アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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思想としての原発問題――ギリシア悲劇と現代 アリアドネ・アーカイブス

思想としての原発問題――ギリシア悲劇と現代
2011-04-21 13:44:53
テーマ:文学と思想

アンチゴーネとは、有名なオイディプス王の愛娘です。父王の放浪と死に立ち会った後に起きた相続権を廻る一族のごたごたに巻き込まれて死を選ぶ、有名なギリシア悲劇の登場人物の一人です。

相続権を廻って二人の兄弟が争い、共に相打ちで倒れた後に、敗者である兄弟の一人を平等に弔う権利を廻るドラマなのですね。現世の秩序に逆らい死んでいったものの死者を祀る権利と言ってもよいでしょう。

クレオンに代表する現政権のアンチゴーネに対する仕打ちは過酷でした。彼女の行為とは死者にひとひらの一握の砂をたむけると云う、象徴的な行為でした。何も荘厳な葬儀を執り行え、というものではなかったのです。密かに執り行えばよいものを、一途な悲劇の主人公は衆目の前でこの象徴的な儀式を行いました。このか弱い乙女の手首から出たささやかな瞬間のいち行為が、現政権の権威と秩序を震撼させたのです。

悲劇を明確な意識において対象化することにおいてアンチゴーネは父親を遥かに凌駕しています。ハムレット的な内面の苦悩ではなく、思想を行為として現象化させることの意味を的確に捉えていたと云う意味で自覚にまで高まった悲劇性の顕現ということができます。単に思惟する事のみではなく、生きられ表現されることにおいて自らを開示する時間と空間の質と云うものを語っているのです。現代流の語り方でいえば、語りが行為となり、行為が語りとなる、身体性言語が打ち開く現存在の世界性の開陳について彼女は語っているのです。



同様に、今回の東日本震災と福島原発事故は多くのアンチゴーネを生みだしました。死者の尊厳を保つために弔おうとしても尚多くの方々は瓦礫や冥い水底の底にまで遠く深く攫われ運ばれていき、いわんや原発事故の避難区域においては、あからさまな死者捜索への妨害、死者の尊厳と子供たちの未来性への露骨な文明の挑戦として立ち現われているのです。

死者への弔いとは、生きられなかった未完了の時間性の概念を通じて、一部生きられるであろう子供たちの未来性へと繋がり得るとい言う意味で、死者の尊厳を踏みにじるだけでなく、子供たちの未来に向けられた露骨な挑戦なのです。

復興を語るのは良い。しかし現在と云う時制に過度に固執することは、死者たちの権利や未来の子供たちの未来を犠牲にすると云う意味で、生者の都合、時間性におけるエゴイズムの一形態なのである。また、原発の必要性を語るのは良い。単に現在に生きることが無条件によいわけではなく、如何なる犠牲のもとに生きられた時間はあるのかという苦渋が語られないのであればむなしい。

福島原発事故とは、現在と云う時間性にのみ関わる文明が持つ価値観とその時間形式が問われているのである。嘆き女、アンチゴーネの嘆きは無意味と言えるのだろうか。彼女たちの形なき嘆きの力こそが現世という世界構造の世界内存在としての現存在を裏側から支えているということに思いが及ばないのだろうか。