回想のイングマール・ベルイマン――”日曜日のピユ”について アリアドネ・アーカイブスより
最晩年のベルイマンが何であったかを、息子のダニエル・ベルイマンが映画化している。イングマール脚本の忠実な映画化だと思われるので、親子の理想的なコラボレーションの成果と受け止めたい。
ベルイマン映画はそんなに多く見ていないので大局的な総論風には論じることができない。通常神の沈黙であるとか、神の不在であるとかの重いテーマが描かれているというのだが、わたしには自然性と宗教性の相克のドラマであると、みた。
少年のころの日曜日の存在がまるで小―奇跡であったように、ベルイマンは自分の生涯を終わろうとする頃に、自分の少年時代から奇跡のような、ある日曜日の風景を切り取ったのである。
表題は、日曜日に奇跡のようなことが起こったからではない。その時間の切り取り方が、まるで奇跡のように感じられたのである。
平凡な時間性が、まるで奇跡のように描からたということは、その背後に、凍りつくような暗澹たる日々と無限の時間の集積があった、ということなのだろう。
この映画の背景には、父と子の相克と和解というテーマがあったことが想像される。聖職を手に入れることによってスウェーデンの上流階級に足を無味入れた父親と、裕福な母親が属する感受性豊かな家族や親族らを背景に、生まれたばかりの無垢な感性が父親にそそぐ眼差しが、奇跡のように、哀しい。
家族も階級も富も教養も、そして宗教や国家も、そんなものを全て捨て去って生きることができたらどんなにいいだろう、そんなベルイマンの人生の最後に達した感慨が、みずみずしい子どもの感性に重ね合わされて、まるで奇跡のように美しかった日曜日の記憶として描かれているのである。
この映画の場合も、ラストシーンに全てがある。
息子は父親の村の布教活動についていくことになり、その帰りに雷雨に見舞われる。乗っていた自転車もこけて故障するし、雨に打たれて自転車を押しながら初めてこの親子は人間としての時間が何であったかを理解するに至るのである。自転車を押して森の中の曲がりくねった道をゆくどこか頼りない姿を何時までも、いつまでも遠く映しながら、この映画はまるで人生のフィナーレのように終わる。
バッハの、二台のヴァイオリンのための協奏曲がたとえようもない効果を発揮している。
<あらすじ> すべて ”ウィキペディア” より
1920年代、スウェーデンの田園の夏。8歳のイングマ_ール(ヘンリク・リンロース)は、皆が赤ん坊のように“ピュ”と呼ぶのが不満だ。彼は周囲の女性の胸が気になりはじめる一方で、古い時計の中に住む魔女を殺して自分も自殺した時計職人の話を聞いて、死の恐怖におののいている。ちょっと変人のカール叔父さん(ボリエ・アールステット)や、いたずらでひどい目に遭わせるが、時折こっそりヌード写真集を見せてくれたりする4歳年上の兄、ダーグ(ヤコブ・レイグラーフ)と過ごす日々は楽しいものだった。だが、彼は牧師である父(トミー・ベルグレン)があまり自分に打ち解けてくれないことに悩み、さらにある時、偶然に父と母(レナ・エンドレ)の口論を立ち聞きし、初めて知った両親の不仲にショックを受ける。その夜、ピュは夢であの時計職人の亡霊に出会う。68年、初老のイングマールはすっかり老いた父を訪ねた。父は亡き妻の日記を読んで、「自分が妻を理解していなかったことを後悔している」と彼に語る。イングマールは少年時代の記憶に思いを馳せる。ある日曜日、遠くの教会へ説教をしに行く父から珍しく同行を誘われた彼は、川を渡るはしけの上で水に足を浸すと「水に落ちたら助からんぞ」と父から厳しく叱られる。むくれたピュは口もきかず、こっそり入った教会の礼拝堂でハエのたかった死体を見て震え上がった。帰り道、父は優しく接してくれ、一緒に泳いだり自分の考えを喋ったりするうちに、ピュはとても幸せな気持ちになる。父は「お前も私も、幸運な日曜日の子供だよ」と言う。「幸福とは今のような状態のことかな」と彼なりに理解したピュは、夕立の中で父と2人、何となく楽しくなってくるのだった。
<データ>
"日曜日のピュ"
原題: Sunday's Children
製作国: スウェーデン
