アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『しろばんば』の里――伊豆湯ヶ島を訪ねて(2012/8) アリアドネの部屋アーカイブス

しろばんば』の里――伊豆湯ヶ島を訪ねて(2012/8) アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-25 21:42:20
テーマ:アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505537054.html

しろばんば』の里――伊豆湯ヶ島を訪ねて
2012-08-24 11:16:07
テーマ: 旅と文芸・民俗学



・ 東京から片道五時間、電車とバスに乗り継ぎ揺られて行き着く先は伊豆湯ヶ島、バス停で降りると、霊峰富士の端正な姿がお出迎えしてくれる。
 バス停のある、現在町のホールがある場所は,かっての井上少年が通っていた頃の小学校の跡地である。『しろばんば』の洪作少年が校庭や教室の窓辺から仰ぎ見た角度もこうだったはずだ。


 『しろばんば』の世界は子供の世界なのだから、極小と言ってもよいほど小さい。あの森羅万象が凝縮されたような子供の世界がたった五百メートル四方の範囲の、この小さな四辻を中心に展開されたわけだ。築地塀や刈込の連なり、川瀬の淵や温泉場での水しぶきや、夕べとなって遊び疲れた子供たちを出迎えるしろばんばの舞う姿もあったはずだ。そして、この小さな四辻を中心に、井上靖の生涯軸においてそれらが同心円状に、村と四辻、それらを取り巻くような小学校の校舎、村の鎮守や山寺、そしてたおやかな故郷の山々と、それらを一際高く見守る霊峰富士と天城の山容と、年輪のように、あるいは夜空に輝くプラネタリウムのように、子供の世界は延び縮みし広がっていたはずだ。
 この小説で描かれたのは、このどもの宇宙、こどもの世界に固有の宇宙の構造を描くことにあったと、今にして思う。

 現在ある湯ヶ島の風景は何げなくさりげなく、井上文学に親しんだもの以外には何らの感慨も起こさないかもしれない。

 下記の写真は、小説に出てくる井上本家である。なまこ壁の様子に、僅かに昔日の回想と追憶が揺曳している。

 


・ かっての、井上靖が所有していた跡地である。
近年まで残っていたのだが、現在は”昭和の村”と云う程遠からぬ処に移築されて保管されている由、保存の在り方も含めて、難しい問題である。やはり、現地に残して置いていただきたかった、と思う。

 


・ 現地に残る、『しろばんば』の記念碑である。
 『しろばんば』冒頭の文章が石碑に彫られているのを読むことが出来る。

 「 その頃、といっても大正期、五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々に”しろばんば””しろばんば”と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮遊している白い小さな生きものを追いかけて遊んだ。・・・」(『しろばんば』一章冒頭より)
 
 ユーチューブ観ることが出来るモノクロの映画版では、宇野重吉の哀調を帯びたモノローグを聴くことができる。

 なぜ、井上の最も重要な自伝的な小説を「しろばんば」と名付けたのか。それは第一に、村の子供たちの共有する記憶であったことは自明だろう。しかし、第二に白い綿屑の様な「しろばんば」が、青みを帯びてくる映じる夕闇が迫る間際の風景を村の子供たちは知らない。両親が不在の、夕餉の食卓に誘う声の届かない子供にだけ見えてくる、不在の風景なのである。
 『しろばんば』の命名には、子供心の内に兆す、そうした運命の非情さと思いやりとを井上は無意識のうちに感じていた筈だ。

 村のどの子供も見ることが出来なかった、青白んだ「しろばんば」の風景は、既に、村の子供たちとは共に生き得ない井上の今後をも、言外に語っている。
 共有と疎外、それが『しろばんば』のテーマである。

・ 『しろばんば』の洪作少年が一日の大半をおぬい婆さんと過ごした土蔵の跡である。現在は建物は無くなっており、無趣味な花壇が花もなく残されて余りにも無粋である。基礎の区画だけでも残せなかったのだろうか。
 井上靖の業績、郷里への貢献を思うと、少し残念である。




・ 小説の中では重要な役割を果たす、幸夫少年の家である。改装の結果小説の雰囲気とは随分違ってしまっているが。
 印象的なのは、洪作少年を駅馬車に見送る場面である。小説の中では、豊橋の家族を訪ねる場面と、この村を決定的に去ってしまう離別の場面と二度描かれるのであるが、後者の場面では幸夫少年は舞台に姿を現さない。辛くて遠くから見送っていたようだが、洪作少年もまた離別の慌ただしさの中で幸夫少年の姿を見失った切なさが印象的に描かれている。
 一番大事な場面を捉えきれないもどかしいほどの想い、それは過去と云うものの捉え難さ、通過儀礼としての儚さなのである。

 しかし離別の切なさは、実は最初の場面の方において秀逸な表現に達していると云うことも云える。幸夫少年は、洪作とおぬいお婆さんを乗せた馬車を必死に追う。やがて子供の脚では追いきれなくてどんどん離されて行く。井上少年はそこに必死になったまるで怒ったような幸夫の表情だけが迫ってくる。平凡な日常の中に於いても、既に永遠の別れが予感されていたかのような書き方が、何とも時間の心理学と云うものを教えてくれているのである。
 また、幸夫と洪作少年を隔てたものは、時間の心理学のみではない。土地に生きるほかはない者と、郷里を去る定めにある知識人と云う人種との別れとも、あるいは戦前の身分制と云うものの、越え難い断絶観をも同時に描き得ているのである。

