アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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六月のベスト10

六月のベスト10 6位から10位まで

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 一見して、6位から10位までのラインナップの方がおもしろいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10

 

六月のベスト5

六月のベスト5

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 六月のベスト5は以下の通りです。

 昨夜は、熊本県荒尾市までの久々のスケーターツーリングでーー大牟田までは西鉄本線を利用しましたがーー疲れて早く寝ねてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画”ヘンリー8世と私生活”1933年をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
名優チャールズ・ロートンがなるほどそうであったかというほどの名演である。
この映画のメインをなすキャサリン・ハワードの野心と繊細を兼ね備えた人物造形は言うまでもなく、映画冒頭で処刑を待つ二代目のアン女王の気品あふれる姿も心を打つ。日本映画の到底到達できそうもない女性群像の数々である。

印象に残っているのは、策が見破られたのも知らずに優雅に踊り続けるキャサリンと恋人の豚追う会の場面であろう。露見した後の二人の狼狽を映画は伝えないが、あの踊りの堂々とした輪舞からして従容として運命を受け入れただろうキャサリンの毅然とした態度を想像することは困難ではない。女性の力、女性の気品というものを見せつけられて、やはりイギリスはすごい国だと思った。

この映画は、何よりも女性賛歌なのである。しかもなよなよしい大和撫子もどきの女性ではなく、毅然と運命に向かいあった。こうした観点で見るとき、ナイーブなくせに大物らしく振舞わざるを得ず、寂しさを馬鹿笑いの陰に押し隠したヘンリーの人間性が一層悲しくも美しく浮かび上がってくるという構図なのだ。

史実がどうであったかではなく、史実以上にレアリティを持ちえた映画、しかもトーキー初期のイギリス映画の実力を見せつけた映画である。舞台装置も、華麗な衣装も、音楽も素晴らしい。


ヘンリーの6人の錚々たる妻の群像については英国海外旅行COMより

1501年に兄、アーサー(Prince of Wales)が急逝したことにより、ヘンリーは皇太子となった。1509年、父の死によりヘンリー8世として即位した彼は、その2ヶ月後、最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1485-1536)と結婚した。

キャサリンは亡くなった兄、アーサーの妻だった。当時、イギリスでは女系への王位継承が認められていなかったため、ヘンリーは息子を授かることを切望していた。しかし、彼女の度重なる流産などにより、結局、女児メアリーしか授かることができず、彼は高齢により出産が難しくなったキャサリンと離婚することを考え始めた。

そして、結婚から22年後、ヘンリーはキャサリンの侍女であるアン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507-1536)と再婚するため、離婚が認められていなかったカトリック教会に対し、キャサリンが「兄アーサーの妻だった」という事実で「婚姻の無効」の認可をとろうとしたが、結局、許可されることはなかった。そこで、ヘンリーはカトリック教会からの離脱を決意し、自ら英国国教会を設立。1534年、アンを正式な王妃に迎えることとなった。

アンはすぐに女児エリザベスを出産したが、その後、男児を流産してしまったことを境に、ヘンリーのアンへの愛情は次第に冷めていった。彼の心はアンの女官であったジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509-1537)に移り、彼女と再婚するために、アンを「反逆、姦通、近親姦および魔術」という無実の罪で裁判にかけ、ロンドン塔で処刑した。

数日後、ヘンリーはジェーンと結婚した。ようやく男児エドワード6世(Edward VI, 1537-1553)を儲けたが、残念ながら、ジェーンは産褥死した。また、エドワードも15歳で病死している。

その後、4番目の妻となったのはアン・オブ・クレーブス(Anne of Cleves, 1515-1557)。しかし、当時の大臣トマス・クロムウェルが画家ハンス・ホルバインに書かせた肖像画とアン本人とのイメージがあまりに違っていたため、彼女に会った直後にヘンリーの不興を買い、わずか半年で離婚されたと言われている。その後、トマス・クロムウェルもこの件の責任を取らされ、ロンドン塔で処刑されている。

同年、ヘンリーはアン・ブーリンの従妹にあたるキャサリン・ハワード(Catherine Howard, 1521-1542)と結婚した。この時、ヘンリーは49歳。キャサリンは彼よりも30歳若く、目に余る自由奔放な振る舞いを続けたことから、彼女もまたアンと同様の理由でロンドン塔に送られ、アンと同じ運命をたどることになった。

最後にヘンリーは、イギリスでは女性として初めて本を出版し、聡明な学者でもあるキャサリン・パー(Catherine Parr, 1512-1548)と結婚した。彼女は、当時、私生児の身分に落とされていたメアリーとエリザベスの地位を「王女」へと戻すことをヘンリーに嘆願し、認められた。そしてまた、彼女はエドワードを含めた3人の教育係を任されるほど、彼からの信頼も厚かった。

