アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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映画”めぐりあう時間たち”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
アメリカ映画だから少し軽く見ていたところもあったのかもしれないが、予想以上の出来に少なからず驚いた。舞台はロンドン郊外の田園の緑溢れるリッチモンド。イギリスの女流作家ヴァージニア・ウルフが入水自殺した1941年、大戦後の記憶が遠ざかりつつある一方でアメリカンドリームと呼ばれた現象が現実のものとなりつつある1951年のカルフォルニア。平凡な一人の静かな日常に生じた狂気、というよりその逆転が描かれている。三番目の舞台は2001年のニューヨーク。主人公はダロウェイ夫人と同じ老境に入りかかりつつあるが青春の華やかさを記憶にとどめる中年の雑誌編集者。彼女には同性の、いまは恋人のようであり友人のような女性と同棲しているが、過去に二人の男性をめぐる取捨選択があった。その生き方ゆえに”ダロウェイ夫人”とあだ名されている。彼女には人工授精で儲けた大学生の娘がいる。

その日は彼女が今も世話をしている昔の恋人の詩人であるリチャードの授賞式で、式後のパーティの準備に余念がない・リチャードは今は裏町のアパートに一人で暮らしておりエイズに侵されている。かれは受賞の理由が自分がエイズに侵された悲劇的な人生への報償として与えられたものだと思っている。このエピソードは昔の恋人の目の前で窓からの飛び降り自殺という結末で終わる。彼は死の直前長い間閉め切っていた窓を開け放ちこの上なく高揚した気分の中で死を選択する。

この三つのエピソードは”ダロウェイ夫人”の青春の、人生の選択時の決断に関わっている。ダロウエイ夫人とは、偶然の時間の交差によって運命が目まぐるしく交差する物語である。ダロウエイ夫人とは俗人の象徴、彼女の分身の見知らぬ青年の自殺の報告を聞いて、彼女は生を取り戻す。日地上的な時間の裂け目に不気味な顔をのぞかせた永遠の相はかき消え、傷口は塞がり癒着する。一方ダロウエイ夫人を死の相という非日常性の狂気から救った作者のヴァージニアにとってはそれが生から死への旅立ちとなる。

一方平凡な51年のロスアンジェルスの主婦にとっては、ホテルでの死は生へと反転する。彼女のお腹に身ごもった女の赤ちゃんが何を意味するかはこの映画で描かれた範囲では分からない。幼い息子だけが母親の身に生じている異変に気付いている。母親を死から生への繋ぎとめたのは、もしかしたら去っていこうとした母親の車に追いすがる姿であったかもしれない。

こうして2001年のニューヨークの雑誌社に勤めるキャリアウーマンにとっての長い一日は、大きな落胆とともに終わる。その一日の中に20世紀初頭を生きたヴァージニア・ウルフの狂気と隣り合わせの時間と、アメリカンドリームが孕んだ永遠の時間が交錯する。詩人の授賞式も彼の死によって中止となりパーティーに準備した御馳走を始末する母子と同棲の友人の三人。そこに不意の夜の訪問者が――

こうしてこの映画の最大のクライマックスが展開することになる。カナダのトロントから飛行機を乗り継いで到着した老夫人とはあのロサンジェルスの60年後の姿だったのである。映画はあの主婦のその後を二人の会話を通して紹介する。

彼女は女の子を出産した後に、家族のための朝食を用意したまま、まだ寝静まった家を一人後にしたのだった。カナダに移住し図書司書の仕事を得た彼女は家族を捨てて一人生きることを決断する。主婦として最悪の決断をしたと彼女は言う、しかし自分の選択に後悔していないとも。

彼女のあの優しい夫は病気で早死にしたらしい。あのあと生まれたらしい娘もいち早く世を去っている。そして母親の運命を悲しんだ長男こそ、2001年昔の恋人の前で、生の高揚感のうちに、窓から投身自殺したあのリチャードの50年前の姿だったのである。

こうしてそれぞれの巡りあう時間たちは偶然の運命の交錯した状況を経巡りながらエンディングを迎える。雑誌編集者は長年の”ダロウエイ夫人”の綽名の呪縛から解放され、同棲の女性との深い信頼関係を予感する。一夜を過ごすこととなったあの50年前の主婦は、深い因縁によって精神的な意味では孫であるかもしれない娘の部屋を借りることになって、心の籠った会話を交わすことになる。彼女があの出来事以来初めて交わしたのではないかと思われる人間的な会話を。何も知らない年若い娘は戸惑いながらも、そこに畏敬すべき時間が流れていることを理解するのであった。

ヴァージニア・ウルフとは何の象徴だろうか。英米では長い間インテリ女性の象徴であった。そしてダロウエイ夫人とは世俗の時間の象徴である。この映画が優れているのは日常の時間を超えた永遠なるものに迫ろうと格闘した三人の女性の姿を描いたことにある。日常世界のさりげなさの中に潜む狂気と永遠なるものの輝きを伝えた作家こそヴァージニア・ウルフであった。彼女こそジェーン・オースティン以来の英国文学の伝統を伝え、生への慰藉と限りない慰めの心とを教えた偉大な先達である。



