アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シモーヌ・ヴィイユの母 アリアドネ・アーカイブス

シモーヌヴィイユの母
2010-04-12 12:39:31
テーマ:文学と思想

シモーヌヴィイユの話題は二つであるように思われる。
一つは、彼女の権力概念と政治思想であり、
二つは、晩年の神秘主義思想への接近とキリスト教理解である。

初期の彼女は、明らかにルソーの近代主義が生んだ反権力主義、アナルコ・サンジカリズムアナキズムの延長線上にあるように思われる。ただ、並みの人間と違うのは、その極端な純粋さ、一途さである。それは場合によってはソクラテスを上回る。それは彼女に対面した時の人々の眼差しの優しさにある。もちろん例外はあるが。

彼女のような純粋さからは当然のことだが、根源悪としての権力に対する嫌悪、暴力装置としての国家の否定を帰結する。その帰結の仕方は、混じりけのない、直截的なもので、憚りを知らない。ここから彼女は悪の点景としてユダヤ主義とローマ帝国を告発する。この観点は、二番目のヨーロッパ史におけるキリスト教理解に持ち越される。

シモーヌ・ヴェイユによれば、ヨーロッパ・地中海世界は、二つの権力思想を生んだ。それは第一に選民思想であり、第二に他者の存在を許容しない不寛容な文明思想であった。違いはローマ帝国が自己の絶対性を世界帝国として世俗性の面で発揮したのに対して、ユダヤ教イスラエルの民はそれを目に見えない反世俗的な世界で発揮したにすぎないのである。

通常複数の世界観的世界はその遭遇した時の固有な状況において、反発したり相互浸透や打ち消し作用により、併存・集合・退化の過程を歩むのだが、ことこの地中海世界に生じた二つの文明圏は、人類にとって大変不幸なことに一方の不足を他方が補い支え合うということにおいて、世にも不思議な結合を遂げたのである。

つまりローマ帝国がその覇権主義ゆえに世界の覇権的地位を失いつつあるときに、ユダヤ思想は内面からイデオロギー的な保証を与え、ローマン・カトリックの上に理念的な延命化と永遠化を画策するのである。
一方、ユダヤ思想はローマと習合する過程で、個別的なもの、つまり旧約的宗教的権力思想とユダヤの民が数千年に及ぶ民族的履歴の果てに受肉化させた、禍々しき人間的憎悪の思想をキリストの愛の理念の中に滑り込ませるのである。

ヴェイユによれば本来的な形式的類同性にとっては、ローマ帝国に対応するのはユダヤの旧約的な思想であったが、同種のものは劇的な化学反応は生じない。近親憎悪の思想を注意深く愛の思想の裏側に滑り込ませることによって、本音と建前、ヨーロッパの言語でいえば本質と現象、普遍と個別が釣り合う、世界思想に発展することができたのである。建前としての愛の思想をユダヤの民は何処から手に入れたか、それはギリシア思想のエロスの概念からではなかっただろうか。初期キリスト教の生成する過程で、ギリシャ人の手になる思想的習合過程を想像することができる。

かってプラトンは、ソクラテスを通じて悪の本質、つまり、他人に害をなす場合と他者から街を受ける場合に、どちらがより人間として不幸な状態であるかを問うた。ソクラテスはいずれもが人間としての不幸であると認識しながら、前者の方に根源的に善から遠ざかった人間的不幸の問題をみた。

シモーヌ・ヴェイユの場合は、他者の思惟に晒された理不尽な社会的な弱者の在り方の中に、根源悪としての権力と絶対的受苦としての人間的不幸の問題を見る。
つまり、人間を物象化してやまない状況に対してあくまで主体の側の手綱の問題として捉え返して考える知識人ソクラテスと、思惟の一歩手前の世界を生きるほかない庶民の一般的な状況を生きる、20世紀のひとヴェイユとの違いである。

ところでヴェイユが嫌悪する暴力装置としての国家概念だが、国家=根源悪の等式では具体的な政治状況を捉えるには少し問題があったのではないか。20世紀の全体主義国家に現象しつつあった恐るべき固有の問題は、権力装置としての国家概念一般とは違うのではないのか。単にイスラエル的狂信的あるいは宗教的信念ゆえに異端審問と火刑台に送った正統思想の熱狂と、平然とガス室原子爆弾のボタンを押した小市民的日常の狂気とは違うのではないのか。

二つ目の問題を書くスペースが少なくなったが、晩年のヴェイユユダヤ思想、あるいはその錬金術的化学的変容の習合過程であるキリスト教に帰るに、グノーシス、あるいはせの継承形態である南フランスかって存在したカタリ派の思想に肩入れする。カタリ派とはヴェイユにとってギリシア的愛の概念の復興なのであった。

復興などといっても容易くなない。一度失われたものはもはや二度と甦りはしない。過去への犯罪は現実の不合理以上に人間性に加えられた侮蔑なのである。

地中海政界がキリスト教へと習合する過程で失ったもの、それはギリシアの思想、それも現存するプラトンの対話編の他に存在した、歴史によって破壊された秘教的な、言語によっては伝え難いとされた思想を、それを考古学的な手法によって復元しなければならないのだ。書かれたものが全てではないのである。そこに文学の、思想としての言葉の力がある。

ところで、シモーヌ・ヴェイユのような少女を育んだ家庭とはどのようなものであったろうか。家庭の中心には母親がいたであろう。その母親は第一次大戦時夫が軍医として従軍した時、規則を破っても子供たちを引き連れて前線で過ごしたという。

ヴェイユの家族は目に見えぬ影のように、濃厚にヴェイユの軌跡に、まるで地のような背景を与えている。これほど純粋で、一途で、思いたったこことは実行に移さずにはおられない子供を、どのようにして親は教育し、生みだしたのだろうか。シモーヌはまるで自殺行為のように、スペインのカタロニアの戦線へ、マルセイユからニューヨークを経てケント州のサナトリウムで亡くなるまでの長くもない旅程を、この二人の親たちは付き添うように、近からず遠からず一定の距離を置いて、追跡するがごとくであった。ヴェイユが亡くなった日も、戦時下の極端に不如意となった交通手段を前にヴィザの申請をしている途中であったと聞く。まさに神がかり的にある日を境に自分からは離れていくピエタのマリアそのままではないのか。


冨原真弓”シモーヌ・ヴェイユ” 2002年12月第一刷 ㈱岩波書店
〃    ”シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話” 2000年10月第一刷 青土社

#ノンフィクション・エッセイ