結婚3年半目にヘンリーがこの世を去った後、キャサリンジェーン・シーモアの兄と再婚したが、翌年、病死している。

皮肉なことに、ヘンリー8世は息子を授かるために苦労したにもかかわらず、英国史上最も偉大な君主の1人になったのは、娘エリザベス(Elizabeth I, 1533-1603)だった。このエリザベス一世自身も投獄されていたロンドン塔に一度行ってみて、処刑された女性たちの人生に思いを馳せるのも一興、ではないだろうか。

(執筆者 西村あかね)



inseeke より

<あらすじ>

ヘンリー八世の私生活(33米?) ★★★★☆ 鑑賞日 2002.08.15.
The Private Life of Henry VIII
KEYWORDS:【歴史・イギリス】
ヘンリー八世の最初の王妃キャサリンは気が強い女で,離婚.次の王妃アンもお払い箱となったが,それは別の理由によるものだった―
王の寝室でまだ温かいベッドを前に侍女たちが騒いでいる.枕などのAのイニシャルをJにしなければならないのだ.アンは不貞の廉で処刑されることになっており,すでに後がまはジェーンと決まっていたのだ.
口笛を吹きながら回転砥石で剣を研ぐフランス人の首切り役人にイギリス人の首切り人がよそ者だと不平を言う.彼は王妃の不貞の相手五人の首を切ったのだ.それに対し,フランス人はむさくるしい男ならともかく,女性となると繊細さが必要で,フランス人でなくてはつとまらないと言うのだった.
処刑を待つアンは首が落ちても髪が乱れないようにと念入りに支度をする.一方,王はジェーンのことしか頭になかった.気の強いキャサリン,野心家のアンと違い,ジェーンは頭はからっぽだった.枢密院の会合中に飛び込んできたジェーンは婚礼の髪飾りを選んでくれとヘンリーにせがむ.
こうしてアンは断頭台の露と消え,まもなくしてヘンリーに王子誕生の報せがもたらされた.ところが,戻ったヘンリーはジェーンが死んだことを知ったのだった.
王は当然のごとく王子をかわいがったが,四十年間王に仕えてきた乳母は,ひげで肌を傷つけるなとか,日にさらしてはいけないなどとしかり,王も形無しだった.
周囲は世継ぎをもっともうけるために王の再婚を望んだが,王は三度の失敗で結婚はこりごりだった.
不機嫌な王にみな黙りこくる食事の席,王の所望に応えて王がつくった歌を歌ったのはキャサリン・ハワードだった.キャサリンはかつて王も一皮むけば一人の男だと言ったことがあり,王も覚えていた.
王もついにドイツのクレーフェの姫アンとの結婚を考えるようになった.しかし,ドイツ人に美人はいないとの持論の王はPと画家をドイツに送った.ところがアンはPに好意をもってしまい,三人の妃と悲劇的な別れかたをしたヘンリー八世のことを青ひげと呼んではばからなかった.
肖像画を見て王も満足するが,それでもその晩,キャサリンの部屋で歌を聴かせてもらう約束をすることにした.それを見た友人のトマス・カルペパーは,キャサリンを諫めるが,キャサリンはきかなかった.
その晩,忍んでいこうとする王だったが,道々の衛兵たちは「陛下のお通り」と大声で告げる.やっとたどりついた王は,「誰にも気づかれずに来た」と言い,かつてのキャサリンの言葉「国王も一人の男」を実証しようと迫る.ところが,そこにカルペパーがはいってきてアン姫がロチェスター城に到着との報せをもたらした.
アンは今やPと恋仲になっており,なんとかしてヘンリーとの結婚を避けたかった.ヘンリーの前に現われたアンは,しかめつらをしており,動作もぎこちなかった.王は全然美人ではないとクロムウェルを責めるが,どうしようもなかった.
王は「国のためと我慢して」アンの寝室へ.ところがアンは何も知らないふりをして赤ん坊はコウノトリが運んでくるものなどと言う.やむなく王は歌も楽器もだめなアンと賭けトランプを始めた.ところが王の自信に反して王は負け続けた.寝所から出てきた王が金(95クラウン)を持ってこさせる命令を発するのを聞いて家臣たちはあっけにとられるのだった.
王は首をはねるわけにもいかず,腹が立った.まさか離婚に承知してもらえまいとは思っていたが,アンは喜んで承知するとのことだった.その条件は荘園と年金,そして若い騎士Pだった.ヘンリーはアンがはじめからそのつもりだったと悟り,アンは初めて笑顔を見せた.そして,キャサリン・ハワードのことも知っていたというのだった.
ヘンリーは国民の要求であることを口実にキャサリンに求婚した.
五番目の結婚はうまくいったかに見えた.レスリングの観戦中,キャサリンが王が「若いころは強かった」と言ったのに反発し,チャンピオンに挑戦した.王は勝って歓声を浴びたが,発作を起こして倒れてしまった.
これまで王冠に満足していたキャサリンはやはり愛のない生活はつらくなっていた.一方,カルペパーも王妃としてのキャサリンを見ているのが耐えられなくなり,アメリカへ渡る決意をした.アメリカはスペインとポルトガルの領土だと指摘されると,北アメリカだと言う.まだ未開の土地だった.
そのカルペパーをキャサリンはその晩,寝室に誘った.カルペパーは別れを告げに来たが,立ち去れずにいた.そこに思いがけず王が訪れ,カルペパーは身を隠した.王はフランスとドイツを和解させたいと愚痴を言った.ドイツはフランスの半分を,フランスはフランドルを餌に同盟を申し入れてきているが,若いころならいざ知らず,ヨーロッパを戦争に巻き込むわけにはいかないと老境のヘンリーは考えるのだった.
食事の席,ヘンリーは足が痛くて踊れないので王妃の相手をカルペパーに命じた.二人が踊っている間,王は枢密院に呼び出された.ヘンリーは枢密院で王妃のカルペパーとの不義を告げられた.証人もいて事実だと知ると,王はむせび泣いた.
一五四三年,クレーフェのアンがヘンリーに会いに来た.アンは寂しがっているヘンリーに再婚を勧めた.
「最初のように強気でなく,二番目のように野心家でもなく,三番目のように愚か者でもなく…」
「四番目のように詐欺師でもなく?」
「そう.そして五度目のように若すぎもせず.」
そういってアンは,庭で子供たちの相手をしているキャサリンを示した.
数年後,王妃キャサリンはさんざん小言を言ったかと思うとヘンリーの食べていた肉を取り上げ,毛布を掛けて寝かしつけて去っていった.キャサリンが去ったと見るとヘンリーは毛布を捨て,肉をむさぼりながら言う.
「今度のがいちばん悪い.」

