アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジョージ・スタイナー『悲劇の死』(1961) アリアドネ・アーカイブスより

 
(はじめに)
 もし、以下の文章に心当たりがある方はお読みください。
 
 "近代文学とは、言語の一般的な行為を、ある段階において反省的に捉え直すと云う自我の目覚めと云う時期を経由することで自意識と云う概念を編み出し、いつのころからか自意識こそは文学であると云う、狭く限定された考え方を生み出すに至った。つまりこうした文学観なり言語観の成立のなかで、「悲劇」と云わず、所謂「劇的なもの」が失われていくのである。"(本文より)
 
1.
 購入しておいて忘れていた、という本が随分ある。六段組の本箱七組をある事情で失ったこともあるから、その中に含まれていた本も相当数あっただろう。忘れていたと云うことのなかには、忘れていることに気づかない場合もあるし、気になっていて二冊同じものを購入したと云うことも一度ならずある。こうした本はどちらかと云えば読む時期を逸しているか、未だ機会を得ない本であるうようだ。ところがジョージ・スタイナーの本のように忘れているわけではないけれども浩瀚、博識の書であるがゆえに近付けない本と云うものがあって、それらの本はこのままいけば本に纏わる世評や記憶だけを持ってあの世に読書人としては行かざるを得ない、と云うことになるのだろう。ところが、ここに稀な幸運とも云える事例もあって、読むべき時期が来たことが霊感のように告知され了解される本もあれば、この本の場合のように現在ある自分が意味をどうにかとれる水準に近づきつつあることにどうやら読んでいる過程で気づかされる、と云う本もある。長い読書体験を経てつくづく思うことは僅かなりとも成長していると云う思いもさりながら、本を読むことの愉しみであり、本に出合うことの奇跡のような時の僥倖、感激と云うよりも今更ながらに汲み上げる奥山の泉の水滴のように、静かに燃盛る聖火台の青白き水煙にもにた静かなる闘志ように、一滴、嚥下する喉元を過ぎる感触は、これだけでも生きていると云うことは良いものだと云う感じがする。感じがするなどと云う他人事のようではなくて、この書のような多少因縁がかった書の場合は、あったことはないのに懐かしい友人に出会って気恥ずかしく戸惑う感じ、同じ価値観を同じうしたものが生きた時代の記憶、再帰する回顧的意思にもにてたゆたう、揺曳するあのもどかしいような感じ、在りし日への思い出に手向けられた、村の鎮守のしめ縄と幣のそよぎにもにた風のゆくへ、ものふかき越し方への感慨である。
 
 本の概要は、最初に「悲劇」とは何かを定義している。シェイクスピアの四大悲劇の一角をなすものに『リア王』と云うものがあるが、一読した印象は、身も蓋もない話をシェイクスピアは書いたものだな、と云う深いため息の如きものだった。つまり犯した罪と降され果たされなければならない罰と云うものがあった場合に、罪と罰が重量的に拮抗していない、と云う感じなのである。もっと言えば、犯した罪に対して神が与えた罰は法外であると云う意味である。意ある読者ならばわたくしがイワン・カラマーゾフのことを念頭においてものを言っていることがお分かりだろう。西洋文明とユダヤ思想に通底する両者の不公平感が、例えば原罪の観念を生んだのだろう。日本人からみれば馬鹿馬鹿しく思えることもユーラシア大陸の西方の諸国民族間の歴史的興亡の経緯を踏まえれば日本の一国主義的常民感覚などを超えた、実際はリアリティのある概念なのである。このリアリティを「悲劇」とこそ呼ぶ。そしてその「悲劇」が17世紀以降、どうも死んだらしい、と彼は言うのである。
 スタイナーによれば、こう「悲劇」の文化はギリシア文明に起源をもつもので、それに反するものとしてキリスト教があり、近代の自然科学があった、と云うことになる。何となればキリスト教に固有の「文化」とは、最後は目出度し目出度しで終わる予定調和の物語であるからだ。典型的にはダンテに見られるように、代表作『神曲』が「喜劇」の日本語訳であることにはそういう理由がある。喜劇と云う言葉を一つとってみても、日本語の「喜劇」と云う語感からはこの書が持つ「神聖劇」と云う意味内容は伝え難い。しかし、これだけをもってキリスト教を反悲劇的と定義するスタイナーの論議には無理があって、彼の定義に従えばキリスト教的原罪の概念こそかれが悲劇に与えた定義に相応しい、とわたくしなどは思うのだが。
 それよりも反悲劇的なのは自然科学とルソー的自然主義思想、さらにはそれのキリスト教的折衷の成果たるマルクス主義の場合であって、人間は本来的には善なるものであって、環境が人間を造る、だから環境の改変こそが「悲劇」を「止揚」する。因みに止揚、と云う言葉は七十歳以上のいま生きている青年たちが好んで使った用語である。
 この書は、概略以上のような論旨を基底にライトモチーフのように重低音で響かせながら、ソフォクレスエウリピデスに現れるギリシア悲劇、エリザベス朝とシェイクスピアの悲劇、この二つの悲劇をどう受容したかと云う、イギリス、フランス、ドイツの事情が語られ、イプセンチェーホフの近代演劇に触れ、ワグナーに代表されるオペラの音楽性もまたキリスト教に劣らぬ反悲劇的な効力を発揮した事情を記し、最後は、正の評価としてはクローデルブレヒトを、そうでないものとしてはイェイツやエリオット、ベケットなどの形而上学劇なども論じると云う、博識、浩瀚の書物なのである。
 
