アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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伝統と近代、その伝承の方法 アリアドネ・アーカイブス

伝統と近代、その伝承の方法
2010-12-17 16:55:44
テーマ:文学と思想

地域経済が現代のようにグル―バルすることなく、地域ごとの地産地消的な閉じられた循環系の中で全てが生起し、価値の変動もなかったとするならば、近代化ということ事態が問題になることはなかったであろう。もしかしたら伝統という言葉も話題にならなかったのかもしれない。そこには新奇さや破調はあったかもしれないが、芸術や伝統そのものの意味変容を意味してはいなかった。いつの時代にもある新しがりや破調の反対概念は、伝統主義ではなく永遠の保守主義である。

そういう意味で今日では厳密な意味での保守主義は不可能になった。伝統主義と保守の違いは、前者が近代化という事態を受け入れてのリアクションであることでる。保守主義原理主義とは相いれないが、伝統志向はしばしば原理主義の形をとる。

さて、18世紀以降芸術を取り巻く環境の中で何が一番変わったかといえば、それはパトロネージの崩壊であろう。それはヨーロッパのように芸術を保護するものとしての王侯貴族や教会勢力の後退ということであったろうし、我が国においても公家や僧侶階級、近世以降は武家階級がになったとい言う意味では東西変わりはない。芸術・芸能はいつの世も体制依存的であり、これを寄生的などと考える考え方は存在しなかった。芸術・芸能がパトロネージの保護を失い、市場原理にさらされた結果芸術にもまた自活するような要請がおきた。また、芸術は内面的にもあらゆる属性を捨象した純粋芸術が要請されるようになったが、芸術至上主義とは芸術の論理と世俗の論理の違いを無視した近代特有の主知主義の典型である。

芸術を巡る現代社会もまた大枠としては18世紀以降の近代化の過程の中にある。ただ一つ特筆すべき変化は今世紀の初頭、第一次世界大戦と前後する数年間に起きた大衆社会の成立であろう。大衆社会とは伝統なき社会、アトム化された個人からなる社会である。ここでは自由や平等の宣揚と並んで生命の価値が至上のものとして命題化される。一見ヒューマニズムの完成態であるかに見えるのだが、ここでは生命の尊重や人権の声高な主張の影で、猿の社会ならびに蟻の社会並みの悪平等が実現される。伝統や時間概念を失って単なる生命体になった時、それは現在時制のみが存在する動物・生物のヒエラルキー的な世界に近いのである。このような世界では芸術・芸能は、メディアやファッション以外の意味で問われることは決してない。

近代社会の近代化はヨーロッパ社会の外部では帝国主義として、価値一元化、世界制覇としての侵略主義として押し寄せる。それは侵略戦争として武力を表に立てて現れることもあれば、経済戦争として伝統社会、共同体内部を貨幣経済によって蝕んでしまう。こうして伝統的な芸術や芸能、とりわけ少数民族はその全体も含めて存亡の事態に晒される。帝国主義的価値一元化社会は徹底的に伝統と少数民族を敵視する。

以上のようなグロ^-バル化の過程で、伝統とその継承の方法を検討すると、以下の三つが考えられる。

(1) 現代社会の中に生きながら、近代化という事態が恰もないかのように芸術・芸能の厳密な保守化を指向する。グローバル化の波を跳ね返すだけの経済力と国の施策等の方法があれば不可能ではない。我が国で独自の発達をみた家元制度や文化財保護区の考え方がそうである。芸術・芸能を様式として厳密に定式化し、個人の恣意的な解釈を許さない厳格さ、形式主義が多かれ少なかれこの派の特徴となる。陳腐な形式性は魂を殺してしまうが厳密な様式性は、後の述べるように千載一偶の機会を捉えて復元することがある。いずれにせよ伝統の教条主義的理解であるということができる。

(2) ひとつめは、(1)を陳腐なアナクロニズムであると断定し、”現代的”と称する解釈を加える。古典が甦ることもあれば単に恣意的な現代の問題性を過去に投影する独りよがりに終わることもある。芸術のジャーナリスティックな理解ということができる。
 ふたつめは、あるいはここまでいかなくとも、芸術を支える受容層まで失っては元も子もないわけであるから、現代人の好みをニーズとして取り込み延命化を図る。古典の商業的・興行主義的な理解である。いずれであるにせよ伝統の修正主義的理解であるということができる。

(1)の方法がアナクロニズムに陥らない場合がある。一つは古典や芸術・芸能を、対象としてではなく、プロセスとして捉え、厳密な考証を踏まえながら瑞々しい感性を現代に再生させる方法である。以下に述べる二つの方法が考えられる。

(3) 一つめは、歴史・文献的な手法を駆使して(1)のテキストを芸術作品として、それが生きていた時代の芸術の理解のされ方、過去の観客の鑑賞の水準を再現する。言い換えれば、芸術・芸能が過去に生きていた様の、感受性のプロセスを再現する方法である。芸術・芸能の復古主義的な方法ということができる。
 二つめは、理想的な演者や観客を想像し、過去の芸術作品がその時代的に制約されたがゆえに実現できなかった可能性を演劇的手法で再現する、”世界劇場”とも呼べる方法である。この世に一度も存在しなかった夢を実現する、理念的方法である。
 この二つは、最終的には循環する。