王妃たちがそれぞれ個性的に描かれていて最高.そして傲慢ながらも弱気のヘンリーの寂しさもいい.BGMに「悲愴」とマールボロマーチがあった.



監督:アレクサンダー・コルダ
脚本:ラボス・ピロ/アーサー・ウィンベリス
撮影:ジョルジュ・ぺりナル
美術:ヴィンセント・コルダ
衣装:ジョン・アームストロング
音楽:カート・シュローダー

主な出演者:チャールズ・ロートン/ビニー・バーンズ/ロバート・ドーナット/マール・オべロン/ポール・スコフィールド
公開年:1933年
製作国:イギリス
ジャンル:ドラマ/歴史劇

映画”会議は踊る”1931年をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映画を見ながらつくづくこれはシンデレラ物語だなと思わせた。また、”ローマの休日”が裏返された”会議は踊る”ということにも気がつかされた。いままでこのような言及が過去あったのかは知らない。

しかし、これは何よりも歌物語なのである。淀川長治が言っていたように、戦前のトーキー、しかもドイツ映画がかっても今も達成したことがない水準の映画なのである。歌の力が何であるのか、そして日常の時間を生きるとはどういうことであるのかを、輝かしい映像に刻印したという意味で、まさにこれは映画なのである。

クライマックスは、やはりヒロインが馬車でロシア皇帝の館に向かう馬上豊かな”会議は踊る”の絶唱であろう。見送る人、見過ごす人、出迎える人の、それぞれの思いをも籠めた合唱が高鳴り、さすがウィーンの文化なのだと思った。

そしてナポレオンエルバ島脱出による急報を受けてウィーンに都度った各国の首脳が立ち去っていく緊迫した歴史の一こまを背景に、歴史の大波に押し流されていく個人の運命の余韻を伝える幕切れのシーンのあわただしさは、感情を交えない、即物的な表現であるが故に、恋のあわれさ、果敢なさをより一層伝えているというべきである。

主役のウィーンの町娘とロシア皇帝だけでなく、町娘のフィアンセ、ロシア皇帝侍従長、宰相メッテルニヒ、町の酒場の歌手、それぞれの脇役陣が素晴らしい。そしてかってもいまもこれを超えるほどのミュージカルの傑作をわれわれは生み出すきおとができるのかどうか、と思うほどの傑作なのである。

最後に映画”会議は踊る”の制作された現代史における背景についても語っておかなければならない。

1929年 ドイツ国家労働者党(ナチス)国政選挙において第二党に躍進。
1931年 すなわち”会議は踊る”制作される。
1933年 ヒトラー首班指名を受け首相となり内閣を組織する。

この映画の真のテーマ、すなわち平和への願いは軍靴によって蹂躙される。ほどなくこの映画は反国家的な映画として指弾され、この映画に携わったスタッフの多くは四散し、主役のリリアン・はーヴェイ以下が亡命という選択肢を選ぶことになる、そんなドイツという国が最も輝いていた時代を象徴する映画の、現代史のひとコマなのである。

この映画は、さらに戦前の日本社会において、適正外国語として排斥された文化の中で唯一日本人に許された愉悦の時、かすれかすれの至福の記憶でもあったのである。いまは歴史と忘却の彼方に去った彼らの一人一人が、この映画にどんな思いを籠めていたかを想像するだけで胸が熱くなる思いがする。

