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E.トッド”デモクラシー以後”――サルコジ的局面とは何か!ライオンとペリカンの会(95回)アリアドネ・アーカイブスより

E.トッド”デモクラシー以後”――サルコジ的局面とは何か!ライオンとペリカンの会(95回)
2009-12-18 23:51:32
テーマ:文学と思想

E.トッドのこの書は、いはゆる”サルコジ局面”と命名された現代フランス政治思想史のもっともアクチャルな現下の政治状況を扱っている。この本を全体を通じて読みとおしにくいのは、一つには最近の戦後フランスの政治的状況に無知なせいもある。この点はサルトル以前とは少し違っていて、もはやフランス現代史が現代史を語る上で重要性を低下させたというフランス文化の地盤低下の事情も少しはあるのだろう。だから、ここではこの書の全般的な紹介は諦めて、気がついたことを少しだけ書いてみることにしよう。

一つ目は”サルコジ局面”とは何か?
トッドの各国の家族制度の違いに着目した家族形態学的分類から導かれる特色は、フランスのデモクラシーと英米のそれとの違いを簡潔明瞭に説明しえた点である。トッドによればフランスとりわけパリを中心としたイールド・フランスと呼ばれる地域に顕著であるのは平等主義的核家族であるとされ、他方イングランドのそれは絶対核家族であるというふうに名付けられる。ここで平等主義的核家族とは”親子関係は自由主義的であり遺産相続は極めて平等主義的な家族制度として特徴づけられる”。他方、絶対核家族とは”イングランドやオランダに分布するものであり、子供は早くから独立し、親子関係は自由主義的だが、遺産相続は遺言によって行われ、兄弟関係の平等には無関心である”(同書訳者解説)とされる。

つまり近代デモクラシーを語る場合、フランスにおいてのみ自由と平等は等置されある種の統合的な理念の中で語られ討議されていたという事情がある。現代の私たちは”自由・平等・友愛”という標語めいた語感の中で並置して語ることになんら違和感を感じなっているのだが、トッドにこういう風な指摘を受けると今更ながらにフランス的な意味でのデモクラシーの意味の特異性、重大性に回顧的・反省的に考えざるを得なくなる。

サルコジ局面とは、このあまりにも深くフランス的であった自由と平等の特殊な結びつきを固有な文化的理解の結合として、言い換えればそれこそ過去二世紀に及ぶフランス文化の精華とも言えるものを、その精髄を全く理解しないタイプの政治家をフランス国民が一国の共和国大統領として選んでしまった、という最近のフランス現代史の局面をどう理解すれば良いのかという問いに重なる。もっと極端化した表現をすればサルコジ局面とは、最近の西側の先進国に複数生じている現象、――例えばアメリカにおけるブッシュ、日本における小泉などに代表されるポピュリズムの方向、無能な、それでいて野蛮でもあれば危険でもある政治家に一国の運命を預けてしまう不注意な、国民選挙と政治制度の在り方に対しうる問いなのである。

それは我々がここ一世紀の間に経験した産業資本主義から金融資本主義への移り変わりがもたらす必然的な帰結なのであるかもしれなかった。資本移動つまり資本の経営者からの分離は、一国内で循環していた国民国家的資本の論理を根本的なところで破壊した。一国の首相や財務大臣が会計士的な発想に陥った時、物と金と人の循環は、単なる短期の金利の差益に還元されるようになった。例えばイギリスの金利生活者や富豪のインドのIT工場への投資は現地の社会生活の有機的な循環過程にどのような影響をもたらしうるのだろうか。少なくともここには産業資本主義の時代にはありえた経営者と労働者の間の資本を中心とした生産と消費の地域循環的な過程は失われざるを得ないのである。

何のための生産であり何のための消費なのであろうか。自然は対価を生む限りでの”資源”としてしか評価されず、星辰の光は収支決算に寄与しないがゆえに遮断されなければならない。短期の会計士的な発想は費用対効果、資本の最大限効率という観点からのみ評価され、このような観点が政治の世界に持ち込まれた時、サルコジ的局面という現象を生む。

本書の末尾に添付されているジョン・メイナード・ケインズの”国家的自給”が明らかにしたのは、自由主義経済はポッブスの予想したようには世界経済は予定調和的には結果せず、それは個人のレベルでいう場合は正しいのだが国家レベルでは違った方策が必要であるという認識であった。分かりやすく言えば資本主義は管理され誘導されねばならず、それがケインズ流の国家主導の管理型の保護主義経済のあり方についての提案なのであった。