あらすじ - めぐりあう時間たち(2002)
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あらすじ
1923年、ロンドン郊外のリッチモンド。作家のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、病気療養のために夫レナード(スティーヴン・ディレイン)とこの町に住み、『ダロウェイ夫人』を執筆していた。そんな彼女のもとに、姉のヴァネッサ(ミランダ・リチャードソン)たちがロンドンから訪ねてくる。お茶のパーティーが終わり、姉たちが帰ったあと、ヴァージニアは突然駅へと急ぎ、追ってきたレナードにすべての苦悩を爆発させる。その悲痛な叫びにより、レナードは彼女と共にロンドンへ戻ることを決意するのだった。

1951年、ロサンジェルス。主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は妊娠中。夫のダン(ジョン・C・ライリー)は優しかったが、ローラは彼が望む理想の妻でいることに疲れていた。今日はダンの誕生日。夜のパーティーを準備中、親友キティ(トニ・コレット)がやってきて、腫瘍のため入院すると彼女に泣きながら告げる。やがてローラは、息子のリッチー(ジャック・ロヴェロ)を隣人に預け、大量の薬瓶を持って一人ホテルへと向かう。その部屋で彼女は『ダロウェイ夫人』を開きながら、膨れた腹をさするのだった。

2001年、ニューヨーク。編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、エイズに冒された友人の作家リチャード(エド・ハリス)の受賞パーティーの準備をしていた。彼女は昔、リチャードが自分につけたニックネームミセス・ダロウェイにとりつかれ、感情を抑えながら彼の世話を続けてきた。しかしリチャードは、苦しみのあまり飛び降り自殺。パーティーは中止になったが、そこにリチャードの母親であり、家族を失ってしまったローラが訪ねてくるのだった。


キャスト(役名)
Nicole Kidman ニコール・キッドマン (Virginia Woolf)
Julianne Moore ジュリアン・ムーア (Laura Brown)
Meryl Streep メリル・ストリープ (Clarissa Vaughan)
Ed Harris エド・ハリス (Richard Brown)
Toni Collette トニ・コレット (Kitty)
Claire Danes クレア・デインズ (Julia Vaughan)
Jeff Daniels ジェフ・ダニエルズ (Louis Waters)
Stephen Dillane ステファン・ディラーヌ (Leonard Woolf)
Allison Janney アリソン・ジャネイ (Sally Lester)
John C. Reilly ジョン・C・ライリー (Dan Brown)
Miranda Richardson ミランダ・リチャードソン (Vanessa Bell)
Eileen Atkins アイリーン・アトキンズ (Barbara in the Flowershop)
Linda Bassett リンダ・バセット (Nelly Boxall)
Jack Rovello ジャック・ロヴェロ (Richie Brown)

スタッフ
監督
Stephen Daldry スティーヴン・ダルドリー
製作
Scott Rudin スコット・ルーディン
Robert Fox ロバート・フォックス
製作総指揮
Mark Huffam マーク・ハファム
原作
Michael Cunningham マイケル・カニンガム
脚本
David Hare デイヴィッド・ヘアー
撮影
Seamus McGarvey シーマス・マクガーヴィ
音楽
Philip Glass フィリップ・グラス
美術
Maria Djurkovic マリア・ジャコヴィック
編集
Peter Boyle ピーター・ボイル
衣装(デザイン)
Ann Roth アン・ロス
字幕
松浦美奈 マツウラミナ

ブニエルの”昼顔”をみる アリアドネ・アーカイブスより

ブニエルの”昼顔”をみる

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この映画が作られた1967年とはパリの5月革命の嵐が吹き荒れる前の世界である。国内においてもヴェトナム反戦運動の機運が予感と期待を孕みながらその不気味な予兆を見せ始めた時代である。主演のカトリーヌ・ドヌーヴミシェル・ピコリなどはどちらかといえば良く知っている部類に属するにも関わらずこの映画を見なかったのは納得できた。

トーキー以来の映画がその華麗な映像と音響を使って到達し得た限りない美的な世界、それがブニエルの”昼顔”の世界なのである。ちょうど昔馴染みを見直すようにドヌーヴがこんなにも美しかったのかと改めて思い知らされた。

あの時代ではドヌーヴの一枚岩的な単純さが災いとなって、ジャンヌ・モローアニー・ジラルドー、そしてジェーン・フォンダのほうがはるかに美しいと信じていた。時はへめぐっての対面であり、同時にブニエルとの対峙でもあった。

映画の中のドヌーヴの複雑な性格の設定、貴族社会が崩壊した後ではリアリティを感じるというよりは、むしろ文学の世界では陳腐であるといってよい。大学教授や、医師、公爵、さらには金満家の東洋人などカリカチュアナイズされた脇役とドヌーヴの美しさがグロテスクな対比を見せている。

最後の真実をピコリ演じる人物に告げられ、奇跡的に復活した夫との十全感を描いた場面は、もちろんドヌーヴの夢なのだろうが、精神分析学的には真実を受け入れることによる運命の受容、ということになる。方向としては正しいのだqろうが、この二人が実際に辿った映画のあとの道筋はどうなのだろうか。