この映画には、場違いである気もするがが、天智天皇の死に臨んで額田王が手向けた永遠の絶唱、たゆることのない万葉挽歌の末尾を思い出してこの記事の筆をおきたい。

・・・・・大宮人はゆきわかれなむ。


goo映画より

解説・あらすじ - 会議は踊る(1931)

解説
オペレッタ、音楽劇の演出家として聞えているエリック・シャレルが招聘されて処女作品として監督したエリッヒ・ポマー・プロダクションで、「嘆きの天使」「予審」のロベルト・リープマンが「ワルツの夢」「東洋の秘密」の時と同じくノルベルト・ファルクと協力して脚本を書卸し、「ガソリン・ボーイ三人組」「女王様御命令」のウェルナー・R・ハイマンが作曲し、「愛国者」「ハンガリア狂想曲」のカールホフマンが撮影に当った者。主なる主演者は「ガソリン・ボーイ三人組」のリリアン・ハーヴェイ、「女王様御命令」「愛国者」のヴィリー・フリッチ、「旅愁」「最後の中隊」のコンラット・ファイトを始め、「ハンガリア狂想曲」「白魔」のリル・ダゴファー、「O・F氏のトランク」のアルフレッド・アベル、「泣き笑ひの人生」のオットー・ヴァルブルグ、「女王様御命令」のパウル・ヘルビガー、「予審」のユリウス・ファルケンシュタイン等である。無声。

一八一四年ナポレオンのエルバ島流嫡と共にワルツの都ウィーンには平和の春が再来した。知謀に長けたオーストリア宰相メッテルニヒは折もよしと欧洲各国の代表をウイーンに招いて、奈翁なき後の欧洲の覇権を握ろうと企てた--所謂ウイーン会議である。ロシアの賢者アレキサンダー三世を始め、サクソニア王、土其古のサルタン、スウェーデン王、プロシア侯等々の王侯の行列が日毎ウィーンの街を彩り、歓呼の声、三鞭酒抜く音に花の都は湧き立った。その騒ぎをよそに宰相メッテルニヒは熱い珈琲を啜りながら一人静かに苦肉の秘策を凝らしていた。ウィーン一の花をとめ、手袋屋のクリステルは音に聞くロシアのアレキサンダー太公に少女らしい憧れを抱いていた。彼女は太公の行列がウィーンの市街に入った時、花束を太公めがけて投げ捧げた。爆弾!と警固の役人は肝を潰したが、美しい愛の花束と判明して安堵した。しかし国賓を驚かしたる罪軽からずとあってクリステルはお尻に鞭刑二十五を受けることとなった。憤慨して牢屋の中で太公の悪口を吐いているクリステルの許に一人の姿優しい高位の役人が現れ、黙って彼女の悪口を聞き、彼女の容姿を眺めていた。その夜クリステルは鞭刑を赦され、かの高位の役人らしい人に伴われホイリンゲンの酒場へ行った。心を浮き立たせるワルツの楽音と香ばしい新酒--そこでクリステルはアレキサンダー太公その人に抱かれて幸福に酔っていたのである。メッテルニヒの深謀は効を奏してウィーン会議はいつか舞踏会と変じてしまった。列国の王侯達はワルツに酔って、ともすればウィーンに来た目的さえも忘れ勝ちだった。メッテルニヒはほくそ笑みながら自分勝手な條項を決議した。唯一人彼の思うままにならないのはアレキサンダー太公だった。太公は瞳の美しい伯爵夫人、美しい手袋屋の娘、と両手に花のロマンスを謳われながらも、会議には必ず粛然と姿を現した。そしてメッテルニヒを向うに廻して堂々と論を戦わした。メッテルニヒはその度に眉をひそめた。ウィーン会議が最高潮に達した一夜--即ち豪華を極めた舞踏会の一夜、汗にまみれた急使がメッテルニヒの前に立った。それは奈翁のエルバ島脱出の報だった。メッテルニヒが苦策を弄してのウィーン条約も奈翁の鉄蹄の下に再び蹂躙されるのだ。欧洲はまた戦太鼓が響き渡る戦場と化するのだ。一世の伊達者、芸術と華美の擁護者メッテルニヒは天を仰いで長大息を洩らした。クリステルと夢の様な歓楽にひたっていた太公の許にも同じ急報が伝わった。何も知らぬ女は明日を約する。大公は優しく接吻して、たださようならと云って置こう、と彼女に別れを告げた。馬車に揺られて去る太公の後姿をクリステルはいつ迄も飽かず眺めていた。


