アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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芸術はなぜ必要か――芸術的言語と科学的認識の違いについて アリアドネ・アーカイブス

芸術はなぜ必要か――芸術的言語と科学的認識の違いについて
2011-01-15 18:04:16
テーマ:文学と思想

ここ二年間大学院の授業で芸術的興行にかかわり続けてきた関係から、人はなぜ芸術を必要とするのかという問いを自分自身に向けて問うことがあった。公共ホールを舞台として社会的受容層に企画を提案する場合に、興行の必要性は商業的興行の場合のように自明ではない。とりわけ大学のような組織体が主体となりアカデミズムを標榜するものとして、少なくとも商業的興行の形を借りて企画を展開する場合はこの問いは避けられない。端的に言うならば芸術とは普段の市民の市井的暮らしなかに使え加えられるべき何か、言い換えれば”ゆとり”としてのプラスアルファのようなものであるのかどうか、それとも基底的なところで人間の認知と生存を根本のところで規定する実存的問いのひとつであるのかどうか、と云う問いなのである。当然志向すべき方向は後者の方であらねばならない。

問題は深く大きく多義に渡るのでここでは単に人間の認知の問題としてだけ採りあげるならば設問はいかのように変換できる。

普段我々が自明視している認知とはそれのみが可能であり唯一のものであるのかどうか、という問いである。例えば認識の客観性という問題を取り上げてみる。ヨーロッパの伝統的な真理観からすれば、認識の妥当性とは主観と客観の一致である、とされる。また誤てる認識の一例として主客の混同ということが言われるが、主観が正しく客観を認識するためには適度の距離を必要とするということを言外に語っている。特に近代哲学ではカントがあの有名なコペルニクス的転換ということを主張して以来、認識の主観性の優位は一部の実証主義アメリカ流のプラグマティックな考え方を除けば哲学の主流を綿綿と形成していると理解されている。

近代科学は以上のような真理観のもとに大いに発展してきたと言ってよい。特に主観優位の思想は、いっぽうでは客体の原子論的な解体の志向とあいまって客観性を標榜する科学主義の同時的実現として現象した。この事態が如何に異常であるかは、カント流の独我論が同時にザッハリッヒ化した、つまり素材主義的な無味無臭的な原子論的な世界観とも良好に共存しうるという極めて野合的かつ神学的な統一的構図の仕方にあらわれている。問題はこの見方が哲学的な思想として成立したことではなく、これが思想あるいは支配的世界観として資本主義的な生産様式に極めてうまく適合した時に生じた事態の異常な社会の出現である。主観の優位性、すなわち近代的独我論の中でキリスト教創世神話、言葉の優位性が、他方では混沌に位置づけるものとしての名称付けによる所有と占有の問題が神の名において合理化された。近代人はいまさら”神”という名前が使いにくいので、これを適者生存と市場原理と云い換えた。しかし内実は神学的な神の偽装であることはツァラツゥストラですら見抜けない事態であった。

19世紀における芸術至上主義の成立は一見芸術の固有性の宣言であるかのようにみえてその実、かかる世界観への屈服に他ならなかった。芸術の自体性への過剰な評価自体がいかにも科学主義的なのである。科学万能の世情に反発して生まれた芸術至上主義のイロニーともいうべきものである。

20世紀の初めころ、マルセル・プルーストはこの問題を彼の唯一の小説”失われた時を求めて”で取り上げた。理知とは、と彼は言う、客観的な真理とは、生き生きとした物事の世界が死物化した時に得られる特殊な認知の在り方の一つではないのか、と。かれはスワンの恋と云う中年男の失恋の物語を描く過程でこのことを明らかにした。では、恋が成就すべく生きた過程のさなかにある時、つまり月並みでもあれば平凡でもある対象愛を、俗な言い方をすれば”あべたもえくぼ”的な状態において恋する主体が”のぼせあがった”状態にある時、これをしも恋に伴う幻想のひとつと済ましてよいのだろうか。さすがにプルーストは小説の終わりで主人公がそのような認知に達することが出来たのは、”水準を下げたから”、つまり物活的な世界観から彼が見放されることによって可能となった知的な水準である、と巻末にとさりげなく書いている。

愛と芸術は似ている。美や愛の永遠性などと云う飾り文句ではなく、そこに人としての固有性が最も卓越した形で現れるがゆえに。恋する主体が愛の成就すべく過程にあるとき、そこには幻想やロマンティシズムと云った文学的な脚色を色濃く帯びた主観的・恣意的なものではない、別様の、集客分化以前の、原初的事象が生き生きとした物活論的関係をとり結んでいたころの、あるいは森羅万象が人間の分別に汚される以前の生き生きとした生を、回顧的に回想する別様の認知の形が成立しているのではなかろうか。同様に芸術とは、満ち足りた市民世界に付け加えるべき何ものかではなく、そこにおいてこそ人間が人としての人間になりえる場のようなごときものの別様の表現ではないのか、そう想う。そして実は、そのような場こそ、いっぽうだは限りなく私秘的でありながら、他方では公共性と云う名の遠い起源を告知する太古の祭壇のごときものではなかったのか。

