アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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映画”めぐりあう時間たち”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
アメリカ映画だから少し軽く見ていたところもあったのかもしれないが、予想以上の出来に少なからず驚いた。舞台はロンドン郊外の田園の緑溢れるリッチモンド。イギリスの女流作家ヴァージニア・ウルフが入水自殺した1941年、大戦後の記憶が遠ざかりつつある一方でアメリカンドリームと呼ばれた現象が現実のものとなりつつある1951年のカルフォルニア。平凡な一人の静かな日常に生じた狂気、というよりその逆転が描かれている。三番目の舞台は2001年のニューヨーク。主人公はダロウェイ夫人と同じ老境に入りかかりつつあるが青春の華やかさを記憶にとどめる中年の雑誌編集者。彼女には同性の、いまは恋人のようであり友人のような女性と同棲しているが、過去に二人の男性をめぐる取捨選択があった。その生き方ゆえに”ダロウェイ夫人”とあだ名されている。彼女には人工授精で儲けた大学生の娘がいる。

その日は彼女が今も世話をしている昔の恋人の詩人であるリチャードの授賞式で、式後のパーティの準備に余念がない・リチャードは今は裏町のアパートに一人で暮らしておりエイズに侵されている。かれは受賞の理由が自分がエイズに侵された悲劇的な人生への報償として与えられたものだと思っている。このエピソードは昔の恋人の目の前で窓からの飛び降り自殺という結末で終わる。彼は死の直前長い間閉め切っていた窓を開け放ちこの上なく高揚した気分の中で死を選択する。

この三つのエピソードは”ダロウェイ夫人”の青春の、人生の選択時の決断に関わっている。ダロウエイ夫人とは、偶然の時間の交差によって運命が目まぐるしく交差する物語である。ダロウエイ夫人とは俗人の象徴、彼女の分身の見知らぬ青年の自殺の報告を聞いて、彼女は生を取り戻す。日地上的な時間の裂け目に不気味な顔をのぞかせた永遠の相はかき消え、傷口は塞がり癒着する。一方ダロウエイ夫人を死の相という非日常性の狂気から救った作者のヴァージニアにとってはそれが生から死への旅立ちとなる。

一方平凡な51年のロスアンジェルスの主婦にとっては、ホテルでの死は生へと反転する。彼女のお腹に身ごもった女の赤ちゃんが何を意味するかはこの映画で描かれた範囲では分からない。幼い息子だけが母親の身に生じている異変に気付いている。母親を死から生への繋ぎとめたのは、もしかしたら去っていこうとした母親の車に追いすがる姿であったかもしれない。

こうして2001年のニューヨークの雑誌社に勤めるキャリアウーマンにとっての長い一日は、大きな落胆とともに終わる。その一日の中に20世紀初頭を生きたヴァージニア・ウルフの狂気と隣り合わせの時間と、アメリカンドリームが孕んだ永遠の時間が交錯する。詩人の授賞式も彼の死によって中止となりパーティーに準備した御馳走を始末する母子と同棲の友人の三人。そこに不意の夜の訪問者が――

こうしてこの映画の最大のクライマックスが展開することになる。カナダのトロントから飛行機を乗り継いで到着した老夫人とはあのロサンジェルスの60年後の姿だったのである。映画はあの主婦のその後を二人の会話を通して紹介する。

彼女は女の子を出産した後に、家族のための朝食を用意したまま、まだ寝静まった家を一人後にしたのだった。カナダに移住し図書司書の仕事を得た彼女は家族を捨てて一人生きることを決断する。主婦として最悪の決断をしたと彼女は言う、しかし自分の選択に後悔していないとも。

彼女のあの優しい夫は病気で早死にしたらしい。あのあと生まれたらしい娘もいち早く世を去っている。そして母親の運命を悲しんだ長男こそ、2001年昔の恋人の前で、生の高揚感のうちに、窓から投身自殺したあのリチャードの50年前の姿だったのである。

こうしてそれぞれの巡りあう時間たちは偶然の運命の交錯した状況を経巡りながらエンディングを迎える。雑誌編集者は長年の”ダロウエイ夫人”の綽名の呪縛から解放され、同棲の女性との深い信頼関係を予感する。一夜を過ごすこととなったあの50年前の主婦は、深い因縁によって精神的な意味では孫であるかもしれない娘の部屋を借りることになって、心の籠った会話を交わすことになる。彼女があの出来事以来初めて交わしたのではないかと思われる人間的な会話を。何も知らない年若い娘は戸惑いながらも、そこに畏敬すべき時間が流れていることを理解するのであった。