キャスト(役名)
Lilian Harvey リリアン・ハーヴェイ (Christel)
Willy Fritsch ヴィリー・フリッチ (Czar Alexander)
Otto Wallburg オットー・ヴァルブルグ (Bibikoff his Adjutant)
Willy Fritsch ヴィリー・フリッチ (Uralsky)
Conrad Veidt コンラート・ファイト (Metternich)
Carl Heinz Schroth (Pepi his secretary)
Lil Dagover リル・ダゴファー (The Countess)
Alfred Abel アルフレッド・アベル (The King of Sachsen)
Eugen Rex オイゲン・レックス (Minister of Sachsen)
Alfred Gerasch アルフレッド・ゲラッシュ (Minister of France)
Adele Sandrock アデーレ・ザンドロック (Duchess)
Margarete Kupfer マルガレーテ・クップァー (Countess)
Julius Falkenstein ユリウス・ファルケンシュタイン (The finance minister)
Max Gulstorff マックス・ギュルストルフ (The Mayor)
Paul Horbiger パウル・ヘルビガー (The Heurigen singer)
スタッフ
監督
Erik Charell エリック・シャレル
製作
Erich Pommer エリッヒ・ポマー
脚本
Norbert Falk ノルベルト・ファルク
Robert Liebmann ロベルト・リープマン
撮影
Carl Hoffmann カール・ホフマン
音楽
Werner R. Heymann ウェルナー・R・ハイマン
セット
Robert Herlth ロベルト・ヘルルト
Walter Rohrig ワルター・レーリッヒ
衣装(デザイン)
Rene Hubert ルネ・ハーバート
助監督
Paul Martin パウル・マーティン
 

アンドレイ・タルコフスキー”鏡”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
映像詩ともいえるこの映画を読み解くのはなかなかに困難である。今日はタルコフスキーというなじみのない映画監督、高名であることはかねてより聞いていたので、土曜日の午後頑張ってミニシアターに出向いた。

映画の最初と最後にユーモラスな場面がある。ヒロインが通りすがりの医師と私的な会話を交わす部分。もう少し接近しようと並んで掛けた柵が二人の重みで壊れてしまう。この人間的な笑いがこの映画では一度もきけない、自然な笑いなのである。

映画の最後の場面、結婚にこぎ着けた若い二人が男の子が欲しいか女の子が欲しいかと議論する場面。空気までが輝いているかに見える。その横を祖母と思われる母親が二人の子供を連れて遠ざかっていく。

水、火、そして森と、恐ろしい映像の隠喩に満ちている。
現在はカラーの映像で、過去は(父母の世代の出来事は)モノクロで映像化されている。親子二代の夫婦関係をカラーとモノクロで描いている。語られなかった子供たちの世代は何色で描くつもりであったのだろうか。

映像の強烈さは、時にイングマール・ベルイマンを思わせる。今回は批評するまでには至らなかったが、なお注目していきたい。


日時:2009年10月30日 土曜日 午後1時半~
場所:福岡市総合図書館ミニシアター


[スタッフ]
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー/撮影:ゲオルギー・レルベルグ/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/挿入詩:アルセニー・タルコフスキー
[キャスト]
母マリア、妻ナタリア:マルガリータ・テレホワ、父:オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の私、息子イグナート:イグナト・ダニルツェフ、幼年時代の私:フィリップ・ヤンコフスキー、行きずりの医者:アナトーリー・ソロニーツィン、ナレーション:インノケンティ・スモクトゥノフスキー、詩朗読:アンドレイ・タルコフスキー

1975年/モスフィルム製作/長編劇映画/35mm/スタンダード/カラー/110分
配給:ロシア映画社/日本公開:1980年



                      ◆◆◆


関本洋司、という人のブログ――内容がかなり特異であると思うので、紹介する。

ジャネとタルコフスキーの『鏡』
「この現実化機能の最終項、先行するすべての諸項を恐らく要約するだろうところの項は、不幸にしてきわめて識られていないひとつの心的作用、すなわち、時間を構成する作用、現在時を精神に於て形成する作用であろう。時間は完全に作られて精神に与えられるのではない。これを証明するには、子供や病人の抱く時間に関する幻想を研究すれば足りよう。(中略)ひとつの精神状態や一群の現象を現在化することに成立つところの、新語を造って現在化作用(pre'sentification)とでも呼びうるところの、ひとつの精神能力が存立する。」(ピエール・ジャネ『強迫観念と神経衰弱』より)*

フロイトが概念を優先させたのに対して、ジャネは概念を優先しない。その態度は些細なことのようだが、臨床の重視にもつながるという意味で大変重要だと思う。概念を優先させることにより、個々の事例研究がおろそかになってしまうのは、狭義のマルクス主義者が信用組合(例:プルードンの交換銀行など)の具体的事例を軽視してきたのと似ている。

本題に戻って、ジャネの時間論についてさらに述べるなら、ここで筆者に思い出される映画がタルコフスキーの『鏡』だ。
この映画のなかでは映画作家タルコフスキー自身の記憶が再構成されているが、それは時間軸に沿っているわけではない。現在と過去は交互に出現し、ラストシーンでは主人公の現在の母と子供時代の主人公が手をつないで草原を歩くといったように、ひとつの画面自体のなかに複数の時間が再構成されるのだ。

フロイトマルクスに影響を受けたエイゼンシュテインの映画が概念を前提に作られているのに対して、タルコフスキーはジャネのいう「現在化作用」、その形成プロセス自体を映画のなかで再現しようとする。