映画の中に出てくるジャン・ポール・ベルモンドまがいのパフォーマンスがあるが、あのチンピラの世界にも劣るパリ上流階級の退廃を描いたというべきなのだろうか。これも陳腐な解釈である。キリスト教的な教理が生み出した病理、というにしては、映像が美しすぎるような印象をもった。カトリーヌ・ドヌーブの魅力の引き出し方が、ひと頃の――ロジェ・ヴァディムの”悪徳の栄え”を踏んでいるらしいことも気になった。

あらすじ - 昼顔(1967)
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あらすじ
セブリーヌ(C・ドヌーブ)とピエール(J・ソレル)の二人は、仲の良い幸せそのものの若夫婦だ。二人はお互に心から愛しあっていた。セブリーヌもよく夫に仕え、満足な毎日を送っているのだが、彼女が八つの時、野卑な鉛管工に抱きすくめられた異常な感覚が、潜在意識となって妖しい妄想にかられてゆくことがあった。情欲の鬼と化したピエールがセブリーヌを縛りあげ、ムチで責めさいなんだ挙句、犯したり、卑しい男に強姦されるという妄想であった。セブリーヌの奥底に奇妙な亀裂が生まれていることを、ピエールの友人アンリ(M・ピッコリ)だけは、見抜いていた。アンリはなぜか、いつもねばっこい目でセブリーヌをみつめているのだった。セブリーヌはそんなアンリが嫌いだった。ある時、セブリーヌは友人のルネ(M・メリル)から、良家の夫人たちが、夫には内証で売春をしているという話を聞き、大きな衝撃を受けたが、心に強くひかれるものがあった。テニス・クラブでアンリを見かけたセブリーヌは、さり気なくその女たちのことを話した。アンリもまたさりげなくそういう女たちを歓迎する家を教えた。一時は内心のうずきを抑えたもののセブリーヌは、自分でもわからないまま、そういう女を歓迎する番地の家をたずねるのだった。そして、セブリーヌの二重生活がはじまった。女郎屋の女主人アナイス(G・パージュ)は、セブリーヌに真昼のひととき、つかの間の命を燃やすという意味で「昼顔」という名をつけてくれた。毎日、午後の何時間かを、セブリーヌは行きずりの男に抱かれて過し、夜は今までの通り、やさしく貞淑な妻だった。セブリーヌにはもはや夫を裏切っているという、意識はなかった。体と心に奇妙な均衡が生れ、一日、一日が満ち足りていた。しかし、その均衡が破れる日が来た。セブリーヌに、マルセル(P・クレマンティ)という、金歯だらけの口をした、粗野で無鉄砲で野獣のような男が、すっかり惚れこんでしまったからだ。マルセルは、夫と別れて自分のものになれと、いまは自分の行為を恐しくなったセブリーヌをしつこくおどしつづけ、セブリーヌが言うことを聞かないと知るや、無暴にも、ピエールをそ撃した。ピエールは命を取りとめたが、体の自由がきかず、廃人同様となってしまった。セブリーヌは生ける屍となったピエールを守って生きてゆこうと決心するのだった。二人は前よりも幸せな生活を送ることになった。そして、セブリーヌの身内にはあの変な、いまわしい妄想が、永遠に遠去かって行くのがわかった。

キャスト(役名)
Catherine Deneuve カトリーヌ・ドヌーヴ (Severine)
Jean Sorel ジャン・ソレル (Pierre)
Michel Piccoli ミシェル・ピッコリ (Henri Husson)
Genevieve Page ジュヌヴィエーヴ・パージュ (Mme Anais)
Pierre Clementi ピエール・クレマンティ (Marcel)
Francisco Rabal フランシスコ・ラバル (Hippolyte)
Macha Meril マーシャ・メリル (Ren8fa1a5e)
スタッフ
監督
Luis Bunuel ルイス・ブニュエル
製作
Robert Hakim ロベール・アキム
Raymond Hakim レイモン・アキム
原作
Joseph Kessel ジョゼフ・ケッセル
脚色
Luis Bunuel ルイス・ブニュエル
Jean Claude Carriere ジャン・クロード・カリエール
撮影
Sacha Vierny サッシャ・ヴィエルニ

六月のベスト10

六月のベスト10 6位から10位まで

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 一見して、6位から10位までのラインナップの方がおもしろいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10

 

六月のベスト5

六月のベスト5

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 六月のベスト5は以下の通りです。

 昨夜は、熊本県荒尾市までの久々のスケーターツーリングでーー大牟田までは西鉄本線を利用しましたがーー疲れて早く寝ねてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画”ヘンリー8世と私生活”1933年をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
名優チャールズ・ロートンがなるほどそうであったかというほどの名演である。
この映画のメインをなすキャサリン・ハワードの野心と繊細を兼ね備えた人物造形は言うまでもなく、映画冒頭で処刑を待つ二代目のアン女王の気品あふれる姿も心を打つ。日本映画の到底到達できそうもない女性群像の数々である。

