう。これはもしかしたら、あの時代に生きた自分達の幻想であったのかもしれない。

女性二人が一つの墓で永遠の眠りに就くという感じが理解できなかったが、最近はフランソワ―ズならあり得るような気がしている。日本人は、愛とか恋とかそれが何であるか前もってきまっているかのように思っているらしいのだが、あるいはそれらが肉体的な条件に拘束された現実的な実現形態と感じやすいのだが、しかし、フロイドの言うような生物学的条件、社会学で言うような個人履歴や歴史性というものがそれほど決定的な拘束力を持つものだろうか、特定の人間の場合に。日本人の場合だったら多かれ少なかれそうかもしれないが、フランソワ―ズの場合、それも自然なことであったような気がする。適齢期になれば男女は結婚しなければならないとか子供を産まなければならないとか、誰が決めたのだろうか(もっともサガン個人は結婚もしたし子供も産んだが)。かって太古においては人間の世界の境界領域に妖精や神々が存在したように、彼女の周りには時代のオーラが存在した。これが幻想でありファッションであったというのは容易いのだが、それならその人の主張する現実とはファッション以上のレアリティを持ちえたのだろうか。作家としてのフランソワ―ズ・サガンの生涯に何か教訓めいたものを読み取ろうとするものは、勝手にすればよいのだ、そんなことを独り言のように述懐しながら、墓地への道を見上げながら、埃っぽい南フランスの眠たくなるような日だまりを久々に感じて幸せな気分になった。フランソワーズ・クワレーズ、ありがとう!

<データ>
マリー=ドミニク・ルリエーブル『サガン 疾走する生』水田千奈訳 2009年5月14日初版 株式会社阪急コミニュケーションズ