『鏡』の主人公は映画の最後に病気になり寝込むが、精神科医にその病名について「記憶が原因です」と言われる。これは「現在化作用」を見失った映画作家自身の赤裸々な自己批評だと思う。タルコフスキーは後に自著『映像のポエジア』**で、完成間際まで映画の構成が見極められなかったとも語っている。

誤解がないように言っておくと、タルコフスキーの映画は戦争や圧制といった歴史に対しても開かれた映画であり、個人の記憶の中に閉じこもっている映画ではない。
そこには人類史に対する非妥協的は批評精神が存在するのだ(実はこの一点においてタルコフスキーエイゼンシュテインは精神的な相似形をなす)。
タルコフスキーの倫理観は彼の別の作品『惑星ソラリス』の次の台詞が雄弁に語っているように思われる。

「われわれに必要なのは鏡だ」。

この言葉は、他者の欲望に引きずられたり、自己にではなく他者にのみ要求するといった倫理観の欠如した現代の文明の課題を、明確に指し示している、と思う。



*ジャネ自身の著書は入手困難だが、同じ心理学者ミンコフスキーが『生きられる時間(1)』(邦訳p45)で上記のジャネの時間論に言及し、引用している。
**『映像のポエジア』(キネマ旬報社)は現在絶版。復刊が望まれる。なお『鏡』に関しては黒澤明の好意的な批評がある(イメージフォーラムタルコフスキー』)
 

ジャン・コクトー”美女と野獣”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
野獣といってもぬいぐるみのように可愛いい?野獣!それにフランス語の発音が綺麗で、ベルがすぐに心を許してしまうのもなるほど、という気がする。しかし信ずる者のためにもし願いが聞き入れられないようなことがあれば、心労のあまり死んでしまうであろうというほどの純情さである。

野獣との会話の語尾には、まるで愛する人を確認するかのような「・・・ベール」の甘い母音が何度も繰り返される。怖いなどというものではなく、廊下を照らし出すために長い廊下に差し出された、蜀台をもった人間と思しき手の連なりがシュールな効果を上げている程度である。

映像的に最も異化的な場面は、宝庫を守るディアナの塑像が侵入してきたベールに好意を抱く従兄に弓を射る場面であろう。射落とされた体はたちまち野獣に変貌し、一方ベールの脇で可憐にも息絶えた野獣は王子に変貌してめでたく幕となる。

キュービットの弓の効果については聞いていたが、ディアナの弓については初めて知った。


goo映画より

<あらすじ>
昔、年老いた商人がいた。末娘のベルは美しく優しい娘で、いつも意地悪の二人の姉にいじめられていた。彼女は腕白な兄の友達アヴナンから求婚されていたが、父の世話をするために拒んでいた。父は自分の船が沈んだので破産を覚悟していたが、その一せきが無事入港したと聞いて喜んだ。二人の姉は宝石や衣しょうをお土産にねだったが、ベルは唯バラの花が欲しいといった。父が港に着いてみると船は債権者に押収されてしまい止むなく夜道を馬に乗って帰って来る途中、何時の間にか道を踏み迷ってこれまで見たことも聞いたこともない荒れ果てた古城に行き当った。

人影もなく静まり返った場内の異様な恐しさに逃げ出して庭に出るとそこには香しいバラの花が咲き誇っていた。ベルのことを想い出してその花を一輪手折った時、突如眼前に一個の怪物が現われて立ちふさがった。形は人間だが全身に毛がそそり立ち、物すごい形相をして彼をにらんでいる。野獣はこの古城の主であった。大切なバラを盗んだ罰に命をもらうといったが、もし娘の一人を身代りによこせば一命を助けてやると約束し父を魔法の馬に乗せて帰した。

ベルはこの話を聞いて責任を感じ父の生命を助けるために白馬に乗って単身野獣の居城へおもむいた。野獣は醜怪なその容ぼうにもかかわらず優しく堂々たる言葉で毎夜七時に食事の時だけ会いたい。そして「私の妻になっておくれ」と問います、といったがベルは「いやです」と答えた。美女と野獣の生活はこうして始まったが、ベルは次第に野獣のやさしい心に幸福な自分を見出すようになって来た。

会いたい人の顔をみられる魔法の鏡でベルが父の顔を見ると、父は心労のため病床にふし、家財はみんな差押えられていた。父想いのベルは野獣に一週間の約束で家へ帰ることとなり、野獣は信頼の形として宝庫ダイアナ亭の金の鍵と、何処にでも行ける手袋を与え、一週間経って帰って来なければ自分は心労のために死ぬであろうというベルが家に帰ると父は急に元気になったが、二人の姉妹のせん望と、ベルを思うアヴナンの野望とが一緒になってベルの金のかぎを奪い、兄とアヴナンは野獣を退治して宝物を奪う計画を樹てた。

