アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ワークショップ的理性批判について・その1 アリアドネ・アーカイブス

ワークショップ的理性批判について・その1
2010-05-01 13:05:55
テーマ:文学と思想

プラトンの対話篇などをよむと、しばしば”見ること”という言葉が出てくる、見ることに準拠する、究極のイデア論が語られる。イデア論は当時より評判が悪く、彼の弟子に当たるアリストテレスイデア論批判は古来より有名である。たとえばここに一本の木があって、様々に存在するこの世の現象的形態としての樹木一般、木のイデアは存在するのか、さらに木がそれで有らしめるところの木の本質と言うものがあって、それをしもイデアとも本質とでも名づけるにしても、それと一本の木が持つ、個物としてのかけがえのない個性との関係はどのようになるのか。つまりここには古来幾度となく問われ、問い続けられた本質と実存の関係がある。

この問題をより典型的に、というか鮮やかに、しかもスキャンダラスに提出して見せたのは、ドストイエフスキーの”カラマーゾフの兄弟”であろう。イワンの問題提起をこのように言い換えてみる。――雪の降りしきる夜、つかの間の暖房と希望のともし火を見るためにマッチ箱を使い果たした幼い少女の死と神の関係について。たとえ全人類の救済が得られるにしても、この一個の少女の実存が贖われる日は来るのか、と。

差別の問題、従軍慰安婦の問題、そして難病や奇病、さらにはがん患者等が直面する問題をこのブログは一面的ではあれ、本や読書会を通じて考えてきたのだが、本来この問題はドストイエフスキーが考える方向とは別様にも考えられていたのではないのか。

アリストテレスイデア論批判は、単に普遍か個物か、本質か実存かということではなくて、ソクラテスの時代に鮮やかに見てとられる思考の変質、認識の対象を自然や宇宙と言う外部の対象から人間の内面や主観性と呼ばれる領域への転換、つまり見ること、差異化してとらえることの思考の本質、のちに物象化と呼ばれることになる人間の対象化作業一般に伴う、局限化への警告ではなかったのではなかろうか。

アリストテレスの形相と質料の関係は、後に典型化するインマヌエル・カントの形式と内容、変奏としての主観と客観と同じものではなかった。カントが有名なコペルニクス的転換と言う言葉で西洋文明の行く末を要約したとき初めてそこにはたとえば現象学フッサールが言う意味での近代的物質概念が出現した。 物質と質料の関係は同じものではなかった。アリストテレス時代の自然や質料は人間の恣意とは独立したそれ自身の内在的論理を持っていた。近代的知性の典型であるサルトルなどによれば、自然は変化はするけれども価値判断を含んだ変貌はしない、ということになる。つまりデカルト的理性の立場では人間の価値判断に先立つ自然や物質概念が前提され、価値判断という分野が成立するのは人間の出現を待ってはじめて成立する事象である定義される。ハイデガーの世界-内-存在や現存在、つまりその場において初めて成立する人間と言う個別者の概念もまた、より徹底した一変様態として考えることができる。

わたしは最近思うのだがプラトンソクラテスを主人公とする初期の諸篇はソクラテスプラトンというふうに読んではいけないのではないのか。プラトンの対話篇に現れるソクラテスは文学的表現の精化の極限を目指すべく典型性において描かれている。言い換えれば表現が完璧すぎるのである。完璧さや典型性が度をすぎたものとなると、ここにどうしてもカリカチュアライズされたものを読み込まざるを得ないのである。

私たちはギリシア時代というと、確かに哲学や文学の分野で高度の成果を挙げた文明であるという認識は持っているけれども、なにぶん二千数百年前のことではあり、宇宙や自然の本質を火であるとか水であるとか、はたまた心であるとか定義し、あの明晰なアリストテレスですら自然学において、火や水や土、もうひとつは空気と言う具合に四つの元素で説明できると思っているので、近代人の知見からすればその説明原理としては幼稚なものだと思うわけである。