製作年: 1992
配給: セテラ=アスク講談社配給(配給協力=オンリー・ハーツ)
スタッフ
監督: Daniel Bergman ダニエル・ベルイマン
製作: Katinka Farago カティンカ・ファラゴー
脚本: Ingmar Bergman イングマール・ベルイマン
撮影: Tony Forsberg トニー・フォルスバーグ
音楽: Klas Engstrom クラス・エングストレム
Sven Wichman
編集: Darek Hodor
衣装(デザイン): Mona Theresia Forsen
字幕: 関美冬 セキミフユ
キャスト(役名)
Thommy Berggren トミー・ベルグレン (Father)
Lena Endre レナ・エンドレ (Mother)
Henrik Limmros ヘンリク・リンロース (Pu)
Jakob Leygraf ヤコブ・レイグラーフ (Dag)
Marie Richardson マリー・リチャードソン (Marianne)
Irma Christensson イルマ・クリステンソン (Aunt Emma)
Birgitta Valberg ビルギッタ・ヴァルベルイ (Grand mother)
Borje Ahlstedt ボリエ・アールステット (Uncle Carl)
回想のベルイマン監督・映画”処女の泉”について――原罪とキリスト教的聖性(教会)の起源 アリアドネ・アーカイブスより
最初は人間の原罪の起源とキリスト教的聖性の成立の由来を語った”神話”として理解しました。つまり未開社会にキリスト教がもたらされる罪と浄化の物語です。反面――、
無垢な少女を凌辱して殺すなどというおぞましい弱肉強食的自然の論理や欲望の支配する地上の出来事と、祭儀のように冷静に履行された復讐の論理のいずれが真に恐ろしいといえるのか、そんなことを考えさせる映画なのです。
掘り起こされた土くれの中から変わり果てた愛娘の亡骸を抱き起こすと、そこからまるで罪の許しを象徴するような泉がこんこんと湧きだすというラストシーンがありますが、ここで父親はある啓示を受けます。つまりここに教会を建てねばならない、と。この暗い内容の映画の最後に付け加えられたこのエピソードの効果について、ベルイマンは、シナリオライターや当時の映画界のニーズに応えざるをえなかったのだ、というような弁明をしているますが、むしろこの場面を入れることでこの映画は本当の意味で恐ろしい真実を告知する映画になっているのです。
<あらすじ>
舞台は土着信仰とキリスト教が混在する中世のスウェーデン。裕福な地主テーレとその妻メレータ、彼らの一人娘であるカリンの一家は敬虔なキリスト教徒である。しかし一家の養女であるインゲリは密かに異教の神オーディンを信奉し、苦労を知らずに育ったカリンを呪詛している。
ある日教会への勤めを両親に命じられたカリンとインゲリ。途中でインゲリと言い争いをしたカリンは、彼女と別れて一人教会に向かう。道中カリンは貧しげな三人の羊飼いの兄弟に遭遇する。彼らに同情して食糧を分け与えるカリンだが、清純なカリンに魅了された長男と次男はカリンを強姦、更に勢い余って彼女を殺害してしまう。その様子を物陰から目撃していたインゲリはカリンを助けようとするが、結局何も出来ない。
カリンを殺害した夜に羊飼いの兄弟が宿を乞うたのは、偶然にも彼女の両親が経営する農場だった。そうとは知らず母親のメレータにカリンから剥ぎ取った衣服を売りつけようとする羊飼いの兄弟、そして娘の運命を察したメレータは、夫のテーレに誰が娘を殺したかを告げる。妻にカリンの衣服を見せられ、更に人目を忍んで帰宅したインゲリから娘の死の様子を聞きだしたテーレは、羊飼いの兄弟に復讐することを誓う。娘に乱暴した長男と次男を斃したのち、テーレは激情に任せて罪の無い末っ子の少年の命まで奪ってしまう。冷静になったテーレは自らの犯した罪の大きさに慄然とし、神に許しを乞う。
