檀一雄を求めて・7 能古島・(上) アリアドネ・アーカイブスより
10分ほどの船旅でしょうか、ほどなく港に着きました。
今回の目的は檀一雄の歌碑をめぐることにありますから、さて、何処に行こうかとあたりを見回す儀式は今回はありません。
能古島は何度も来てホームグラウンドのように思っていたのですが、少々迷いました。何時も歩いている遊歩道からは逸れた、行きどまりの一本道の途中にあるのです。
小さな島のことですから、迷うと云っても知れています。
檀太郎敵の脇の野道に添って坂を登っていきます。
檀太郎邸は広壮なお屋敷と云う感じでつつ海に南面して建っています。恙無くお過ごしのようで、気分も明るくなります。
一本道からさらに分岐して、ほどなく小道の奥の繁みの脇にそれはありました。
歌碑は、檀家の窓辺からも終始見えるような位置にあります。一雄の墓は柳川の福厳寺にあるということですが、実際にはここが墓所であることが理解できます。太郎氏は墓守としてこの地に移住されたらしいことが彷彿と甦ります。
春のような陽射しをあびて点てて飲むコーヒーの香りは長閑さを引き立てます。一雄に会ってみたかったなと思います。
檀が妻・律子の死を悼んで詠んだ歌 ――
「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」
ほどなく行きどまりになる登坂の一本道を少し過ぎると荒れた墓地がありました。
檀一雄の人恋しさが、街の明かりが見える場所を選んで葬られているという気持ちが去りません。この地を自らの終焉の場所として選んだ太郎氏の心境もまた同じだろうと思います。
道の突き当りは、森の繁みを越えて原生林の暗がりに消えていました。その突き当りの場所には、ほとんどバロック的とも言えそうな、巨大な廃屋模様の三階建ての幽霊屋敷が建っていました。
死者の世界に素人が深入りするのはよいけれども、そのうちに魅入られて、ミイラ取りがミイラになる喩えを想えと、さる神主崩れの占い師に忠告を受けたことがありましたが、恐怖も長きに渡る余命があっての話しだと一蹴したことがありました。
道の辻に立つ逆立ちの壺の意匠として貼られた陶器製の恵比寿様が笑っておいでです。