 この本で悲劇の定義とともに重要な副通奏低音を成しているものは、悲劇と韻文の結びつき、それが如何にして散文と云う文学形式に駆逐されていったかを語ることが、近代以降の「悲劇の死」の所以を語るものともなっている。韻文としての悲劇を死に追い込んだものこそ、散文芸術の成果たる小説のことなのである。つまりこの本は、同時に近代文学の成立の事情と小説と云うジャンルの起源を語ったものとしても読むことが出来る。
 ヨーロッパの二千年以上に及ぶ文学史を「悲劇の死」と云うキーワードのもとに通史として語る壮大なスタイナーの試みのことであるが、悲劇の生と死にはそれぞれ文学形式としての韻文と散文が関係してくる。韻文とは、往古の芸術や文学がそうであったように、世俗とは区別された貴種の人びとの世界の出来事であった。それゆえに悲劇の当初の定義としては『リア王』に典型的にみるように、高き位にあるものが如何にして没落していくかを語る、語りと伝承の世界のことなのであった。庶民や民衆や下々は、望んでも「悲劇」を演じることはできない。
 他方、散文とは、庶民や下々が言語の普及によって己を語る機会を与えられて以降の文学形式なのである。後の古典的な意味で悲劇と云う事態は馴染まない庶民のレベルで悲劇はいかにして可能なものとなるかをめぐって、小説と云うジャンルは発達してきた、と云うのである。そうして劇作家もまたその影響を受けて、あるいは同時並行的な事象として、散文としての劇形式に「悲劇」を盛ると云う試みがなされてきたのである。
 