しかしソクラテスが生きた時代とは民主主義が高度に成熟し、それがデマゴーグの政治へ、つまり衆愚政治へと頽落する、ある意味では21世紀の先進国と呼ばれる諸国の政治形態を先取りした形で実現している社会なのであった。ここでは些細な理由と言いがかりからソクラテスのような高徳でもあれば有意な人間を死へと追い詰める社会がある。しかも彼を迫害した30人委員会の寡頭派テロリズムにしても、500人の陪審委員によって死刑判決を下す民主派にしても、いずれもソクラテス個人から直接、間接に薫陶をうけたソクラテス時代の子供たちが含まれていたのである。ソクラテスの子供たちは思想を極限化させれば親たちを死に追い詰めるような論理構造を内在させていたのだろうか。プラトンが見たのはこのようなアテネ民主制下の現実であった。

プラトン晩年の無防備なシケリア内政への干渉も、こうした政治的な背景を考えないと理解できないだろう。若き日にあれほど明晰でもあれば慎重でもありえた柔軟性に富む思考と行動の持ち主でもあるプラトンが、やすやすと政治的成功と効果が疑わしいシケリア内政とディオンという一個の人格に賭けてみるとは。少なくとも最晩年の妄執は異様である。

アリストテレスプラトンが、”完璧な”ソクラテスの思想と行動の前に言語化しえないものを遺言として受け継いだのだと思う。個別か普遍かなどと言う哲学的な議論ではなく、一般的に人間的な思考と言うものが、主観や恣意的な感性の方向に引きずられたときどのような事態が生じるのかを、熟慮しつつ彼は差し戻し判決を下したのだと思う。後に20世紀になっていまは忘れ去られたハンガリーの思想家ゲオルグルカーチが物象化一般と定義することになるだろう。

しかしヘレニズムの強烈な波の流れが彼をリュケイオンからアテネを遠く離れた離島への押し流してしまった。失意のアリストテレスは程なく亡くなったという。世界思潮の流れはこの後、アリストテレスの願いや希望をも乗り越えて、プラトン哲学の中にありえたもうひとつの可能性、ソクラテシズムとも言うべき方向へと伝承されるのだが、伝えられたソクラテス像はキリスト像の中に奇妙でもあれば不吉な一致を見ることになる。

なにゆえ西洋においてのみ近代文明は成立したのか、その問いに答えるのは容易ではない。ただひとついえるのは、ソクラテスからプラトンを経てアリストテレスにいたる時代に大きな世界思潮上の大きな論争と政治上の出来事があったこと、世界思潮の流れはソクラテスプラトンアリストテレスの営為にも関わらず、キリスト教と言う名の新プラトニズムに補強されたイデア論に伝承されたこと、その後普遍論争としてキリスト教社会の内部でも幾度となく問われ、アベラールとエロイーズの愛の思想の中で完璧な表現を見出すのだが、最終的にはカントの形式と内容の峻別の中に、アリストテレスギリシア的自然観は、近代の死せる物質概念に席を譲ることになる。

かりに西欧哲学史の過程を物象化とそれに抗うものとしての歴史として記述したらどうなるだろうか。通常の哲学史の理解とは逆に、客観主義ものそのものの記述方式から主観性への哲学的思考上のソクラテス的展開をイデア的な方向として定義し、その定義の彼方にキリスト教を位置づけることができるのではないかと考えるのである。つまりギリシア思想からキリスト教への方向転換は理性が沈黙し宗教的ドグマが人間性を阻んだのではなく、神による宇宙の創造と言う恣意的主観性のより徹底した歴史と見るわけである。そして主観の恣意性による万能観は聖書をほかならぬ個人的な視線で読むという、神の前の個の厳然たるプロテスタンティズムを産む。プロテスタンティズムと資本主義のかかわりについてはすでに有名なマックス・ウェーバーによる論考があるが、これとは別様の説明の仕方として、深淵を境に対峙しあう神と人間の相互の自己疎外、つまり物象化の自己展開的歴史的段階の成就を見るわけである。この相互自己疎外態の中から近代的物質概念が生じてくるのは当然であったと思う。こうして近代的物質概念はもうひとつの反ギリシャ的思想、デモクリトスエピクロスのアトミズム、さらにはもう一人の強大な思想化ピタゴラスの数理思想の亡霊と、デカルト的思想の中で奇妙にして不吉な野合的な合流を遂げるのである。
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