アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジョージ・スタイナー『悲劇の死』(1961) アリアドネ・アーカイブスより

 
(はじめに)
 もし、以下の文章に心当たりがある方はお読みください。
 
 "近代文学とは、言語の一般的な行為を、ある段階において反省的に捉え直すと云う自我の目覚めと云う時期を経由することで自意識と云う概念を編み出し、いつのころからか自意識こそは文学であると云う、狭く限定された考え方を生み出すに至った。つまりこうした文学観なり言語観の成立のなかで、「悲劇」と云わず、所謂「劇的なもの」が失われていくのである。"(本文より)
 
1.
 購入しておいて忘れていた、という本が随分ある。六段組の本箱七組をある事情で失ったこともあるから、その中に含まれていた本も相当数あっただろう。忘れていたと云うことのなかには、忘れていることに気づかない場合もあるし、気になっていて二冊同じものを購入したと云うことも一度ならずある。こうした本はどちらかと云えば読む時期を逸しているか、未だ機会を得ない本であるうようだ。ところがジョージ・スタイナーの本のように忘れているわけではないけれども浩瀚、博識の書であるがゆえに近付けない本と云うものがあって、それらの本はこのままいけば本に纏わる世評や記憶だけを持ってあの世に読書人としては行かざるを得ない、と云うことになるのだろう。ところが、ここに稀な幸運とも云える事例もあって、読むべき時期が来たことが霊感のように告知され了解される本もあれば、この本の場合のように現在ある自分が意味をどうにかとれる水準に近づきつつあることにどうやら読んでいる過程で気づかされる、と云う本もある。長い読書体験を経てつくづく思うことは僅かなりとも成長していると云う思いもさりながら、本を読むことの愉しみであり、本に出合うことの奇跡のような時の僥倖、感激と云うよりも今更ながらに汲み上げる奥山の泉の水滴のように、静かに燃盛る聖火台の青白き水煙にもにた静かなる闘志ように、一滴、嚥下する喉元を過ぎる感触は、これだけでも生きていると云うことは良いものだと云う感じがする。感じがするなどと云う他人事のようではなくて、この書のような多少因縁がかった書の場合は、あったことはないのに懐かしい友人に出会って気恥ずかしく戸惑う感じ、同じ価値観を同じうしたものが生きた時代の記憶、再帰する回顧的意思にもにてたゆたう、揺曳するあのもどかしいような感じ、在りし日への思い出に手向けられた、村の鎮守のしめ縄と幣のそよぎにもにた風のゆくへ、ものふかき越し方への感慨である。
 