2.
 最後に感想めいたことを付け加えるならば、スタイナーが韻文と散文を悲劇の概念に関連づけた点については、わたくしは言語の所作性と書記性ということでも同様のことを考えている。
 つまり悲劇の死はスタイナーの言うとおりであったにしても、韻文と散文の考察に加えて、文学であるか否かを問わず広義における言語による表現行為は、近代以前においては書記性言語の行為のみを意味しなかった。口承性言語もあれば所作性言語も身体性言語もあった。近代文学とは、言語の一般的な行為を、ある段階において反省的に捉え直すと云う自我の目覚めと云う時期を経由することで自意識と云う概念を編み出し、いつのころからか自意識こそは文学であると云う(注・1)、狭く限定された考え方を生み出すに至った。つまりこうした文学観なり言語観の成立のなかで、「悲劇」と云わず、所謂「劇的なもの」が失われていくのである。
 さしあたりは、「悲劇」をテーマに選ぶか「劇的なるもの」を選ぶかの違いであるが、スタイナーが「悲劇」に拘るのは、最初のころに述べた彼の悲劇についての定義、罪と罰との間の不均衡さについての彼の歴史的感慨が、同時代人としての痛切な歴史感覚が彼が経験した欧州におけるユダヤ人の悲劇と云う、20世紀における人類が経験した未曾有の出来事を踏まえているからだ。わたくしにとっては文学や言語論の問題に過ぎないものが、在留ユダヤ人である流浪のスタイナーにとってはそうはいかないのである。とはいえスタイナーの「悲劇の死」に関する考察は、語りにおける主体の貴種性の喪失と同値同価のものとして語られかねないかの誤解を生みかねない。むしろ語りとしての文学と云う限定項を外して、人間的諸表現の学なり技芸、芸能の問題として普遍化したほうがよりよいのではないかとわたくしなどは思い始めている。
 スタイナーが悲劇に与えた定義は、同様に「悪の凡庸さ」について語ったハンナ・アーレントの言説とも響きあうものを持っている。とりわけ20世紀以降の時代において何故悪は「凡庸さ」の形態をとるようになったのか。それに対する答えの一端はこの書で既に答えられている、――歴史の背景には「悲劇の死」と云うものがあり、悲劇の主役が高貴なものから凡庸なものへと変わったからである。凡庸なるもの、決して平凡な小物であることを意味しない。悪の論理はそれ自身の厳格な冷徹性の法則と規則を持ち、小物や侏儒たちを時には利害や打算を超えた次元で突き動かし、――すなわち、ぬけぬけとある日を境に白昼堂々と「正論!」を尤もらしく吐露させ(注・2)、自らの論理を非情に自己貫徹するのである。かかる悪の論理自律性こそ、かってマクス・ウェーバーが与えた定義こそが、「悪の凡庸さ」に並ぶもう一つの定義を、つまり悪魔は狡猾であり悪魔に対峙し十分に拮抗するためには善悪の二元論的発想を諦めて、悪魔を出し抜くまでに悪の論理に精通したものにならなければならないと云う皮肉な結論へと導く。そもそも悪の論理に精通し、悪魔を出し抜くと云うまでに利口になると云うことが人間業として可能なことなのであろうか。
 さもあれ片方の脚の一端を絶望と云う名の淵に差しかけながら、かかるスタイナーの人類の行方に対する深い憂慮とも懐疑とも憂愁ともとれる人類史的黄昏についてのモーゼ的歴史経験をとらえつつ本書を紐解くことこそ、21世紀以降を生きるわれわれにとって本書を読むことの意義の大半はあると云うべきだろう。
 
 
 
(注・1) 昭和の文学の一世を風靡した感がある小林秀雄から江藤淳吉本隆明磯田光一らの文学観を念頭においている。
(注・2) この段落は、憲法改正に狂奔する昨今の”厚化粧のオオカミ少年こと、某首相のことを文章の含意として含んでいる。もしジョージ・スタイナーが今日まで生きていて日本の実情を話す機会がもしあったなら、彼の反応を知りたいと思う。
 
 
 
(使用したテキスト) ならびに あとがき)
喜志哲夫・蜂谷昭雄共訳『悲劇の死』 筑摩書房1979年
 ”その頃わたくしたちの部室はだだっ広い駐車場のような講堂地下の空間の中に薄いべニア板で仕切られてあった。時々なぜか理由もなく停電してちかちかする部室のなかで寄り合って話題になった本のなかに、本書やエドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』、ルカーチの『歴史と階級意識』などがあった。地下の階段を上がった鋭角的に拡がった外の世界はあの当時、全国一円の学園やキャンパスには不穏な空気が流れていたが、知ってか知らずか停電の暗がりのなかで煙草の灯だけを頼りに世間知らずのわたくしたちは夢中になるべき本たちのことを語り合い、最後の時間経験とも呼べるべきものがあの夏のなかに遠い雷鳴のように過ぎていった。・・・・・”

”ことば”の揺籃のなかへ!――なぜ”思想”と云わないで”言葉”と云うのか アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 言語学と云う分野は形而上学と云う言葉と同じく難しそうで学んだことがありませんが、最近は、従来であれば「思想」と云うところを、無意識のうちに、「ことば」もしくは「言語」の問題と、書いてしまいます。
 
 何が違うのかと云えば、こういうことではないかと、最近は感じております。
 
 ものを考える形や考えた結果を、思想、と呼ぶ場合は、一方では、言語との関わりから云うと、言葉が「思想」を十全には表現しえない場合がある、と云う含意があるように思われます。
 
 考えてみれば、往古より、意あってことば足らず、と云う言い方もあるように、常識的な見方とも整合しています。言葉にならないとか言語に尽くしがたいとか、感動を、そのまま言語にすることが出来ないで、感嘆の気持ちを表現することがあります。
 
 ことばを重視する立場はこれとは違った源流があって、言語一元論”擬き”とでも云うべきもので、思想やものの考え方やその結果などは、言語を離れてはあり得ない、と云う考え方です。これが一つです。
 
