アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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 ルカーチ ”――現代思想の冒険者たち06 アリアドネ・アーカイブスより

 ルカーチ ”――現代思想冒険者たち06
2010-01-11 08:54:01
テーマ:文学と思想

最近ではルカーチの名を聞くこともほとんどなくなった、というべきか、それでもこのようなマイナーな企画とはいえ選集には選ばれるということは、亡霊のように付きまとってくる、というべきなのだろうか。それとも、そもそも当時においてもルカーチはそれほど読まれていたのか。私の知る範囲ではルカーチが――戦前の福本イズムは別として――戦後の政治思想に顕著な影響を与えたということは、言えない。代々木系の理解は教条主義者の亜変種、かれらの人材不足からくる”批判的に読まれるべき教材”のようなものであったろうし、反代々木系に代表される戦後の政治思想と水準はルカーチ風の屈折を理解するにはあまりにも”無垢”であり”先進的”・”革命的”・”前衛的”でありすぎた。

だからヘルベルト・マルクーゼが、ジャン・ポール・サルトルが与えたような影響力を行使することは無かった。ゲオルグルカーチとは、当時も今もすでに過去の人だったのである。ただ60年代の学生運動の切り開いた地平が、その非日常的な時間性の上に一時革命後の日常を現出させ、そこで革命後の知識人の在り方として一時ルカーチの姿が過ぎったことはあったかもしれなかったが、そんなのはいまとなれば知る人ぞ知るエピソードのようなものだろうし、感傷の類に類似する記憶や記録に値する成果とも思えない。

アカデミックな関心は別として当時ルカーチを読むとははあの政治的季節と状況を去ろうとするときにそれぞれの条件と思惑を秘めた個人があの時代の多様ないかなる状況の局面にも順応できなかった人間が密かに読んだ、ということなのである。政治の範疇にも文学の自律性という範疇にも属し得なかった中途半端な人間が,20世紀の歴史と政治思潮の波に翻弄されて右往左往して生き延びたルカーチの姿を”批判的に読まれるべき教材”として読んだ、ということなのである。ゲオルグルカーチが当時も今も意味を持ちうるとするならば,それは思想が一個の自律性として多様な政治的状況を貫くことは偉大だし素晴らしいことでもあるのだが,プラトンの試行以来思想が政治的状況の幾重にも仕組まれた苛烈さの中において――他律的に――貫かれて在るというありかたが、思想史において問われたことはそう数多くはなかった、ということなのである。


<ゲオルグルカーチ>1885-1971 ハンガリー名、ルカーチ・ジェルジ。1885年ブタペスト生まれ。1919年のハンガリー評議会共和国の樹立に参加。共和国崩壊後のウィーンで著作活動に従事するもロシアマルクス主義の側からはたび重なる政治的批判を浴び、これには自己批判で応える。戦後は政治活動を断念し主としてジュネーヴの国際会議等において、東側の文化スポークスマンとして、ハイデガーサルトルヤスパースらとの論戦に応じる。1956年のハンガリー動乱には再び加担、事件の鎮静後たび重なる自己批判を経て蟄居に近い状態で生き延びて1971年に86歳で死去。ドナウ川を望む書斎跡は現在ルカーチ文学館になっているという。


ルカーチ――現代思想冒険者たち 第06巻”初見基 1998年5月10日 第一刷発行 蟾崔娘