ベルのお迎えにに来た白馬に乗って城に着いた兄とアヴナンはまづダイア亭の宝物をねらった。一方、ベルは魔法の鏡で野獣をみるとベルを慕う余り苦もんする野獣の姿を見出して、直ちに魔法の手袋をはめて野獣のもとへ行くと彼は正にもん絶せんとするところであった。アヴナンは亭の屋根を破り、中へ潜入しようとした途端、傍に立っていた彫像ダイアナがその手にもつ弓をやをら持ち上げて放った矢に、背を射抜かれ、突如野獣に変身してしまった。あたかもその時ベルの介抱にもかかわらずついにもん絶したと思った野獣の姿はかき消すように消えて、こつ然と輝くばかりの美しい王子が現われた、それはアヴナンによく似た王子だった。王子は長い間魔法使いのために野獣にされていたが、今、ベルの愛のひとみは元の姿に帰れたと語り、あなたは私の妃だといってベルを擁し、雲の上をはるか王子の城へと飛んでいった。

キャスト(役名)
Jean Marais ジャン・マレー (Avenant and Le Prince Charmant)
Josette Day ジョゼット・デイ (La Belle)
Marcel Andre マルセル・アンドレ (Le Pere)
Michel Auclair ミシェル・オークレール (Ludovic)
Mila Parely ミラ・パレリー (La soeur ainee)
Nane Germon ナーヌ・ジェルモン (La soeur)
スタッフ
監督
Jean Cocteau ジャン・コクトー
製作
Andre Paulve アンドレ・ポールヴェ
原作
Marie Leprince de Beaumont マリー・ルプランス・ボーモン
脚本
Jean Cocteau ジャン・コクトー
作曲
Georges Auric ジョルジュ・オーリック
美術
Christian Berard クリスチャン・ベラール

オースティン映画”エマ”をみる アリアドネ・アーカイブスより

 
オースティン映画では、”高慢と偏見”、”何時か晴れた日に(分別と多感)”い続いて三作目となる。オースティンの小説はいかにも作者そのものを思わせる聡明な女性が出てくるが、”エマ”はその点欠点の多い世間知らずの娘の自己成長史という体裁をとっている。

裕福ではあるが父と娘の二人住まいのエマ、彼女には歳の離れた従兄のナイトリーがいるが兄弟のように育ってきたので恋の相手と意識することはなかった。美貌と才気あふれる彼女には崇拝者ハリエット・スミスという女性の崇拝者がいて、彼女は自分のことよりも彼女の婚約に気を配っている。ハリエットと牧場主マーティンとの婚約を受諾しようとするのだが、エマは階級意識ゆえにマーティンを諦めるようにハリエットを説得してしまい、そのお節介をナイトリーに叱責されてしまう。

物語の半ば頃からフランク・チャーチルという青年が登場する。彼はウエストン氏の先妻の息子で今は裕福な叔母の元で暮らしているらしい。さらに隣家の姪のフェアファクスという貧しくはないが聡明な女性が登場して、人柄、教養申し分がないのだがエマはなぜか好きになれない。実はフランクとフェアファクスは婚約していて、遺産相続のために彼は彼女との婚約を公にできない事情があったらしい。この辺のオースティンが生きた18世紀イギリスの上流階級の階級意識や利害関係を理解するのは難しい。

年若く美貌で、しかも将来多額の資産を相続する筈の貴公子としてエマは憎からず思うが、彼は彼で前期フェアファクス嬢との婚約をカムフラージュする必要があってエマに近づいて来たのだった。エマには一貫性がなく例のお節介虫がうずいて、フランクとハリエットの婚約を夢想したりするが、もとよりフランクには計算高い人間であるのでほとんど資産のないハリエットと婚約するはずがないことにも築かないほど世間知らずである。

イギリス南部の田園地帯を舞台に多彩な人物の思惑や思い違い、そして困惑を描くオースティンの描写はほとんど優雅である。とりわけ何度か紹介されるイギリス中産階級の舞踏会での風景は、貴族社会ほどの派手さはないもののそれなりに優雅である。この映画の中で、まるでルノアールを思わせる郊外のピクニックの場面の長閑さとともに本編のクライマックスを築く。

この映画の中で決しえ正面からは描かれない、身分も資産も欠いたフェアファクス嬢の苦悩と逡巡には明らかに生涯独身で過ごした作者オースティンの姿が色濃く反映されているといってよい。この映画では彼女だけが家庭教師の職を探して自立した生き方をしなければならない。彼女の才能や教養も自立して生きていかなければならないゆえに身につけた生活の手段なのである。反面、階級社会の矛盾を告発してやまない彼女の自負と葛藤は水面下に閉ざされたままである。エマは、こうした一段階級の下の女性の自立を思いやるほどの理解力も欠いているし、物語の終わりに至っても、あるいは最後まで階級の外にあるものの苦悩を理解することはないだろう。彼女が同じ環境にあるハリエットに一方的に愛を注ぐのは、彼女がフェアファクスのように知性も教養も、そして美貌も欠いているから、つまり心の安全弁として利用できるからにすぎない。

