アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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美学におけるアリストテレス的問いの今日的意義について(2010/10)アリアドネの部屋アーカイブ 2019-08-25 23:06:36

美学におけるアリストテレス的問いの今日的意義について(2010/10)アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-25 23:06:36
テーマ:アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505535355.html
美学におけるアリストテレス的問いの今日的意義について
2010-10-10 22:32:12
テーマ: 文学と思想

芸術興行における 演劇的”身体性”の諸問題をめぐって
     ――美学におけるアリストテレス的問いの今日的意義について――




 ふつう芸術興行というと、"事業" としての経済原則等が主題的・主導的に語られることが多い。また”客席を満席にする”顧客意識は単に事業性の面かだらけではなく、観客-演者が形成する二元論的構図における演劇的空間の本質に関わる問題として、モラールの面からも演劇活動に関わる内外の関係者にとって今日最大の課題といってよい。しかし興行の商業的興行性については ”課題・1”で一部言及していることであるから、ここではよりアカデミズムの領域に踏み込んだ、美学における”身体性を介した芸術”の諸スタイル、すなわち演劇、音楽、伝統芸能の意義について問題提起をしたい。

 こんにち芸術のスタイルは絵画や彫刻、文芸等多岐に渡る。とりわけ近代社会成立以降に於いては純粋芸術の理念の内面的先鋭化に伴い、現代音楽や現代演劇、そして現代詩や小説に至るまで、こと”現代”という形容を冠する限り、その芸術的な理念が先行するあまり一般的な庶民の感性のレベルからの乖離現象を指摘されてから久しい。いわゆる19世紀ボードレール以降の芸術至上主義の提唱と大衆路線との対峙である。前者の場合の不整合や不合理を指摘することは容易いのだが、後者についてもナチズムやスターリニズムによるメディアや芸術の政治的利用など、わたしたちにとっては苦い記憶と反省を伴いって思い出されることも多く、無前提・無批判的に、こんにち美学を論じることはできない。

 さて、今日芸術的興行を巡る美学的課題は、純粋芸術と大衆化路線の対立のみではない。近代の美学理論が芸術家個人の実験室、いわゆるポール・ヴァレリー”テスト氏の独房”での内面化、純粋化、精神主義化への道の果てに明らかになったのは、”身体性”の問題があった。精神と肉体というデカルト的な近代主義的な二元論に準拠してものを考える場合、われわれの最も親しいものとしての ”身体” はどこに属するのであろうか。ハイデガー的に言うならば”いま、身体はどうなっているのか?”。よく知られているのは右手で左手を掴む場合である。握り握り返す人間的所作の過程と最過程とは能動性と受容性、つまり主体と客体の相互的互換作用が間歇的に生じるのが観察され、われわれを驚かすのである。デカルトが主張するような純粋な思惟主体の”我あり”では解決しないのである。

 近代の美学理論が見失ったのは、かって芸術的興行において占めていた演劇的な内延的空間の主客の対位法のみではなく、演劇的興行空間の外部に広がっていた自然、環境、宇宙という外延的世界の存在であった。つまり外延的な世界と内延的な空間を繋ぐものとして、人間のもつ身体性という中核的概念がありえたのである。自然とは、少なくともアリストテレス的世界観においては、一方では内なる自然として、他方では外なる自然として呼応、対応し、聖なるものの領域を屹立させていた。つまりわたしたちの身体は、内的な自然と外的な自然という二つの聖なるものの領域に関わっていた。それゆえ芸術的興行やパフォーマンス芸術としての古典芸能の由縁が、――例えばギリシアの場合、アポロンとデオニッソスの祝祭空間に手向けられた ”はれ”と”け”に関する、聖なるものとしての人間的行為、儀式、非日常的に卓越した祝祭空間であったことは故なしとしない。

 こんにち、芸術的興行を資本主義的"事業”へと単純化することによって見失われたのは、かかる聖なるものに関わることへの人間的敬意であった。芸術とは純粋芸術として、一方ではソクラテスプラトンイデア界のごとく彼方にあるのでも、他方俗塵にまみれて”頽落して”(ハイデガー)あるのでもない。身体性を介した ”いま”と”ここ”に準拠した人称的な意識、芸術的興行とは、芸術文化のあり方に向けられた、最もラディカルな前衛的且つ復古的な、アリストテレス的問いなのである。
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