印象に残っているのは、策が見破られたのも知らずに優雅に踊り続けるキャサリンと恋人の豚追う会の場面であろう。露見した後の二人の狼狽を映画は伝えないが、あの踊りの堂々とした輪舞からして従容として運命を受け入れただろうキャサリンの毅然とした態度を想像することは困難ではない。女性の力、女性の気品というものを見せつけられて、やはりイギリスはすごい国だと思った。

この映画は、何よりも女性賛歌なのである。しかもなよなよしい大和撫子もどきの女性ではなく、毅然と運命に向かいあった。こうした観点で見るとき、ナイーブなくせに大物らしく振舞わざるを得ず、寂しさを馬鹿笑いの陰に押し隠したヘンリーの人間性が一層悲しくも美しく浮かび上がってくるという構図なのだ。

史実がどうであったかではなく、史実以上にレアリティを持ちえた映画、しかもトーキー初期のイギリス映画の実力を見せつけた映画である。舞台装置も、華麗な衣装も、音楽も素晴らしい。


ヘンリーの6人の錚々たる妻の群像については英国海外旅行COMより

1501年に兄、アーサー(Prince of Wales)が急逝したことにより、ヘンリーは皇太子となった。1509年、父の死によりヘンリー8世として即位した彼は、その2ヶ月後、最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1485-1536)と結婚した。

キャサリンは亡くなった兄、アーサーの妻だった。当時、イギリスでは女系への王位継承が認められていなかったため、ヘンリーは息子を授かることを切望していた。しかし、彼女の度重なる流産などにより、結局、女児メアリーしか授かることができず、彼は高齢により出産が難しくなったキャサリンと離婚することを考え始めた。

そして、結婚から22年後、ヘンリーはキャサリンの侍女であるアン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507-1536)と再婚するため、離婚が認められていなかったカトリック教会に対し、キャサリンが「兄アーサーの妻だった」という事実で「婚姻の無効」の認可をとろうとしたが、結局、許可されることはなかった。そこで、ヘンリーはカトリック教会からの離脱を決意し、自ら英国国教会を設立。1534年、アンを正式な王妃に迎えることとなった。

アンはすぐに女児エリザベスを出産したが、その後、男児を流産してしまったことを境に、ヘンリーのアンへの愛情は次第に冷めていった。彼の心はアンの女官であったジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509-1537)に移り、彼女と再婚するために、アンを「反逆、姦通、近親姦および魔術」という無実の罪で裁判にかけ、ロンドン塔で処刑した。

数日後、ヘンリーはジェーンと結婚した。ようやく男児エドワード6世(Edward VI, 1537-1553)を儲けたが、残念ながら、ジェーンは産褥死した。また、エドワードも15歳で病死している。

その後、4番目の妻となったのはアン・オブ・クレーブス(Anne of Cleves, 1515-1557)。しかし、当時の大臣トマス・クロムウェルが画家ハンス・ホルバインに書かせた肖像画とアン本人とのイメージがあまりに違っていたため、彼女に会った直後にヘンリーの不興を買い、わずか半年で離婚されたと言われている。その後、トマス・クロムウェルもこの件の責任を取らされ、ロンドン塔で処刑されている。

同年、ヘンリーはアン・ブーリンの従妹にあたるキャサリン・ハワード(Catherine Howard, 1521-1542)と結婚した。この時、ヘンリーは49歳。キャサリンは彼よりも30歳若く、目に余る自由奔放な振る舞いを続けたことから、彼女もまたアンと同様の理由でロンドン塔に送られ、アンと同じ運命をたどることになった。

最後にヘンリーは、イギリスでは女性として初めて本を出版し、聡明な学者でもあるキャサリン・パー(Catherine Parr, 1512-1548)と結婚した。彼女は、当時、私生児の身分に落とされていたメアリーとエリザベスの地位を「王女」へと戻すことをヘンリーに嘆願し、認められた。そしてまた、彼女はエドワードを含めた3人の教育係を任されるほど、彼からの信頼も厚かった。

結婚3年半目にヘンリーがこの世を去った後、キャサリンジェーン・シーモアの兄と再婚したが、翌年、病死している。

皮肉なことに、ヘンリー8世は息子を授かるために苦労したにもかかわらず、英国史上最も偉大な君主の1人になったのは、娘エリザベス(Elizabeth I, 1533-1603)だった。このエリザベス一世自身も投獄されていたロンドン塔に一度行ってみて、処刑された女性たちの人生に思いを馳せるのも一興、ではないだろうか。