この物語はエマと彼女の属する階級と、一段下のクラスに属するハリエットやフェアファクス――つまりオースティンが属した階級――の決して解消できない階級観の上に成立している。舞踏会で誰も申し込みも受けることなくぽつねんと椅子に座っているハリエットを踊りに差をうナイトリーの行為は、却って厳然とした階級意識を前提としている。また彼の騎士的な振る舞いの惚れ直すエマの美意識や恋愛観も同様の制限された階級意識に基づいている。ただしこの時代にあっても同情が恋愛に発展することもないではなかったらしい。物語の後半はナイトリーの行為をエマが誤解し、今やハリエットが重大なライバルとなって現れたことに気も動転し、ついには意識下に秘めてきた年長の従兄、ナイトリーの存在が自分にとってどんなに重大な意味を持っているかに気付くところで、例のオースティン物語の定型、恋の告白と婚約の受託というハッピーエンドで幕となる。

オースティンの恋愛観とはつまるところ、いかなる個人的な思慕の情も、経済的な保全と安定した階級社会と社会関係という背景がなければ意味をなさないという陳腐な考えにすぎない。この陳腐さを陳腐さであるがゆえの真実を、いかなる感傷や高邁な理念性のレンズにも曇らされることなく主張し続けたリアリズムゆえに彼女は偉大なのである。彼女は物質的な利害を外して、精神的な愛が成立しうるなどと言う近代の妄想、空想に加担するようなことは一度もなかったのである。

考えてみれば、海一つ隔てたドーバーの向こうではフランス革命の嵐が吹き荒れていたはずだ。自由・民権・友愛の理念のもとに、オースティンやその一つ上の階級が抱いていた人生観や世界観、人と人との関係を築く場合の美徳や高潔さといった感情も含めて、全てがご破算になる激動期に世界史は突入していたはずである。それを知ってか知らずか緑なす南イングランドの電影風景と、戸外のピクニックに集う人々の一日は何時終わるとも知れぬ日の名残りの長閑さをとどめおいたのである。まさにオースティンの文学性会こそ、永遠という言葉がふさわしい。


goo映画による

解説・あらすじ - Emma エマ(1996)

解説
イングランドの片田舎を舞台に、恋のキューピッドを任じる世間知らずのお嬢様が巻き起こす恋の騒動を描いた人間喜劇。「いつか晴れた日に」の原作者として知られる英国の女流作家ジェーン・オースティン(1775~1817)の同名長編小説を、「ブロードウェイの銃弾」の脚本家で、本作が初監督作となるダグラス・マクグラスの脚本・監督で映画化。製作総指揮は「イングリッシュ・ペイシェント」のボブとハーヴェイのワインステイン兄弟と、ドナ・ジグリオッティ。英国はドーセット州の田園地方をとらえた美しい撮影は「あなたがいたら 少女リンダ」のイアン・ウィルソン、音楽は「3人のエンジェル」のレイチェル・ポートマン、美術は「オルランド」『プリンセス・カラブー』(V)のマイケル・ハウェルズ、衣裳は「キルトに綴る愛」のルース・マイヤーズ。チャーミングな好演を見せた主演は「セブン」「ムーンライト&バレンチノ」のグウィネス・パルトロウ。共演は「ザ・インターネット」のジェレミー・ノーザム、「ミュリエルの結婚」のトニ・コレット、「トレインスポッティング」のユアン・マクレガー、「恋の闇 愛の光」のポリー・ウォーカー、「ザ・プレイヤー」のグレタ・スカッキ、「サークル・オブ・フレンズ」のアラン・カミング、「トライアル 審判」のジュリエット・スティーヴンソンほか。

キャスト(役名)
Gwyneth Paltrow グウィネス・パルトロウ (Emma Woodhouse)
Toni Collette トニ・コレット (Harriet Smith)
Alan Cumming アラン・カミング (Mr. Elton)
Ewan McGregor ユアン・マクレガー (Frank Churchill)
Jeremy Northam ジェレミー・ノーザム (Mr. Knightley)
Polly Walker ポリー・ウォーカー (Jane Fairfax)
Greta Scacchi グレタ・スカッキ (Mrs. Weston)
スタッフ
監督
Douglas McGrath ダグラス・マクグラス
製作
Steven Haft スティーヴン・ハフト
Patrick Cassavetti パトリック・カサヴェッティ
原作
Jane Austen ジェーン・オースティン
脚本
Douglas McGrath ダグラス・マクグラス
撮影
Ian Wilson イアン・ウィルソン
音楽
Rachel Portman レイチェル・ポートマン
美術
Michael Howells マイケル・ハウエルズ
編集
Lesley Walker レスリー・ウォーカー
衣装(デザイン)
Ruth Myers ルース・マイヤーズ
エグゼクティブ・プロデューサー
Bob Weinstein ボブ・ワインスタイン
Harvey Weinstein ハーヴェイ・ワインスタイン
Donna Gigliotti ドナ・ジグリオッティ
字幕
古田由紀子 フルタユキコ