しかしここでもうひとつ明らかにされるのは、過去のナチズムによる統制経済やソヴィエト型の計画経済の成立は歴史の例外的な現象の一つなのではなく、自由主義経済の危機から帰結する必然的な選択肢の一つであったという風にケインズが理解してたことである。つまり結果として生み出されたものは異常でもあれば病理学的な対象であったかもしれないが、その生成に至るプロセスの中には資本主義とデモクラシーのある必然的な過程と帰結が含まれていたのである。

ナチズムやスターリニズムについてトッドは、それはマイナス面だけではなく、もしかして自由という理念や観点を度外視するならば、ある面ではそれは平等的観念の特殊実現、一国主義的な平等主義の実現形態であったことを示唆している。これは自由と平等の結びつきがもたらした一帰結であったとするならばあまりに恐ろしい人類史上の結論と予感の一つであった、というべきである。なぜなら、自由と平等がフランス流に統一されたあの固有な結びつき、あのフランス革命の理念こそ、排除の論理と部分デモクラシーの理念を、それゆえにこそ中立的公共性としての政治的理念と形態の中に階級的憎悪を、つまり恐怖政治を歴史上初めて持ち込んだのではなかったか。

トッドのデモクラシー理念はそれゆえにこそ両義的である。一つは先ほど述べたように、フランスにおいてのみ自由と平等は独特の結びつきを成し遂げることができた。この背景にはもちろんイールド・フランス地方の平等主義的核家族とトッドによって命名された家族制度があるわけなのだが、遺産配分に見られる兄弟間の自由は、異なる民族に対しても人間は皆平等であるという素晴らしい人権思想を人類史上初めてもたらした。そして今やこのフランス文化の精華でもあるデモクラシーがサルコジ局面によって危機にさらされているというのである。

いま一つは、自由と平等のフランス的な結びつきは国家を超えた伝播過程で、鬼子ともいうべきナチズムやスターリニズムという平等主義の幻想を育んだことであろう。ナチズムやスターリニズムは負の面だけではなく、一国的には平等主義の一国主義的な実現形態といえる面が確かにあったことは先に述べたとおりである。

エマニュエル・トッドの観点に将来性を感じるのは、かかる人類史上の負の遺産にすら歴史段階的な部分評価を与えている点である。トッドのヘーゲル主義的ともいえる包括性と現実主義は、1980年代以降のソヴィエト崩壊の事実を自国民の力で成し遂げたことへの評価としても表れている。西側の人間には到底感覚的に共感できないプーチンの強権政治に対する温かさにも、また歴史的段階を経ながらも民主制に辿りつこうと模索し苦闘している十三億の民を有する中華人民共和国に対する評価にもそれは表れている。特に二千年の歴史と十三億の民を有する国民国家的実験の行方は人類の方向を左右するとまで評価する。ここには四角四面の人権的発想から中・後進国を断罪する視点、西側の論理はない。

いまひとつトッドの議論の仕方に感心したのは、ドイツや北ヨーロッパ諸国を権威主義的直系家族型として定義し、そこからプロテスタンティズムの論理を定義したことである。これは有名なマックス・ウェ―バーの言説に対する有力な相対化と考えてよい。ところで直系家族とは”兄弟のうち一人だけが家を継ぎ、その他は家の外に出るという家族形態であり、権威主義と不平等主義を組み合わせたものである。なるほどピュリタニズムの場合の信条告白――神の絶対性と、自分たち教徒以外には救いは及ばない、不可能であるとする宗教的狂信、独善性の歴史的な過程と経緯には首肯できるものがある。

これは対抗的宗教改革あるいは反宗教改革が何故カソリックの国々で起こりえたか、またプロテスタンティズムの論理と心理が、フランス革命の理念とは相いれないものであったことを示す人類史的な端的な理由の一つとも考えられるのである。言い換えればフランス革命の理念は、民族の階級闘争のみではなく、プロテスタンティズムのもつ権威主義的な不平等主義に対するフランス流の普遍主義が見せた、世界史における偉大なリアクションであったとも考えられるのである。

最後に特筆しておきたいのは、エマニュエル・トッドとは、あのサルトル時代の余香を残したアンガージュの人であったという点である。単なる研究者ではなく、実際に現代フランス史においてサルコジ局面に深くかかわり、失敗に帰したとはいえそれを阻止するためにひと博打を仕組んだと公言して憚らない果敢な経歴の人なのである。その経済的な保護主義、緩やかな”!協調的”な保護主義は、EU的な理念を指導し領導する代表的な思想の一つとしても読むことができるのである。”デモクラシー以後”とはそれに懸けるトッドの意気込みそのものであると評価したい。


E・トッド”デモクラシー以後――協調的「保護主義」の提唱” 2009年6月30日第一刷 石崎晴巳約 藤原書店