羊飼いの兄弟を皆殺しにしたテーレは、インゲリによって森に放置されたカリンの亡骸まで案内される。変わり果てた娘の姿にショックを隠しきれないメレータ、そしてテーレは娘の死と彼自身の冷酷な復讐を看過した神を糾弾する。神の無慈悲に絶望しながらも、それでもなお神の救済を求めるテーレは、娘の遺体の側に罪滅ぼしのために教会を建設することを約束する。
テーレとメレータが娘の亡骸を抱きかかえたその時、彼女が横たわっていた場所から泉が湧き出してくる。神の恩寵を目の当たりにした一行は、跪いて神に祈りを捧げるのだった。(ウィキペディアより)
<データ>
”処女の泉”
Jungfrukällan
監督 イングマール・ベルイマン
製作 イングマール・ベルイマン
アラン・エーケルンド
脚本 ウラ・イザクソン
出演者 マックス・フォン・シドー
ビルギッタ・ヴァルベルイ
グンネル・リンドブロム
ビルギッタ・ペテルソン
音楽 エリック・ノードグレーン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
配給 昭映フィルム
公開 1960年2月8日
1961年3月
上映時間 89分
製作国 スウェーデン
言語 スウェーデン語
歌舞伎”木下陰真砂白浪”をみる アリアドネ・アーカイブスより
博多座パンフレットより
<1.木下陰真砂白浪>
尾張国の矢作橋、ともに将来を夢見る若者の友市と猿之助は出会い、友市は日本中の金が懐にいる、猿之助は日本国を手に入れるという不思議な夢を見る。そこに女盗賊お峰が現れ、二人の若者はいずれ傑出した人物になると見込み客人に迎える。武将・仁木太郎輝秋は蓮葉屋余六と素性を隠し、使えていた足利家に伝わる宝刀雄龍丸・女龍丸を探していたが、偶然にも二本の宝刀は余六に一目惚れをしたお峰が所有していた。ところが自らの待望を成さんとする友市にお峰の家に伝わる忍術の巻物とともに雄龍丸を奪われてしまう。時は経ち石川五右衛門として世を騒がす友市は、今は真柴久吉としてその名を馳せる猿之助、そして仁木太郎、お峰と再開し・・・
例によって、妹小冬の自害の場面はあわれをとどめた。
橋之助の石川五右衛門、扇雀のお峰とお冬、愛之介の真柴久吉、勘太郎の仁木太郎など個性的な登場人物が宝刀と巻物をめぐり繰り広げる物語は、屋台崩しに雪の中の立ち回り、そして葛籠抜けの宙乗りなど派手な演出に加え、「絶景かな~」などのお馴染みの名セリフもあり、理屈抜きにお楽しみいただけます。
<2.藤 娘>
暗い場内の長歌が流れる中、ぱっと明かりがつくと藤娘が現れる。娘は実は大津絵から脱け出した藤の精で恋に酔う女心を華麗な舞に託します。
<データ>
博多座 2009年6月22日 月曜日 午後4時半~
石川五右衛門:橋之助
真柴久吉:愛之助
石川村治左衛門・三好長慶:亀蔵
仁木太郎:勘太郎
女盗賊お峰・妹小冬:扇雀
藤娘:七之助
大学院の課外授業の一環で初めて歌舞伎を見る機会を得る。例によって史実と空想が入り混じった荒唐無稽な歌舞伎の世界!舞台装置の派手な演出もさりながら、花道と呼ばれるものの位置づけに今更ながら感心する。それから見得を切るという歌舞伎特有の表現があるが、派手な衣装とともに、テレビではわざとらしく感じられるものが、舞台では祖ほどでもない。いずれにしても、舞台と観客席というものが厳密に区分された近代の劇場の方が世界の演劇史上では特殊なのかもしれない、と感じた。
藤娘は、長歌の、なんとも春ののどかな感じが、古典芸能の情緒纏綿である。
なお、当日歌舞伎鑑賞の位置は、3階の最上段、一番安い席、これを学生価格で購入した。この席は贔屓の役者に向けて、掛け声が上がるところで、それも間遠く、間近く聞こえて、新鮮な体験だった。
小此木啓吾/河合隼雄 『fフロイトとユング』――たとえば木村敏の現存在分析の立場から アリアドネ・アーカイブスより
フランス映画『冒険者たち』とユダヤ性 アリアドネ・アーカイブスより
演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅲ アリアドネ・アーカイブスより
演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅲ
2011-02-04 07:11:31
テーマ:絵画と建築
6.おわりに
