アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

ブロッキエーリの”エロイーズとアベラール” アリアドネ・アーカイブス


わたしの”もがり”論について・Ⅱ
中村善也"ギリシャ悲劇入門”

ブロッキエーリの”エロイーズとアベラール”
2010-03-28 20:10:16
テーマ:文学と思想

ブロッキエーリは正式には、マリアテレーザ・フマガッリ=ベオニオ=ブロッキエーリといい、ミラノ大学教授、中世哲学史を専攻するものとある。ともすれば同情を集めがちのエロイーズよりも、アベラールの記述の多くの筆を割いている。とりわけ、当時のカトリック神学が成立する揺籃期の、アベラールがかかわったソワッソン、サンスの両公会議の模様や、聖ベルナールとの対立の過程の詳細を紹介しているのが特色といえる。

下記は、ブロッキエリの手になる、アベラールとエロイーズの概略である。これを読めば、大体の概要は理解できる。

<年譜>
1079年 アベラール、ブルターニュ地方、ナントの近郊ル・パレに生まれる。
1100年 エロイーズ、おそらくパリに生まれる。アベラールパリでシャンポーのギョームの学校に通う。
1102~12年 アベラール、論理学の最初の著作”字義的注解”執筆。エロイーズ、アルジァントゥイユ修道院で教育を受ける。
1112年 アベラール、パリ近郊セーヌ左岸、サント・ジュヌヴィエーヴの丘に学校を創立。
1113年 アベラール、アンセルムスのもとで神学を学ぶために、ランに赴く。
1114年 アベラール、パリで「かねてより彼のために用意されていた」講座に立つ。講義は大成功をおわめる。
1117年 エロイーズとアベラールとの出会い。二人の恋。
1118年 息子のアストロラブ誕生。エロイーズとアベラール、ひそかに結婚。エロイーズの親族の苛烈な復讐。アベラール、刺客におそわれ去勢される。エロイーズ、アルジジャントゥイユ修道院にいる。
1120年 アベラール、僧籍にいり、サン・ドニ修道院に身を寄せる。”三位一体論”、”神学”の主要部分を執筆。
1121年 ソワッソン公会議、アベラールの著書、焼却される。
1123年 アベラール、サン・ドニ修道士たちとはげしい論争。シャンパーニュ地方にパラクレ礼拝所を作る。講義を再開。”然りと否”を執筆。
1128年 アベラール、ブルターニュ地方、サン・ジルダ・ド・リュイスの修道院長となる。
1129年 エロイーズ、修道女たちとともにアルジャントゥイユを追われる。アベラールにより、パラクレに迎えられ、そこの長となる。
1133年~34年 アベラール、おそらくは自伝”不幸の物語”と”倫理学――汝自身を知れ”の構想を練る。
1134年~35年 エロイーズ、アベラール宛の書簡と”問題集”を執筆。
1135、6年? アベラール、パリにもどりサント・ジュヌヴェーヴで教壇に立つ。弟子の中に、ソールズベリのジョン、ブレッシャのアルナルドあぎる。
1138年 アベラールの神学および倫理学の著作のあるものに、サン・ティエリのギョームが最初の警告を発する。聖ベルナール(ベルナルドゥス)もこれに加担。
1140年 サンス公会議、アベラールの著書、糾弾される。アベラール、これに抗議するためローマ教皇庁をめざして出発。旅の途で病にたおれ、クリュニー修道院に身を寄せる。ここで生涯最後の時を過ごす。”哲学者、ユダヤ人、キリスト教徒の対話”を執筆。
1140年~41年 アベラールに対する糾弾を法皇が裁可。
1142年 アベラール、シャロン・シュル・ソーヌにあるクリュニー修道院のサン・マルセル隠遁所で死去。遺体は院長ピエール師(ペトルス・ヴェネラビリス)によりひそかにパラグレに移送され、そこに埋葬される。
1164年?エロイーズ、死去。パラクレに埋葬される。


このふるい昔話にも似た二人の恋物語を読むと、ヨーロッパ中世12世紀というあまりなじみのない時代における時代の雰囲気というものが読めて、とても新鮮である。この時代には有名な実在論唯名論の対立があったというふうに聴くけれども、多くの概説書では分かりきったこととして詳細な説明はない。後にかのレーニンですら彼の帝国主義論の初めのほうで、樹木一般というものは存在するか、個々の樹木があるだけではないのかと大真面目に論じているので、かれらヨーロッパ人にとってはとても普通のことなのだろう。

存在するものは個々のものであり、一般概念としては存在しないのだとすれば、普遍=カトリックにとっては都合が悪いわけだ。アベラールは唯名論、すなわち個々に存在するものを通して彼の神学を構築しようとしていた。このあとルネサンス期におけるプラトンの再発見にも見るように、時代は普遍概念をプラトニズムに基づかしめて展開したかのごとくである。

そういう意味では中世とルネサンス期にプラトニズムの受容の仕方において断絶はなかったとも言いうるのだろうか。この二人の恋人の悪戦苦闘振りは、そうした時代の大きな変わり目に彼らが生きていたのだと思うと、二人の愛がより広い歴史的な視野に展開されて、その哀切さとともにたしかに存在したものとしての彼らの存在が理解がしやすくなる。

エロイーズはアベラールに、神ではなくあなたゆえの存在であった、という。こんなことならどんな時代の人間にも言いうる陳腐な殺し文句だと思わないでほしい。普遍=神ではなく個物=アベラール故の存在であったと、彼女は師に忠実な生涯の弟子として、かって師が教えた論理をもって応戦しているのである。


マリアテレーザ・フマガッリ=ベオニオ=ブロッキエーリ著 "エロイーズとアベラール――ものではなく言葉を” 石崎容子/石岡ひろみ伊藤博明 訳 2004年6月初版第一刷り発行 ウニベルシタス630 (財)法政大学出版局