 別れや離別はその日その時、現在形に於いて生じるのではない。普段の生活の中の、小さな別れの儀式に於いてこそ、それを儀式として意識せぬままに、少年の日に、無数の永遠の別れの予行演習がなされていたかのように・・・。
 儀式とは、同心円の世界が外の同心円に連なる、メビウスの輪のような季節点、時空を超えた宇宙の心理学なのである。

・ 小説に出てくる営林署の跡である。現在はここからほど近い場所に移転しており、現地は空しく門扉も閉鎖されたまま売り地の看板が淋しげに掲げられていた。
 ここに赴任してくる営林署の家族は、現在で云う転勤族である。東京から来たと云う垢ぬけした姉弟との出会いと云うものを通して、都会と云うものの存在を知り、自分の外側に広がる未知の、広い世間と云う名の同心円的な世界の一端を少年はおぼろげながら想像するようになるのだ。


・ 『しろばんば』の世界でもとりわけ印象的な、駅馬車の停車場跡地である。ここから、洪作少年の、世間と云う名の広い世界に繋がる、井上文学の臍の緒の様な位置にある、稀有の場所なのである。
 それにしても、夏草の生い茂る空き地は回顧を思うには侘しい。


・小説に、浅井光一と云う同級生の少年が出てくる。
 洪作少年は終業式に袴をはかされて登校するのだが、それが村の子供たちの間では浮き上がった存在にしてしまう。洪作少年は毎度このことで村の子供たちにさんざんからかわれるのだが、浅井少年は理不尽な仕打ちに対しては敢然と抗議するという意思表示の姿勢を見せる。まだ広い世間を知る前の洪作少年に、村落共同体と云う一体化された揺籃の生活空間に於いても、自分自身を主張すると云う稀有の経験を教えた、人生で出会った初めての小さな教師なのである。

 例え小さく非力な存在であろうとも、不合理なことには抗議する、そうした生き方は紆余曲折に満ちた井上の生涯の黎明を照らす、最初の照明灯のような役割を果たしたのではないだろうか。

 そんなことを偲びながら、浅井少年の子供さんに当たると云う当主の方と知り合いになることが出来た。
 浅井少年については、小説の中では描かれることは少ないが、それでも強い印象を残す。浅井さんは亡き父親への思慕を通じて井上少年を語り、井上靖を通じて亡き父を偲んだ。父親と彼の同級生であった井上文学への敬意が現れていて、ここにだけ『しろばんば』の世界が残っていた。

 現在は、自宅の玄関を井上文学の記念コーナーとされている。井上文学の書棚と、記憶が廃れないうちにと残された素朴な土蔵の模型写真を掲載しておく。

 



・ 土蔵は中に入ると二階建てになっていて、梯子の様な階段を上ると、そこが唯一の居間になっている。中央に箪笥が、この中には洪作少年の絣やはかまが大切に仕舞われていたはずだ。右手にちゃぶ台、この小さな食卓を囲んで少年とおぬいお婆さんはどのように向き合ったのだろうか。そして左手に勉強机、この机と向かい合う日が少年の日への、つまり伊豆湯ヶ島への別れに先立つ離別の儀式の日々であった。
 こうして土蔵の簡素な二階家の佇まいは、中央の畳を中央に、左右に少年の過去現在未来が配置された、この世の中で最も小さな、ミクロコスモスを象徴しているのである。
・ また、右手の写真は、中川基先生と読める。
 小説の中では、さき子お姉さんの婚約者になる方である。
 小説での印象はなぜか薄幸の印象に引きずられ、近年まで生存して居られたということが意外な思いであった。教師と学童たちと云う縦の垂直の関係ではなく、水平の眼差しの構図において子供たちを導いた、若き教師の印象的なプロフィールが、会ったこともないのに思い出されてくる。
 さき子お姉さんと中川基のその後については小説には描かれていないのだが、結核になったさき子お姉さんが夜中、身内だけの見送りを受けて人力車で村を去っていく場面は『しろばんば』の中でも最も美しい場面である。そして彼女は海辺の療養地に於いて、たった一人の赤ん坊をこの世に残して、この中川青年に看取られて亡くなったんだと云うことが納得された、この写真を見ながら改めて実在の実感として甦る。



・ 村の小学校にも行ってみた。
 最初に書いたように、この場所は移転した後の校舎なので、『しろばんば』の世界とは直接の関係はない。夏休み中と云うことで窓ガラスを開けて二人の先生たちが当直をされていた。女の先生が先に立たれて、お話しを伺うと、近年は学童の減少傾向が止まらず、来春には廃校になるのだそうである。現在は、教室を利用して井上文学の資料館になっている由、見学させていただいた。
 井上文学に対して関心はないのか女の先生は無言で淡々と先に立たれる。途中、こちらの歩みを気遣ってか、長い廊下の途中で一度だけ振り替えられる。熱くもなく冷たくもなく適度の距離感を保った懐かしい感じの女の先生である。案内を終えられると、邪魔にならないようにさっさと退出された。”・・・ご自由に”

 夏の終わりを告げる、喧しい蝉の声を遠く近く聞きながら教室を辞去する。離村で活躍される先生たちの今後の将来を祈る。


・ 正門前に、『しろばんば』を記念して、銅像が建立されている。資料館も含めて井上文学に馴染みの遺構がどのように扱われるのだろうか。

 左端に、逆光で見えにくいのだが、右手の洪作少年を見守るおぬいお婆さんの像がある。色々の事情があった人だが、守るべきもの、こころざし、そして愛の無償性を少年に教えてくれたひとである。


・ 資料室には、世田谷にあった井上の書斎の復元モデルや、村の今昔を伝える写真などが飾られていた。
 下記の写真は、大正初年当時の村の様子と現在の佇まいを対比したものである。




・ 再び、帰りの車窓から見た霊峰富士の雄姿である。

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