  二つめの問題は、言葉は言語と云う表現されたものである限りにおいて問題となるのに対して、”思想”の方は、わたくしたちに対して、場合によっては、”超越”の問題として現れるからです。かかる”超越”の立場から見れば、言語論は”内在”の問題として現れます。この問題は、後半に於いて論じます。
 
 さて、一番目の考え方は、思想や心理と云うものは、言葉で表現化されたかぎりにおいてしか、存在しえない、と云う立場です。つまり言語と云う表現の媒体手段を超えて、思想やものの考え方は存在しない、と云う考え方です。随分堅苦しい考え方かなと思われるかもしれませんが、考えてみれば哲学上の古くて新しい問題――”超越”と”内在”の交錯した問題に、一部、どうしても触れてくるのです。
 
 むしろ、最近のわたくしはこのように考えているのです。
 
 存在と言葉をめぐる問題は言語一元論”擬き”の方が古く、――ここには”経験”の発生の問題が生じてくるのですが――言葉の世界に自足していたものが、ある段階から”反省”と云う言語行為や思考と云う形式を学び、言語の外側に”超越”としての”思想”やさらには”哲学”、”神”、”宗教”、そして”法”や”国家”概念のようなものまで編み出したのではなかろうか、と。
 
 これらの諸概念が成立を見た知場(地場)こそ、”経験”と云う世界の成立ではなかったか。
 
 そして、”経験”のなかで様々な事物が確定されていく、丁度、『創世記』において、初めに言葉ありき!言葉は神とともにあった。言葉は神とともに、人間を、そして万物を指名して創造した、と”旧約聖書”にもあるように。わたくしはキリスト教徒ではありませんから正確な要約になっていないのかもしれませんが、聖書は言語に関わる一端の真実を表現したものではないかと考えています。
 
 ”存在”は、”ことば”の揺籃のなかで生まれ、”経験”となる。この段階では”ひと”は未だ”世界”に存在してはいなくて、”言葉”と”神”のみが際立って在りと云える時代がかってあった。やがて”ことば”と”神”の共労作業のなかで、”世界”が、そして”経験”が”天地創造”のレベルにおいて誕生する。
 
 ”経験”のなかで、”ことば”は”言葉”なり”言語”へと変貌する。一方、”天地創造”のなかで誕生した”言葉”や”言語”にとっては、かって”神”が占めていた領域が、ある場合は”超越”なるものとしての世界、として人間の前に聳え立ち、ひとは、そこから”思想”や”宗教”の問題としてこれを語るようになる。
 
 ”思想”として語ることと、”言葉”として語ることの違いは、後者にはないものとしての、”超越”の問題がある。より正確に言えば、”超越”の発生的起源に迫る問題群があると考えられる。
 
 
 それゆえ、いきなり”思想”や”宗教”を”言葉”や”言語”的な行為として既成的なレベルで語るよりも、より先験的な”ことば”の次元まで降りて行くことが必要ではあるまいか。
 
 ”ことば”の次元で、あの古くて新しい永遠の課題、――カントの”物自体”、アリストテレスの”第一原因”の問題に逢着するのではあるまいか。あるいは、”物自体”(存在)や”第一原因”に先立つものとして”ことば”はあるのではないのか?ハイデガーふーに云えば、言葉は存在の”家”として。
 
 
 ”存在”と”ことば”をめぐる秘境性を帯びた問題は、”言葉”や”言語”、さらには人間にとっての”経験”的地平の問題――実際にはこの段階で”人間”は誕生する――、いわゆる”超越”の問題、――”思想”、”宗教”、”法”、”国家”の、いわゆる”形而上学的領域”の誕生――に関する秘密をみる手掛かりを与えてくれているように、わたくしには思われる。
 
 ”ことば”はわたくしを何処に連れて行こうとしているのか。
 かってイタリアの詩人ダンテが”希望”と云う言葉を捨てたように、20世紀の人、マックス・ウェーバーデューラーの有名な騎士に擬えて、半眼に眼を見開きながらも視線を落とし、気配を消しながら黙々と鋭意、騎馬を進める。視界は完全に閉ざされている。道案内をする動物たちは猛々しく不気味で、あるいは心もとないほど頼りげなく、裏切りに予感さへ仄めかせながら、敵か味方か分別できない。ソフォクレスオイディプスが盲いることによって心眼と云う黙示録的啓示を学んだように、かって先人たちが歩んだ足跡も荒野の中に消え、やがて未知の鬱蒼とした森が覆いかぶさってくる。
 言語は夜警の梟ようにひとり目覚めていなければならない。
 