(執筆者 西村あかね)



inseeke より

<あらすじ>

ヘンリー八世の私生活(33米?) ★★★★☆ 鑑賞日 2002.08.15.
The Private Life of Henry VIII
KEYWORDS:【歴史・イギリス】
ヘンリー八世の最初の王妃キャサリンは気が強い女で,離婚.次の王妃アンもお払い箱となったが,それは別の理由によるものだった―
王の寝室でまだ温かいベッドを前に侍女たちが騒いでいる.枕などのAのイニシャルをJにしなければならないのだ.アンは不貞の廉で処刑されることになっており,すでに後がまはジェーンと決まっていたのだ.
口笛を吹きながら回転砥石で剣を研ぐフランス人の首切り役人にイギリス人の首切り人がよそ者だと不平を言う.彼は王妃の不貞の相手五人の首を切ったのだ.それに対し,フランス人はむさくるしい男ならともかく,女性となると繊細さが必要で,フランス人でなくてはつとまらないと言うのだった.
処刑を待つアンは首が落ちても髪が乱れないようにと念入りに支度をする.一方,王はジェーンのことしか頭になかった.気の強いキャサリン,野心家のアンと違い,ジェーンは頭はからっぽだった.枢密院の会合中に飛び込んできたジェーンは婚礼の髪飾りを選んでくれとヘンリーにせがむ.
こうしてアンは断頭台の露と消え,まもなくしてヘンリーに王子誕生の報せがもたらされた.ところが,戻ったヘンリーはジェーンが死んだことを知ったのだった.
王は当然のごとく王子をかわいがったが,四十年間王に仕えてきた乳母は,ひげで肌を傷つけるなとか,日にさらしてはいけないなどとしかり,王も形無しだった.
周囲は世継ぎをもっともうけるために王の再婚を望んだが,王は三度の失敗で結婚はこりごりだった.
不機嫌な王にみな黙りこくる食事の席,王の所望に応えて王がつくった歌を歌ったのはキャサリン・ハワードだった.キャサリンはかつて王も一皮むけば一人の男だと言ったことがあり,王も覚えていた.
王もついにドイツのクレーフェの姫アンとの結婚を考えるようになった.しかし,ドイツ人に美人はいないとの持論の王はPと画家をドイツに送った.ところがアンはPに好意をもってしまい,三人の妃と悲劇的な別れかたをしたヘンリー八世のことを青ひげと呼んではばからなかった.
肖像画を見て王も満足するが,それでもその晩,キャサリンの部屋で歌を聴かせてもらう約束をすることにした.それを見た友人のトマス・カルペパーは,キャサリンを諫めるが,キャサリンはきかなかった.
その晩,忍んでいこうとする王だったが,道々の衛兵たちは「陛下のお通り」と大声で告げる.やっとたどりついた王は,「誰にも気づかれずに来た」と言い,かつてのキャサリンの言葉「国王も一人の男」を実証しようと迫る.ところが,そこにカルペパーがはいってきてアン姫がロチェスター城に到着との報せをもたらした.
アンは今やPと恋仲になっており,なんとかしてヘンリーとの結婚を避けたかった.ヘンリーの前に現われたアンは,しかめつらをしており,動作もぎこちなかった.王は全然美人ではないとクロムウェルを責めるが,どうしようもなかった.
王は「国のためと我慢して」アンの寝室へ.ところがアンは何も知らないふりをして赤ん坊はコウノトリが運んでくるものなどと言う.やむなく王は歌も楽器もだめなアンと賭けトランプを始めた.ところが王の自信に反して王は負け続けた.寝所から出てきた王が金(95クラウン)を持ってこさせる命令を発するのを聞いて家臣たちはあっけにとられるのだった.
王は首をはねるわけにもいかず,腹が立った.まさか離婚に承知してもらえまいとは思っていたが,アンは喜んで承知するとのことだった.その条件は荘園と年金,そして若い騎士Pだった.ヘンリーはアンがはじめからそのつもりだったと悟り,アンは初めて笑顔を見せた.そして,キャサリン・ハワードのことも知っていたというのだった.
ヘンリーは国民の要求であることを口実にキャサリンに求婚した.
五番目の結婚はうまくいったかに見えた.レスリングの観戦中,キャサリンが王が「若いころは強かった」と言ったのに反発し,チャンピオンに挑戦した.王は勝って歓声を浴びたが,発作を起こして倒れてしまった.
これまで王冠に満足していたキャサリンはやはり愛のない生活はつらくなっていた.一方,カルペパーも王妃としてのキャサリンを見ているのが耐えられなくなり,アメリカへ渡る決意をした.アメリカはスペインとポルトガルの領土だと指摘されると,北アメリカだと言う.まだ未開の土地だった.
そのカルペパーをキャサリンはその晩,寝室に誘った.カルペパーは別れを告げに来たが,立ち去れずにいた.そこに思いがけず王が訪れ,カルペパーは身を隠した.王はフランスとドイツを和解させたいと愚痴を言った.ドイツはフランスの半分を,フランスはフランドルを餌に同盟を申し入れてきているが,若いころならいざ知らず,ヨーロッパを戦争に巻き込むわけにはいかないと老境のヘンリーは考えるのだった.
食事の席,ヘンリーは足が痛くて踊れないので王妃の相手をカルペパーに命じた.二人が踊っている間,王は枢密院に呼び出された.ヘンリーは枢密院で王妃のカルペパーとの不義を告げられた.証人もいて事実だと知ると,王はむせび泣いた.
一五四三年,クレーフェのアンがヘンリーに会いに来た.アンは寂しがっているヘンリーに再婚を勧めた.
「最初のように強気でなく,二番目のように野心家でもなく,三番目のように愚か者でもなく…」
「四番目のように詐欺師でもなく?」
「そう.そして五度目のように若すぎもせず.」
そういってアンは,庭で子供たちの相手をしているキャサリンを示した.
数年後,王妃キャサリンはさんざん小言を言ったかと思うとヘンリーの食べていた肉を取り上げ,毛布を掛けて寝かしつけて去っていった.キャサリンが去ったと見るとヘンリーは毛布を捨て,肉をむさぼりながら言う.
「今度のがいちばん悪い.」

王妃たちがそれぞれ個性的に描かれていて最高.そして傲慢ながらも弱気のヘンリーの寂しさもいい.BGMに「悲愴」とマールボロマーチがあった.