私たちは“親密な舞台と観客の原初的な関係”を如何にして取り戻すことが出来るのだろうか。それは芸術形式のあれこれの違いを論じることではなく、固有の演劇空間の成立の如何による。演劇空間の意味論的な定立は芸術概念の改変にある。つまりテスト氏の一夜を潜り抜け、その夜明けには何があるのか、という問いである。残念ながら私たちはそれに対応する術を豊富に持っているわけではない。本稿のギリシア悲劇の解釈や中世の道徳劇に関する事例から得られる知見は、若干の示唆と教訓と重要なヒントとを与えるであろう。さらに純粋芸術と大衆芸能の並立的状況を鑑がみながら、あの啓蒙期を生きたインマヌエル・カントが最晩年に志向したとされる美学、とりわけ趣味論は参考になるだろう。またファシズムの時代を潜り生き抜いたドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントはカントの美学に準拠し敷衍しながら、味覚に関する秘私的な趣味性についての意義を語っている。そこでは食べ物の好き嫌いのような学問的には何の価値があるとも思えない、最も私秘的なものでもあれば個人的なことどもの底に潜む厳密性を帯びた拘り、プライヴェートでありながら手強いある種の客観的なものの感触を帯びた存在に直面した驚きについて語っている。あえて芸術と云う名の手垢が付いた呼称を用いることを避け、あえて私秘的なもの味覚・間隔・触覚という、従来視覚や聴覚が外部感覚と名付けられた分類からすれば所謂内分感覚として分類されたものを対置し、そこに私秘的ならざるある種の客観的な感じのする“あるもの”、そのあるものの由来こそ実は主観的であるようで主観的でなく、客観的であるようで客観的でもない、存在論的にニュートラルな芸術の起源があり、公共性の痕跡を求めようとする私たちの旅はまだ続くのである。
古典古代期のギリシアは自由と云うものを知っていた。しかし平等の概念には割合鈍感であった。またギリシア時代は歴史上初めて“公共性”の概念を知っていたけれどもそれは政治的な公共性の意味を超えるものではなかった。そういう意味では芸術を公共性の概念のもとに捉えようとする試みは、かつて人類が経験したことのない新しいページを開くのである。
【参考文献】
一般に入手が容易な人文科学系や文学・哲学関係の文献は省略いたします。
劇場建築に関しては、下記の書物に多大な示唆を受けています。
演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅱ アリアドネ・アーカイブスより
演劇空間の誕生 始原への旅・Ⅱ
2011-02-04 07:08:32
テーマ:絵画と建築
4.大劇場の成立からバイロイトの祝祭歌劇場の演劇空間へ
こんにちわれわれが具体的な劇場としてイメージする近代的演劇空間の誕生がどの段階であったかについては詳細の論議と議論が必要だが、概略的・演劇史的には新古典主義の成立、つまり14世紀から15世紀にかけての“ルネサンス”とのちに呼称されることになる時代、代表例としては先述のパッラディオによるヴィチェンッアのテアトロ・オリンピコ劇場の成立をもって嚆矢とするということについては大きく論議が逸れることにはならないであろう。ヴェネツィアやフィレンツェの都市国家から始まり、フランスを始めとする西欧諸国における国民国家成立におけるバロック期の華としてのオペラの隆盛に至るまで、この間の興味ある有為転変の事象や経緯については他書に譲りたい。ここでは国民国家の国威掲揚事象の極限態としてのバイロイト祝祭歌劇場の演劇空間が何であったのかを簡単に触れるにとどめたい。
さて、私たちはいまバイロイトの祝祭歌劇場の観客席の一隅に座っているとする、そこで最初に気付くのは目の前にある大仰な三重のアーチに隈どりされたプロセニアムアーチと、その背後にある舞台空間である、観客席と舞台を厳密に区分するおどろおどろしさに圧倒されることであろう。さらに詳細に目を凝らすと舞台最前列のオーケストラボックスは灰色のフードに囲われて観客席からは全く見えない。やがて照明がおとされ神秘の彼方から“姿なき”オーケストラピットから立ち上ってくる音響の呟きはやがてファンファーレの奏でる大音響となって演劇空間を超越的なイメージで満たすであろう。