 知的遭難を怖れずに進んでみよう。スフィンクスの謎を解いた不吉と云う名の村の辻を過ぎれば、帰路を表示した路傍の道標は既に歴史的始原の黄昏のなかに吹き晒されて行方は不分明になってしまった。アンティゴネ―に手を手を曳かれ導かれるままに、予兆と予感に震えながらも却って意欲は日々甦る。
 
 ”世界”を己が世界とするものは、肉体と云う条件が人間であることの条件である限り、シートンの物語のように、野生のなかに屍を晒さなければならない。
 
 
  ”ことばの揺籃のなかへ!”

『太陽の季節』小説と映画制作の間・(下) ”太陽の季節”を終焉させたもの  アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 手短に、要点だけをお話ししましょう。
 『太陽の季節』エンディングは、後年の村上春樹の『ノルウェイの森』と並んで、印象深いものの一つです。一世を風靡した二人の作家による、二様の青春の終わりを描いたメモリアル・エンディング、さっそく解説に入ります。
 愛が、金銭で換金可能か、愛の類似ロシアンルーレットゲームの終わりのあとには、妊娠と流産と云う事件が続いていました。小説では、処置の時期の遅延が流産の理由として説明されています。しかし英子の意図性を完全には払拭できない、解釈の多義性もまたこの小説にロマンスとしての膨らみを与えています。
 1950年代において未婚の高校生男女が子を産むべきか否か、あくまでロマンと云うつくり話のこととはいえ、こうした状況においては、今日の読者の方が身近に感じることが出来ます。通常、男はこうした立場のおかれた時、自らの卑劣性と直面するのですが。
 そこは行動主義の作家、石原慎太郎氏、さり気なく流しています。英子は小さな診療所に友人に一人看取られて流産し、都合がよいことには、彼女もまた赤子のあとをともに運命を追います。二人の間にあった、イデオロギーの対立とは、眼に見えないものの価値をめぐる言葉なき論戦でした。英子が、葉山の沖の深海で巡り合った、水の洗礼、海の洗礼、とでもいえるもの、それは同世代にしては経験豊富な彼女が未だ経験したことのない事態でした。彼女は、その未知なるものの前で震え、そして自分であることを自覚したのです。
 通常愛は、孤独であることを癒すものだと信じられてきました。しかし彼女が経験した愛は、人を隔絶した孤独へと誘うものでした、肉親や恋人の愛からすらも。かかる経験は、日本文学の伝統線上においては語って来られない奇妙な事態でした。彼女がフランス文学の愛の珠玉の往復書簡と呼ばれる『アベラールとエロイーズ』を読んでいたらと思います。読んでいれば自殺することはなかったのです。愛の経験は、一億の日本国土と風土のなかで自分は自分の足で一人屹立している、とでも言うような極度の緊張感、極度の寂寥に彼女を追いこんだのです。ここには、恋人ですら救えない愛の絶対零度、燃盛る炎がそのまま凍る愛の時刻がありました。
 愛の極限の姿が、いまだ二十歳前の津川に分かるはずはありません。しかしこうした形で死なせ死なれたとき、彼は自分に突き付けられた問いが、死と云う事態を経由することで、変更の利かない、絶対的な姿で自らの眼前に聳えつつあることを理解した筈です。
 青年・津川にはもうひとつ、英子の愛から疎外される要因がありました。それは超越的な存在によって数奇に引き回された国民の体験の上に築き上げられた、青年たちの昭和の性愛観と云うものがあったのです。天皇制に全ての原因を帰すことが出来ないにしても、現実には国民経験として数百万人に及ぶ同胞の死を見捨てて戦後という社会はその軌道を走って見えるかの時期にありました。超越的なものの存在の罪過を骨の髄にまで経験した国民にとって、これから相手にすべきは、確実に眼で見え手に触れることが出来る存在のはずでした。津川の愛のストイシズムと云うものも、単に感性の問題だけではなかったのです。愛もまた、情緒や感情などと云う湿気を帯びた不明朗なものを払拭した、ドライで値引きのない正価で取引できる、換金可能なものでなければならなかったのです。これが、”太陽族”の、あるいは戦後世代のイデオロギーともいえるものでした。こうした世界に――”太陽族の季節”――に、再び、愛などと云う、不可視のもの、超越的な観念体系を持ち込むことは明らかなルール違反である、と彼らには思えたのです。
 英子の葬儀の場に一人臨んで、遺影の写真に向けて香炉の壺を投げつけると云う破壊行為、居並ぶ黒づくめの親類縁者や参列者の列に対して、貴様らに何が分かると云うのか!という、怒りと悲しみが入り混じった感情を後づける言葉はありませんでした。彼の前には、死ぬことによって絶対的なものとなった死者の、見上げるばかりの卓越があるばかりでした。
 この有名なエンディングシーンを説明できる二つの言語があります。
 一つ目は、行為のなかには言葉で説明できないものがある、という意味に於いてです。芸術は、しばしば言葉を超えたものを表現できる、と云う謂れがあります。
 二つ目は、石原慎太郎氏の作家としての資質が言語化を阻む性質のものだったと云うことです。つまり、言葉を超えたものを表現すると云うそのことは、芸術家としては長所として評価できるのですが、そこで云われる才能の質とは、極限態としてある行為を慎太郎氏の言語は追跡できない、あるいは肉薄するだけの脚力に欠けていた、という意味です。
 むしろ人間的行為とは、それが極限態に近づけば近づくほど、純度が高まれば高まるほど明晰になる、あるいは分別自ずから明らかになり論理的にも言語論的にもなる、と云う経験もこの世には存在します。こうしたタイプの人間は例え政治の場に出て行って時と所を得ず、立場を得ることができなくても、敗北や自己崩壊の姿を言語化できるものなのです。あるいは殿の将となって後退線を指揮しつつ、ことの仔細を記録に留め後世の判断にゆだね且つ後世の資とすると云うことが可能なのです。
 政治的高揚期に於いて革命的であり得たものが何故、後退期に於いては一様に保守化するのか、と云う ”自然法則” をわたくしはここでも思い出します。自らの水準を維持できず、自らの行為や行動を明示的に言語化できない才能の「質」を持った人間は、歴史に同調、同化するほかないのですから。
 こうした才能の「質」を持った人間は、ラッパ吹きにはなれても、政治家になってはならないのです。
 