監督:アレクサンダー・コルダ
脚本:ラボス・ピロ/アーサー・ウィンベリス
撮影:ジョルジュ・ぺりナル
美術:ヴィンセント・コルダ
衣装:ジョン・アームストロング
音楽:カート・シュローダー

主な出演者:チャールズ・ロートン/ビニー・バーンズ/ロバート・ドーナット/マール・オべロン/ポール・スコフィールド
公開年:1933年
製作国:イギリス
ジャンル:ドラマ/歴史劇

映画”会議は踊る”1931年をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映画を見ながらつくづくこれはシンデレラ物語だなと思わせた。また、”ローマの休日”が裏返された”会議は踊る”ということにも気がつかされた。いままでこのような言及が過去あったのかは知らない。

しかし、これは何よりも歌物語なのである。淀川長治が言っていたように、戦前のトーキー、しかもドイツ映画がかっても今も達成したことがない水準の映画なのである。歌の力が何であるのか、そして日常の時間を生きるとはどういうことであるのかを、輝かしい映像に刻印したという意味で、まさにこれは映画なのである。

クライマックスは、やはりヒロインが馬車でロシア皇帝の館に向かう馬上豊かな”会議は踊る”の絶唱であろう。見送る人、見過ごす人、出迎える人の、それぞれの思いをも籠めた合唱が高鳴り、さすがウィーンの文化なのだと思った。

そしてナポレオンエルバ島脱出による急報を受けてウィーンに都度った各国の首脳が立ち去っていく緊迫した歴史の一こまを背景に、歴史の大波に押し流されていく個人の運命の余韻を伝える幕切れのシーンのあわただしさは、感情を交えない、即物的な表現であるが故に、恋のあわれさ、果敢なさをより一層伝えているというべきである。

主役のウィーンの町娘とロシア皇帝だけでなく、町娘のフィアンセ、ロシア皇帝侍従長、宰相メッテルニヒ、町の酒場の歌手、それぞれの脇役陣が素晴らしい。そしてかってもいまもこれを超えるほどのミュージカルの傑作をわれわれは生み出すきおとができるのかどうか、と思うほどの傑作なのである。

最後に映画”会議は踊る”の制作された現代史における背景についても語っておかなければならない。

1929年 ドイツ国家労働者党(ナチス)国政選挙において第二党に躍進。
1931年 すなわち”会議は踊る”制作される。
1933年 ヒトラー首班指名を受け首相となり内閣を組織する。

この映画の真のテーマ、すなわち平和への願いは軍靴によって蹂躙される。ほどなくこの映画は反国家的な映画として指弾され、この映画に携わったスタッフの多くは四散し、主役のリリアン・はーヴェイ以下が亡命という選択肢を選ぶことになる、そんなドイツという国が最も輝いていた時代を象徴する映画の、現代史のひとコマなのである。

この映画は、さらに戦前の日本社会において、適正外国語として排斥された文化の中で唯一日本人に許された愉悦の時、かすれかすれの至福の記憶でもあったのである。いまは歴史と忘却の彼方に去った彼らの一人一人が、この映画にどんな思いを籠めていたかを想像するだけで胸が熱くなる思いがする。

この映画には、場違いである気もするがが、天智天皇の死に臨んで額田王が手向けた永遠の絶唱、たゆることのない万葉挽歌の末尾を思い出してこの記事の筆をおきたい。

・・・・・大宮人はゆきわかれなむ。


goo映画より

解説・あらすじ - 会議は踊る(1931)

解説
オペレッタ、音楽劇の演出家として聞えているエリック・シャレルが招聘されて処女作品として監督したエリッヒ・ポマー・プロダクションで、「嘆きの天使」「予審」のロベルト・リープマンが「ワルツの夢」「東洋の秘密」の時と同じくノルベルト・ファルクと協力して脚本を書卸し、「ガソリン・ボーイ三人組」「女王様御命令」のウェルナー・R・ハイマンが作曲し、「愛国者」「ハンガリア狂想曲」のカールホフマンが撮影に当った者。主なる主演者は「ガソリン・ボーイ三人組」のリリアン・ハーヴェイ、「女王様御命令」「愛国者」のヴィリー・フリッチ、「旅愁」「最後の中隊」のコンラット・ファイトを始め、「ハンガリア狂想曲」「白魔」のリル・ダゴファー、「O・F氏のトランク」のアルフレッド・アベル、「泣き笑ひの人生」のオットー・ヴァルブルグ、「女王様御命令」のパウル・ヘルビガー、「予審」のユリウス・ファルケンシュタイン等である。無声。