愛と芸術とは似ている。他者に一切関わりなくプライヴェートで私秘的であるがゆえに。人は愛の感情に捉えられてあるとき一切の説明を拒む。それでいて愛に伴う高貴な感情は少しも利己的ではなく、かえって他者の恣意性を恥ずかしむる。愛には、告知したい、行為の地平に自らを生かしたいという止みがたい動意が存する。愛が思念から行為へと、つまり理念のルビコン川を渡河する時何かが微妙に変化する。愛が利己的な契機でありながら他方でそれに尽きせぬ、なにか客観的な厳密さ、厳かな真理の鋭い手応えのような実在感を感じるのだ。これは現象的にはある日を境に固有の他者が、自分自身の在り方以上に尊いものとして感じられてくる感じ、ゆわゆる愛の利他性として現れるのだが、これは反転した自己愛や所有欲ではないのはもちろん、キリスト教の教えるアガペーや自己犠牲としての愛の原初的な形態でもない。ここには、自己の最も私秘的でもあれば固有な在り方を通じて、そこにおいてこそ人間が人間でありうる場、つまり公共性の場の、あの遠い起源の遠い反響を厳かに告知するものがここにもあるのだ。

愛は、理念のルビコン川を渡る時、静態的なあるいは観照的な理知の在り方から動態的な認知へと変化する。つまりカント的理論理性は愛の炎に自らを焼き焦がしながらも自噴する透明な炎の泉の噴出によって自らを洗い清め、自らを無限に高めながらもなお動態的なあるものへと自らを生まれ帰る。愛とは、理知にとって詩人にとってのベアトリーチェのような存在でもあり、彼女の手に導かれるようにして天地開闢の殿堂にまみえるのだが、差し出されたその手は反転して自らの手に花びらとなり、まるで自らの動意の圧力に抗しかねた蕾のように内側から押し出され、ひたすらに他者を求めて虚空に美しい弧を描く。

芸術がなにゆえ単なる観念性としてではなく身体性を持った認知として現れざるを得なかったかの必然的理由がここにはある。客観的認識あるいは科学的認識とは、主観と客観とをつなぐ関係が死物化(物象化)した時に現れる、認識の疎外態の別様の説明であり、死すべきものとしての人間から実存としての時間性という項目を取り去ったある種の近代社会に固有の抽象的な世界観なのである。近代科学において認識の純粋性を確保するために肉体性の影響を最小限にとどめることはデカルト的理性のみではなくキリスト教における原罪的世界観にとっても大変に都合がよかった。かかる世界観の影響下において正しく物事を捉えるとは、ルネサンス以降の透視画図法が発見した整然と均質化の秩序を歩む空間、対象は静止した状態において捉えられるのが理想とされるのであり、また精度よく、よく見るためには適度の距離が前提されなければならなかった。キリスト教が過度の愛について猜疑心と警戒を解かなかった理由はここにある。つまり主客の関係はなんとそもそもが疎遠であることが前提されていたのである。科学的認識論の誤りはこの特殊的な認知の有り様を、これのみが可能な唯一の人間的認知の在り方であると思いこみ、自らの在り方を反省的・対象的に、とは、つまり学的に捉え返すことを忘れたところにある。つまり科学とはその最終系において自らが科学である事を忘れる非科学に転ずるのである。科学的認知とは詰まるところ、一部の近代主義社会の一部の生産形式に合致した、つまり死せる物質観に根ざした、大量生産方式にのみ適合した合理的手続きに関わる様式の一つに過ぎなかったのである。

芸術が与える慰めや超越的なカタルシスは、資本主義的な社会の中におかれた市民的生活の特殊な有り様を告げ知らさせるのである。芸術とは世俗性からの逃避であるどころか、形式化していく世俗生活のただなかにあって日々権力機構が創生する幻想性と恣意性を相対化しながら、ちょうどフランツ・カフカの”城”におけるヨーゼフ・Kの徒労にも似た営為のように、そこにおいてこそ人間が人間として生きうる場所を、任意に、あるいは瞬時に出現させ、例え芸術の王国の到来は無限の彼方にあり、所詮は理性の単なる夢であり理想であるにしても、人間を有限性のくびきからひと時ではあれ魂を解き放ち、ひとをして人生生きるに価すると思わしめるかそかなヴィジョンを与え続けるのである。