 本の概要は、最初に「悲劇」とは何かを定義している。シェイクスピアの四大悲劇の一角をなすものに『リア王』と云うものがあるが、一読した印象は、身も蓋もない話をシェイクスピアは書いたものだな、と云う深いため息の如きものだった。つまり犯した罪と降され果たされなければならない罰と云うものがあった場合に、罪と罰が重量的に拮抗していない、と云う感じなのである。もっと言えば、犯した罪に対して神が与えた罰は法外であると云う意味である。意ある読者ならばわたくしがイワン・カラマーゾフのことを念頭においてものを言っていることがお分かりだろう。西洋文明とユダヤ思想に通底する両者の不公平感が、例えば原罪の観念を生んだのだろう。日本人からみれば馬鹿馬鹿しく思えることもユーラシア大陸の西方の諸国民族間の歴史的興亡の経緯を踏まえれば日本の一国主義的常民感覚などを超えた、実際はリアリティのある概念なのである。このリアリティを「悲劇」とこそ呼ぶ。そしてその「悲劇」が17世紀以降、どうも死んだらしい、と彼は言うのである。
 スタイナーによれば、こう「悲劇」の文化はギリシア文明に起源をもつもので、それに反するものとしてキリスト教があり、近代の自然科学があった、と云うことになる。何となればキリスト教に固有の「文化」とは、最後は目出度し目出度しで終わる予定調和の物語であるからだ。典型的にはダンテに見られるように、代表作『神曲』が「喜劇」の日本語訳であることにはそういう理由がある。喜劇と云う言葉を一つとってみても、日本語の「喜劇」と云う語感からはこの書が持つ「神聖劇」と云う意味内容は伝え難い。しかし、これだけをもってキリスト教を反悲劇的と定義するスタイナーの論議には無理があって、彼の定義に従えばキリスト教的原罪の概念こそかれが悲劇に与えた定義に相応しい、とわたくしなどは思うのだが。
 それよりも反悲劇的なのは自然科学とルソー的自然主義思想、さらにはそれのキリスト教的折衷の成果たるマルクス主義の場合であって、人間は本来的には善なるものであって、環境が人間を造る、だから環境の改変こそが「悲劇」を「止揚」する。因みに止揚、と云う言葉は七十歳以上のいま生きている青年たちが好んで使った用語である。
 この書は、概略以上のような論旨を基底にライトモチーフのように重低音で響かせながら、ソフォクレスエウリピデスに現れるギリシア悲劇、エリザベス朝とシェイクスピアの悲劇、この二つの悲劇をどう受容したかと云う、イギリス、フランス、ドイツの事情が語られ、イプセンチェーホフの近代演劇に触れ、ワグナーに代表されるオペラの音楽性もまたキリスト教に劣らぬ反悲劇的な効力を発揮した事情を記し、最後は、正の評価としてはクローデルブレヒトを、そうでないものとしてはイェイツやエリオット、ベケットなどの形而上学劇なども論じると云う、博識、浩瀚の書物なのである。
 
 この本で悲劇の定義とともに重要な副通奏低音を成しているものは、悲劇と韻文の結びつき、それが如何にして散文と云う文学形式に駆逐されていったかを語ることが、近代以降の「悲劇の死」の所以を語るものともなっている。韻文としての悲劇を死に追い込んだものこそ、散文芸術の成果たる小説のことなのである。つまりこの本は、同時に近代文学の成立の事情と小説と云うジャンルの起源を語ったものとしても読むことが出来る。
 ヨーロッパの二千年以上に及ぶ文学史を「悲劇の死」と云うキーワードのもとに通史として語る壮大なスタイナーの試みのことであるが、悲劇の生と死にはそれぞれ文学形式としての韻文と散文が関係してくる。韻文とは、往古の芸術や文学がそうであったように、世俗とは区別された貴種の人びとの世界の出来事であった。それゆえに悲劇の当初の定義としては『リア王』に典型的にみるように、高き位にあるものが如何にして没落していくかを語る、語りと伝承の世界のことなのであった。庶民や民衆や下々は、望んでも「悲劇」を演じることはできない。
 他方、散文とは、庶民や下々が言語の普及によって己を語る機会を与えられて以降の文学形式なのである。後の古典的な意味で悲劇と云う事態は馴染まない庶民のレベルで悲劇はいかにして可能なものとなるかをめぐって、小説と云うジャンルは発達してきた、と云うのである。そうして劇作家もまたその影響を受けて、あるいは同時並行的な事象として、散文としての劇形式に「悲劇」を盛ると云う試みがなされてきたのである。
 