純粋な標準条件による純粋芸術の鑑賞、ここにおいて私たちは舞台の下に深くえぐられたオーケストラボックスを舞台機構上の知識を活用し“想像”しながら、かっての、ギリシア円形劇場で見聞したオルケストラとコロスの媒介的な役割、つまり演劇空間と観客席を繋いだ役割の完全なる消滅を確認するのである。オルケストラという場の演劇的空間の消滅は単に音響的効果や視覚的効果と云う観点のみでは評価できないある種の本質的な変化をヨーロッパの演劇空間に導入したかのようである。つまりここでは、ほの暗い客席に押し込められた観客は一方では絶対的な受動態としての美的傍観者、ディレッタントもしくは単なる美的鑑賞者として、他方ではワグナーの決まり切ったお涙ものの甘ったるい、男尊女卑のイデオロギーに露骨に粉飾された凡庸な道徳劇に付き合わされる羽目になるのである。ワグナーのオペラとバイロイト祝祭歌劇場の演劇空間から失われたものこそ、遠いギリシア時代の円形劇場にありえた、完結した定型性を嫌う古典古代のギリシアの雄渾な悲劇精神、たとえ悲劇的結末が避けられない運命として登場人物の上に君臨するものであったにしても、英雄とは怯むことなくそこに“現在”という名の時制変化を持ちこんだ古典古代のギリシアの人々の意識と心意気こそ、古典古代期の生き生きとした都市国家の民主主義的精神の具現した偉大な姿なのである。
5.ワグナー歌劇から映画芸術の誕生へ
建築家が演劇的空間において何を成しうるのかは一義的には語れないし言えもしないであろう。建築とはいつの世も支配的な時代的価値観の集大成として、歴史に“立ち遅れて”到達する。時代を先験的に読み解く技術としては建築は不適当な技術なのだ。総合芸術としての建築に与えられた偉大な役割は他にある。例えばアクロポリスやフィレンツェの花の大聖堂が切り開いた偉大なる造形性と空間的告知のように。
私たちは、ギリシアの円形劇場、中世の野外劇、そしてワグナーによるバイロイト祝祭歌劇場等の改革と結末と教訓を通じて、わずか三例のみのケーススタディーではあるが、概略、西洋における演劇空間の発展と省長の歴史を振りかえってみたのである。
その中でもとりわけ現代に教訓を残した事例としては、ワグナーの諸改革とバイロイト祝祭歌劇場における試みであろう。ここで顕著に言えるのは、常に時代の後追いをするように自己実現を図って来た建築と名付けられた芸術の様式が、ここではワグナーとルードヴィッヒという理解者とパトロネージに恵まれて、初めて芸術家の理念が先行的に実現する劇場空間と劇場建築とが可能となったことである。そしてその評価はいままでの論述にもある通り現在においてもなお賛否両論の渦中にある。
その理由の一つは、芸術と云う概念をどのように理解するかについての共同合意が学理的に成されていないことにあるのではないだろうか。より厳密な云い方をすれば芸術と共同性を繋ぐ意味論的な脈絡が希薄なのである。純粋芸術はこのあと、音楽の世界ではマーラーやリヒャルト・シュトラウスからシェーンベルグをへて現代音楽へ、文学の世界でもボードレールによる芸術至上主義の宣揚からヴァレリーの“テスト氏”の一夜に至るまで、その他彫刻や絵画の世界においても純粋芸術の概念には揺らぎがないかのようである。そしてその対極としての娯楽芸術、大衆演劇もまた健在なのである。かかる両芸術の平和共存的なあり方の中で何が必要不可欠で、何が失われたのかという問いが切実に問われた事はなかったのである。
最後に、純粋芸術であると同時に大衆芸能でもありえたワグナーの歌劇とバイロイトの祝祭歌劇場の演劇空間を意味するものが何であったか、これを20世紀以降著しい興隆を示してくる映画芸術との関係について論じることで締めくくりとしたい。