ヴァージニア・ウルフとは何の象徴だろうか。英米では長い間インテリ女性の象徴であった。そしてダロウエイ夫人とは世俗の時間の象徴である。この映画が優れているのは日常の時間を超えた永遠なるものに迫ろうと格闘した三人の女性の姿を描いたことにある。日常世界のさりげなさの中に潜む狂気と永遠なるものの輝きを伝えた作家こそヴァージニア・ウルフであった。彼女こそジェーン・オースティン以来の英国文学の伝統を伝え、生への慰藉と限りない慰めの心とを教えた偉大な先達である。



あらすじ - めぐりあう時間たち(2002)
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あらすじ
1923年、ロンドン郊外のリッチモンド。作家のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、病気療養のために夫レナード(スティーヴン・ディレイン)とこの町に住み、『ダロウェイ夫人』を執筆していた。そんな彼女のもとに、姉のヴァネッサ(ミランダ・リチャードソン)たちがロンドンから訪ねてくる。お茶のパーティーが終わり、姉たちが帰ったあと、ヴァージニアは突然駅へと急ぎ、追ってきたレナードにすべての苦悩を爆発させる。その悲痛な叫びにより、レナードは彼女と共にロンドンへ戻ることを決意するのだった。

1951年、ロサンジェルス。主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は妊娠中。夫のダン(ジョン・C・ライリー)は優しかったが、ローラは彼が望む理想の妻でいることに疲れていた。今日はダンの誕生日。夜のパーティーを準備中、親友キティ(トニ・コレット)がやってきて、腫瘍のため入院すると彼女に泣きながら告げる。やがてローラは、息子のリッチー(ジャック・ロヴェロ)を隣人に預け、大量の薬瓶を持って一人ホテルへと向かう。その部屋で彼女は『ダロウェイ夫人』を開きながら、膨れた腹をさするのだった。

2001年、ニューヨーク。編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、エイズに冒された友人の作家リチャード(エド・ハリス)の受賞パーティーの準備をしていた。彼女は昔、リチャードが自分につけたニックネームミセス・ダロウェイにとりつかれ、感情を抑えながら彼の世話を続けてきた。しかしリチャードは、苦しみのあまり飛び降り自殺。パーティーは中止になったが、そこにリチャードの母親であり、家族を失ってしまったローラが訪ねてくるのだった。


キャスト(役名)
Nicole Kidman ニコール・キッドマン (Virginia Woolf)
Julianne Moore ジュリアン・ムーア (Laura Brown)
Meryl Streep メリル・ストリープ (Clarissa Vaughan)
Ed Harris エド・ハリス (Richard Brown)
Toni Collette トニ・コレット (Kitty)
Claire Danes クレア・デインズ (Julia Vaughan)
Jeff Daniels ジェフ・ダニエルズ (Louis Waters)
Stephen Dillane ステファン・ディラーヌ (Leonard Woolf)
Allison Janney アリソン・ジャネイ (Sally Lester)
John C. Reilly ジョン・C・ライリー (Dan Brown)
Miranda Richardson ミランダ・リチャードソン (Vanessa Bell)
Eileen Atkins アイリーン・アトキンズ (Barbara in the Flowershop)
Linda Bassett リンダ・バセット (Nelly Boxall)
Jack Rovello ジャック・ロヴェロ (Richie Brown)

スタッフ
監督
Stephen Daldry スティーヴン・ダルドリー
製作
Scott Rudin スコット・ルーディン
Robert Fox ロバート・フォックス
製作総指揮
Mark Huffam マーク・ハファム
原作
Michael Cunningham マイケル・カニンガム
脚本
David Hare デイヴィッド・ヘアー
撮影
Seamus McGarvey シーマス・マクガーヴィ
音楽
Philip Glass フィリップ・グラス
美術
Maria Djurkovic マリア・ジャコヴィック
編集
Peter Boyle ピーター・ボイル
衣装(デザイン)
Ann Roth アン・ロス
字幕
松浦美奈 マツウラミナ