一八一四年ナポレオンのエルバ島流嫡と共にワルツの都ウィーンには平和の春が再来した。知謀に長けたオーストリア宰相メッテルニヒは折もよしと欧洲各国の代表をウイーンに招いて、奈翁なき後の欧洲の覇権を握ろうと企てた--所謂ウイーン会議である。ロシアの賢者アレキサンダー三世を始め、サクソニア王、土其古のサルタン、スウェーデン王、プロシア侯等々の王侯の行列が日毎ウィーンの街を彩り、歓呼の声、三鞭酒抜く音に花の都は湧き立った。その騒ぎをよそに宰相メッテルニヒは熱い珈琲を啜りながら一人静かに苦肉の秘策を凝らしていた。ウィーン一の花をとめ、手袋屋のクリステルは音に聞くロシアのアレキサンダー太公に少女らしい憧れを抱いていた。彼女は太公の行列がウィーンの市街に入った時、花束を太公めがけて投げ捧げた。爆弾!と警固の役人は肝を潰したが、美しい愛の花束と判明して安堵した。しかし国賓を驚かしたる罪軽からずとあってクリステルはお尻に鞭刑二十五を受けることとなった。憤慨して牢屋の中で太公の悪口を吐いているクリステルの許に一人の姿優しい高位の役人が現れ、黙って彼女の悪口を聞き、彼女の容姿を眺めていた。その夜クリステルは鞭刑を赦され、かの高位の役人らしい人に伴われホイリンゲンの酒場へ行った。心を浮き立たせるワルツの楽音と香ばしい新酒--そこでクリステルはアレキサンダー太公その人に抱かれて幸福に酔っていたのである。メッテルニヒの深謀は効を奏してウィーン会議はいつか舞踏会と変じてしまった。列国の王侯達はワルツに酔って、ともすればウィーンに来た目的さえも忘れ勝ちだった。メッテルニヒはほくそ笑みながら自分勝手な條項を決議した。唯一人彼の思うままにならないのはアレキサンダー太公だった。太公は瞳の美しい伯爵夫人、美しい手袋屋の娘、と両手に花のロマンスを謳われながらも、会議には必ず粛然と姿を現した。そしてメッテルニヒを向うに廻して堂々と論を戦わした。メッテルニヒはその度に眉をひそめた。ウィーン会議が最高潮に達した一夜--即ち豪華を極めた舞踏会の一夜、汗にまみれた急使がメッテルニヒの前に立った。それは奈翁のエルバ島脱出の報だった。メッテルニヒが苦策を弄してのウィーン条約も奈翁の鉄蹄の下に再び蹂躙されるのだ。欧洲はまた戦太鼓が響き渡る戦場と化するのだ。一世の伊達者、芸術と華美の擁護者メッテルニヒは天を仰いで長大息を洩らした。クリステルと夢の様な歓楽にひたっていた太公の許にも同じ急報が伝わった。何も知らぬ女は明日を約する。大公は優しく接吻して、たださようならと云って置こう、と彼女に別れを告げた。馬車に揺られて去る太公の後姿をクリステルはいつ迄も飽かず眺めていた。


キャスト(役名)
Lilian Harvey リリアン・ハーヴェイ (Christel)
Willy Fritsch ヴィリー・フリッチ (Czar Alexander)
Otto Wallburg オットー・ヴァルブルグ (Bibikoff his Adjutant)
Willy Fritsch ヴィリー・フリッチ (Uralsky)
Conrad Veidt コンラート・ファイト (Metternich)
Carl Heinz Schroth (Pepi his secretary)
Lil Dagover リル・ダゴファー (The Countess)
Alfred Abel アルフレッド・アベル (The King of Sachsen)
Eugen Rex オイゲン・レックス (Minister of Sachsen)
Alfred Gerasch アルフレッド・ゲラッシュ (Minister of France)
Adele Sandrock アデーレ・ザンドロック (Duchess)
Margarete Kupfer マルガレーテ・クップァー (Countess)
Julius Falkenstein ユリウス・ファルケンシュタイン (The finance minister)
Max Gulstorff マックス・ギュルストルフ (The Mayor)
Paul Horbiger パウル・ヘルビガー (The Heurigen singer)
スタッフ
監督
Erik Charell エリック・シャレル
製作
Erich Pommer エリッヒ・ポマー
脚本
Norbert Falk ノルベルト・ファルク
Robert Liebmann ロベルト・リープマン
撮影
Carl Hoffmann カール・ホフマン
音楽
Werner R. Heymann ウェルナー・R・ハイマン
セット
Robert Herlth ロベルト・ヘルルト
Walter Rohrig ワルター・レーリッヒ
衣装(デザイン)
Rene Hubert ルネ・ハーバート
助監督
Paul Martin パウル・マーティン
 

アンドレイ・タルコフスキー”鏡”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映像詩ともいえるこの映画を読み解くのはなかなかに困難である。今日はタルコフスキーというなじみのない映画監督、高名であることはかねてより聞いていたので、土曜日の午後頑張ってミニシアターに出向いた。