2.
 最後に感想めいたことを付け加えるならば、スタイナーが韻文と散文を悲劇の概念に関連づけた点については、わたくしは言語の所作性と書記性ということでも同様のことを考えている。
 つまり悲劇の死はスタイナーの言うとおりであったにしても、韻文と散文の考察に加えて、文学であるか否かを問わず広義における言語による表現行為は、近代以前においては書記性言語の行為のみを意味しなかった。口承性言語もあれば所作性言語も身体性言語もあった。近代文学とは、言語の一般的な行為を、ある段階において反省的に捉え直すと云う自我の目覚めと云う時期を経由することで自意識と云う概念を編み出し、いつのころからか自意識こそは文学であると云う(注・1)、狭く限定された考え方を生み出すに至った。つまりこうした文学観なり言語観の成立のなかで、「悲劇」と云わず、所謂「劇的なもの」が失われていくのである。
 さしあたりは、「悲劇」をテーマに選ぶか「劇的なるもの」を選ぶかの違いであるが、スタイナーが「悲劇」に拘るのは、最初のころに述べた彼の悲劇についての定義、罪と罰との間の不均衡さについての彼の歴史的感慨が、同時代人としての痛切な歴史感覚が彼が経験した欧州におけるユダヤ人の悲劇と云う、20世紀における人類が経験した未曾有の出来事を踏まえているからだ。わたくしにとっては文学や言語論の問題に過ぎないものが、在留ユダヤ人である流浪のスタイナーにとってはそうはいかないのである。とはいえスタイナーの「悲劇の死」に関する考察は、語りにおける主体の貴種性の喪失と同値同価のものとして語られかねないかの誤解を生みかねない。むしろ語りとしての文学と云う限定項を外して、人間的諸表現の学なり技芸、芸能の問題として普遍化したほうがよりよいのではないかとわたくしなどは思い始めている。
 スタイナーが悲劇に与えた定義は、同様に「悪の凡庸さ」について語ったハンナ・アーレントの言説とも響きあうものを持っている。とりわけ20世紀以降の時代において何故悪は「凡庸さ」の形態をとるようになったのか。それに対する答えの一端はこの書で既に答えられている、――歴史の背景には「悲劇の死」と云うものがあり、悲劇の主役が高貴なものから凡庸なものへと変わったからである。凡庸なるもの、決して平凡な小物であることを意味しない。悪の論理はそれ自身の厳格な冷徹性の法則と規則を持ち、小物や侏儒たちを時には利害や打算を超えた次元で突き動かし、――すなわち、ぬけぬけとある日を境に白昼堂々と「正論!」を尤もらしく吐露させ(注・2)、自らの論理を非情に自己貫徹するのである。かかる悪の論理自律性こそ、かってマクス・ウェーバーが与えた定義こそが、「悪の凡庸さ」に並ぶもう一つの定義を、つまり悪魔は狡猾であり悪魔に対峙し十分に拮抗するためには善悪の二元論的発想を諦めて、悪魔を出し抜くまでに悪の論理に精通したものにならなければならないと云う皮肉な結論へと導く。そもそも悪の論理に精通し、悪魔を出し抜くと云うまでに利口になると云うことが人間業として可能なことなのであろうか。
 さもあれ片方の脚の一端を絶望と云う名の淵に差しかけながら、かかるスタイナーの人類の行方に対する深い憂慮とも懐疑とも憂愁ともとれる人類史的黄昏についてのモーゼ的歴史経験をとらえつつ本書を紐解くことこそ、21世紀以降を生きるわれわれにとって本書を読むことの意義の大半はあると云うべきだろう。
 
 
 
(注・1) 昭和の文学の一世を風靡した感がある小林秀雄から江藤淳吉本隆明磯田光一らの文学観を念頭においている。
(注・2) この段落は、憲法改正に狂奔する昨今の”厚化粧のオオカミ少年こと、某首相のことを文章の含意として含んでいる。もしジョージ・スタイナーが今日まで生きていて日本の実情を話す機会がもしあったなら、彼の反応を知りたいと思う。
 
 
 
(使用したテキスト) ならびに あとがき)
喜志哲夫・蜂谷昭雄共訳『悲劇の死』 筑摩書房1979年
 ”その頃わたくしたちの部室はだだっ広い駐車場のような講堂地下の空間の中に薄いべニア板で仕切られてあった。時々なぜか理由もなく停電してちかちかする部室のなかで寄り合って話題になった本のなかに、本書やエドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』、ルカーチの『歴史と階級意識』などがあった。地下の階段を上がった鋭角的に拡がった外の世界はあの当時、全国一円の学園やキャンパスには不穏な空気が流れていたが、知ってか知らずか停電の暗がりのなかで煙草の灯だけを頼りに世間知らずのわたくしたちは夢中になるべき本たちのことを語り合い、最後の時間経験とも呼べるべきものがあの夏のなかに遠い雷鳴のように過ぎていった。・・・・・”