 お読みくださって有難うございました。

10月のベスト10 6位から10位まで (中間発表)

 

 6位以降も、細かい順位の入れ替わりを除けば、大きな変化はないようです。

 10位に、鴎外と漱石比較文学論が入ってきました。

 鴎外も漱石ももっともっと読んでほしいですね。歓迎すべき傾向です。

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12591247828.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12510857022.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12511881724.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505536842.html

 

 

10

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12510864899.html

 

 

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10月のベスト5(中間発表)

10月のベスト5(中間発表)

テーマ:

 先月に引き続いて私の政治論が一位を維持しています。有難くも恐縮でもあるのですが、私のような者の政治的見解にお付き合いくださりありがとうございました。

 その他もあまり変動はないのですが、久しぶりに吉本隆明の名が5位に顔を出しました。

 吉本とは、そのうちにもっと本格的に鋭意、対峙対当したいと考えているのですが、このところ根気がありません。遅ればせながら、太宰などを読んでいます。

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505575180.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505536329.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12537242557.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12512191978.html

 

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505534969.html

 

 

『太陽の季節』小説と映画制作の間・(中)アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 ロシアンルーレットと云うのがありますが、喩えとしては適当ではないのかもしれませんが、命を懸けた緊迫感と云う点では『太陽の季節』のなかでクライマックスを築く、津川と英子の間に演じられた愛の金銭売買ゲームを擬えて語ることが出来ます。
 この場面の前段としては、本編の白眉とも云える、葉山の沖での水の洗礼、海の洗礼、とでも言わるべき場面があります。誰もいない沖合にヨットを進めて、死と生とが背中合わせになった海の深層の経験の中で、英子はなにものかの神秘の到来を予感します。その何ものかの神秘の到来が、二人の恋人を、津川と英子を永遠に隔てるものになるのです。
 そのなにものかの神秘を、愛 と名付けることは余りにも容易でしょう。しかし歌に歌われた月並みな愛と呼ばれたものも、当事者の意識として内側から眺めた時は、ある種の固有さの到来であると自覚されます。ですから、愛は好いた惚れたではなく、自分が隔絶された自分自身であることの自己意識の確認なのです。その何ものかの神秘をめぐって英子は、その何ものかの固有さが果たして金銭によって換金可能か、というゲームの挑戦を受けざるを得ないのです。
 こうして津川の兄と言う資格で道久が登場してきます。津川が英子の愛を五千円で売買すると、その都合ごとに彼女は道久から五千円で買い戻します。彼女は潤沢な資金に恵まれたブルジョワの娘ですから津川の挑戦に無限に応じるかに見えます。しかし循環する金銭のロシアンルーレット様が演じられるにつれて、凄みさへ感じさせます。金銭の積み上がりが嵩を持ち始めたとき、二人の真剣さの間にあって道久は怖くなって、ゲーム参画からの辞退を申し出ます。この、太陽族の生態を、「外部から」見ていただけの男が、誰であるかを映画を造る側も観ている側も暗黙の前提として知っています。映画はこのような楽しみ方が出来るのです。
 映画『太陽の季節』は、作者自身の自画像を、作者自身も気づかない形で、巧妙に、映画の中に作中人物として取り込んだ、稀有と云える巧みな批評的な作品になっているのです。
 