映画の最初と最後にユーモラスな場面がある。ヒロインが通りすがりの医師と私的な会話を交わす部分。もう少し接近しようと並んで掛けた柵が二人の重みで壊れてしまう。この人間的な笑いがこの映画では一度もきけない、自然な笑いなのである。

映画の最後の場面、結婚にこぎ着けた若い二人が男の子が欲しいか女の子が欲しいかと議論する場面。空気までが輝いているかに見える。その横を祖母と思われる母親が二人の子供を連れて遠ざかっていく。

水、火、そして森と、恐ろしい映像の隠喩に満ちている。
現在はカラーの映像で、過去は(父母の世代の出来事は)モノクロで映像化されている。親子二代の夫婦関係をカラーとモノクロで描いている。語られなかった子供たちの世代は何色で描くつもりであったのだろうか。

映像の強烈さは、時にイングマール・ベルイマンを思わせる。今回は批評するまでには至らなかったが、なお注目していきたい。


日時:2009年10月30日 土曜日 午後1時半~
場所:福岡市総合図書館ミニシアター


[スタッフ]
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー/撮影:ゲオルギー・レルベルグ/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/挿入詩:アルセニー・タルコフスキー
[キャスト]
母マリア、妻ナタリア:マルガリータ・テレホワ、父:オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の私、息子イグナート:イグナト・ダニルツェフ、幼年時代の私:フィリップ・ヤンコフスキー、行きずりの医者:アナトーリー・ソロニーツィン、ナレーション:インノケンティ・スモクトゥノフスキー、詩朗読:アンドレイ・タルコフスキー

1975年/モスフィルム製作/長編劇映画/35mm/スタンダード/カラー/110分
配給:ロシア映画社/日本公開:1980年



                      ◆◆◆


関本洋司、という人のブログ――内容がかなり特異であると思うので、紹介する。

ジャネとタルコフスキーの『鏡』
「この現実化機能の最終項、先行するすべての諸項を恐らく要約するだろうところの項は、不幸にしてきわめて識られていないひとつの心的作用、すなわち、時間を構成する作用、現在時を精神に於て形成する作用であろう。時間は完全に作られて精神に与えられるのではない。これを証明するには、子供や病人の抱く時間に関する幻想を研究すれば足りよう。(中略)ひとつの精神状態や一群の現象を現在化することに成立つところの、新語を造って現在化作用(pre'sentification)とでも呼びうるところの、ひとつの精神能力が存立する。」(ピエール・ジャネ『強迫観念と神経衰弱』より)*

フロイトが概念を優先させたのに対して、ジャネは概念を優先しない。その態度は些細なことのようだが、臨床の重視にもつながるという意味で大変重要だと思う。概念を優先させることにより、個々の事例研究がおろそかになってしまうのは、狭義のマルクス主義者が信用組合(例:プルードンの交換銀行など)の具体的事例を軽視してきたのと似ている。

本題に戻って、ジャネの時間論についてさらに述べるなら、ここで筆者に思い出される映画がタルコフスキーの『鏡』だ。
この映画のなかでは映画作家タルコフスキー自身の記憶が再構成されているが、それは時間軸に沿っているわけではない。現在と過去は交互に出現し、ラストシーンでは主人公の現在の母と子供時代の主人公が手をつないで草原を歩くといったように、ひとつの画面自体のなかに複数の時間が再構成されるのだ。

フロイトマルクスに影響を受けたエイゼンシュテインの映画が概念を前提に作られているのに対して、タルコフスキーはジャネのいう「現在化作用」、その形成プロセス自体を映画のなかで再現しようとする。

『鏡』の主人公は映画の最後に病気になり寝込むが、精神科医にその病名について「記憶が原因です」と言われる。これは「現在化作用」を見失った映画作家自身の赤裸々な自己批評だと思う。タルコフスキーは後に自著『映像のポエジア』**で、完成間際まで映画の構成が見極められなかったとも語っている。

誤解がないように言っておくと、タルコフスキーの映画は戦争や圧制といった歴史に対しても開かれた映画であり、個人の記憶の中に閉じこもっている映画ではない。
そこには人類史に対する非妥協的は批評精神が存在するのだ(実はこの一点においてタルコフスキーエイゼンシュテインは精神的な相似形をなす)。
タルコフスキーの倫理観は彼の別の作品『惑星ソラリス』の次の台詞が雄弁に語っているように思われる。

「われわれに必要なのは鏡だ」。

この言葉は、他者の欲望に引きずられたり、自己にではなく他者にのみ要求するといった倫理観の欠如した現代の文明の課題を、明確に指し示している、と思う。



*ジャネ自身の著書は入手困難だが、同じ心理学者ミンコフスキーが『生きられる時間(1)』(邦訳p45)で上記のジャネの時間論に言及し、引用している。
**『映像のポエジア』(キネマ旬報社)は現在絶版。復刊が望まれる。なお『鏡』に関しては黒澤明の好意的な批評がある(イメージフォーラムタルコフスキー』)