再び話は古典古代のギリシアに戻って、あの円形劇場のオルケストラと云う名の円形の空間とコロスという名の合唱団が果たしていた中間的な役割の中で、観客は純粋な傍観者として芸術や自然に対峙するのではなく共同参画的な空間を生きていた。時制変化においても現在とは、未来と過去の中間に成立する抽象的な存在ではなく、生き生きとした臨場性あふれる現代の流行りの表現を使えば身体的な言語として成立していた。この関係を強引に擬-近代主義的な主客分裂へと持込み、ギリシア悲劇的な“対話”の理念から法廷的な“論争”へと屈折させたのはかのソクラテスとプラトンとであった。こののちアリストテレスの努力があるにはあったが、この趨勢を根本的に挽回するには至らなかった。
ソクラテス=プラトンの哲学とは、端的にいえば“みること”に準拠する哲学、すなわち純粋なアタラクシア、“観照”の学なのである。プラトンの哲学を支配しているのは見ることに準拠した、より正確により精度よくものを見極めることのできる認識の学、なのである。近代市民社会と資本主義社会の勃興の時期と哲学的な認識論の隆盛がルネサンス以降プラトン哲学の再評価と結びついたことは怪しむに足りない。ここに正しくものを見るとは見るものの思惟と眼差しの鮮明度のほかに、主客を繋ぐ適度の距離感と云うものが前提されなければならない。近代人のものの考え方とは、この距離感を自明のものとすることによって成立した。この距離感の中から一方では人間の優位さと搾取されるものとしての自然観が、他方ではこの敵対関係に準拠する自然と人間の関係が、そのまま社会に持ち込まれて資本家と労働者の対立へと、資本主義的な貧富の格差の起源になった。こんにち我々が眼にするプロセニアムアーチを境にして鋭く分岐する舞台と観客席の関係は、また最前列の座席の下に押し込められたオルケストラの痕跡とは、かかるものごとの隠喩にほかならなかったのである。
こうして疎外態としての芸術、自己疎外の極限態としての芸術としての映画芸術が20世紀に誕生することになる。ここでは映画芸術の是非を、本質論としての良し悪しを論じているのではない。疎外態として現れた芸術の2500年の歩みの中から最も典型的な経緯として映画芸術が誕生することになる歴史的過程の、その象徴的な意味に注目していただきたいのである。
周知のように、映画芸術においてはプロセニアムアーチは物理的に有ろうが無かろうが本質的に映画芸術に内在的に固有なものとして本質化されている。例え屋外公園のような野外の仮設ステージで演じられるとしても、夜の暗闇がプロセニアムアーチの代役をする。映画の場合はプロセニアムサーチの存在はたまたま偶然にあるという在り方ではなく、より本質的なのである。つまり映画芸術は、自分ではないものとしての極限態としてのあるものの存在を銀幕の彼方に華やかにも投影する。昔の日本人はこれをいみじくも“銀幕”と表象した。そこには手の届かない庶民の憧れと、銀幕やハリウッドスターたちのオリンポスもどきの天上的世界を垣間見る奇跡のような空間がありえた。映画芸術が20世紀後半、姉妹関係にあるとも言えるテレビジョンに一方では押されながらも、一定の影響力と視聴者の感性的支持とを保持できた最大の理由はここにあった。つまり20世紀の観客にとって“銀幕”の彼方の私生活とは、ちょうどフランツ・カフカの主要な登場人物にとっての社会機構や官僚制が、見通しが利かない有無を言わせない権威の絶対性を持つように、そこではその敵意の反転された形としての庶民の夢や憧れが逆投影された形として、つまり語の正確な意味における“現代芸術”として将に成立していたのである。
もちろんかかる理由をもって映画芸術の存在が否定されるわけでもない。建築が歴史を後追い的に実現した技術であるように、映画には映画のまた違った特性と役割と云うものがある。映画がこの約束事を忘れる時、例えば1960年代のジャン・リュック・ゴダールの映画“ヴェトナムを遠く離れて”や、ペーター・ヴァイスの長大な題名を持つ映画“サド侯爵の指導のもとにシャラントン精神病院の演劇グループによって演じられたジャン・ホール・マラーの迫害と暗殺”劇のように、舞台と観客は敵対的な関係のものとなるのは象徴的である。こうして私たちはギリシアの円形劇場から2500年の時空を一巡するかのようにひと廻りして、殺伐とした現代の演劇空間の世界に佇む自分自身の肖像を見出すことになるのである。映画芸術とは、そうした時代に固有の、象徴的な表現形式なのである。