 昨今、豊洲移転の問題に絡んで、武士道とかもののふの倫理とか言っていた人が、追及する側の現行都知事を法的処置に訴えると云う笑える話がありました、口では果し合いに出かける、仇討ちだ!と云いながら、訴える先が「お上」であったと云うことは笑えない喜劇、笑劇として今後も終始していくかにみえます。大きな言説を述べた方がお笑いバラエティ番組風の結末を演じる、哀しいことですが、少なくとも芸人は役割を理知的な醒めた知性によって演じてはおりました。笑止と言うべきか。
 誰しも、追い詰められれば嘘もつきたくなるし、他人のせいにしたくなる、これは当たり前の現象でしょう。そのことで人は石原慎太郎氏を非難してはならないのです。そういう自分だって、その場の立場に置かれたら同じような行動をしないとは言い切れないからです。
 大事なことは、彼の政治家としての、あるいは人間としての駄目さ加減が、作家としての資質のなかの傾向とどのように連動していたかを吟味することなのです。たまたま若書きの、素材の卓越が際立っただけの作品が過去に売れたと云うことだけをもって、きちんとした日本語の問題として一度として正当に評価されることもなく、斯界の重鎮然とした扱いを受けたこと、その資質がそのまま政治の世界に無自覚なまま持ち出され、漂い流れ出てしまったのがこの結果、その結果が数十年後どのような結果や結構に結実を生んだのかと云うこと、人の人生を評価する場合、そのセクションごと、カテゴリーごとのきちんとした評価をしてこない国民性がここに来て本園と建前の間で齟齬を来したと云うこと、であると思います。この国には、プロフェッションとして項目ごとに評価すると云う習慣に欠けているところがあるのです。何となく出来てしまうのが職業の一つとして政治家が存在するわけではありません。
 次回は、慎太郎氏の、作家としての資質のその「質」について論じてみたいと思います。

『太陽の季節』小説と映画制作の間・(上) アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 石原慎太郎氏の50年代の諸作を読んでいて感じたのは、『太陽の季節』だけが今日においても十分な説得力を持って読めるし、作品の出来栄えだけでなく、作者の登場人物に対する距離の取り方や、対象的世界への同化度について、際立ったとまでは言わないにしても、有意な違いが感じ取れたことです。『太陽の季節』とその他の作品との間の味わいがまるで違うのです。
 理由は様々にあるのでしょうけれども、ひとつは、小説的世界に展開された素材の卓越、と云うことがあったのだと思います。映画製作にあたった古川卓己監督と云う方をよくは知らないのですが、彼は映画化にあたって、自らが知らない世界の映像的再現にあたって、裕次郎氏に助言と協力を求めたと云われます。小説『太陽の季節』が生み出されるに至った機縁については、たまたま、偶然に裕次郎氏の記憶に残った話を伝え聴いたことからだったと聴いています。この伝聞が面白いのは、裕次郎氏が伝え聞いたと称している話の主格が、実際には裕次郎氏本人である可疑性をのこして、映像的世界にある種のロマン主義的な膨らみを残している点でしょうか。
 
 本作については今までにも度々言及してきましたし、述べたいこともあらかたは完了していると云う自信がありますので、今回は誰の目にも見やすい事項を、しかもこの点について誰しもが今までに言及していたわけではないので、ピンポイントに、この点、強調しておきたいと思います。
 『太陽の季節』、小説と映画の違いはなにか。