アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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おバカ系タレント時代の終焉 アリアドネ・アーカイブスより

おバカ系タレント時代の終焉
NEW!2020-05-12 00:52:27
テーマ:文学と思想

 おバカ系タレントと呼ばれた人たちの時代は過ぎつつあるのではないかと思っています。平和の代償としての、軽めのギャグと駄洒落、それを見ることによって癒される視聴者の罪のない優越感など。。。
 とはいえ、私が平成ー令和の時代を代表するおバカ系タレントとして念頭に描くのは、内閣総理大臣安倍晋三氏のことなのです。
 自らの言葉の軽さと、言葉の重みゆえにこそ腑に落ちてくる日本国憲法の諸条文、読解する能力がないものと、俄か仕立ての憲法改正論の仮面のアンバランスが、笑いとペーソスを誘うのです。
 日本国憲法の諸条文、実のところ晋三氏には祖父にあたる岸信介ですら獄中において日本国憲法の諸条文を読んで、その魅力ゆえにこそ警戒心を抱いたのです。つまり岸は日本国憲法を言語として理解する能力を有していた。しかし彼の時代認識では、世界に類例のない占領下の天下り憲法は、戦後の国際的な政治的枠組みの中に日本が生きていくためには心細いこと限りない空理、空論に思えた。一体国民国家としての憲法でありながら、主格が国民並びに諸国民であるなどという矛盾がリアルエステートの立場から許されることであろうか。しかし日本国憲法の諸条文が岸にある種の感銘を与えたのは、明日をも知れない獄中ということもあったろうが、大東亜共栄圏の諸国民の理念と皮肉にも響きあうものを持っていたからである。
 こうした祖父の政治的信念と比べるとき、晋三氏の思念は何と貧者なものであろうか。憲法論議とは徹頭徹尾言葉の問題であるにもかかわらず、改竄や言い逃れを通じて言葉の軽みに力を貸してきたもの晋三氏の最大の特徴だったのであるから、何とも皮肉である。
 晋三氏のことを政界のおバカ系タレントの筆頭だと決めつけているのは、何も彼が偏差値の低い人間であったという理由からではない。彼は様々な場面でさまざまに言葉の言いかえを演じるけれども、まともな本を読んだ人間なら決してできない裏技を能天気に演じることに余念がない。実に人として破廉恥である。学生時代を通じて今に至るまで、彼はまともな本を一冊は読んだのだろうか。ずっしりと硬めの、噛んだら歯が毀れるような硬派の本を!――例えば、プラトンを、アリストテレスを、ゲーテを、そしてシェイクスピアを!あるいはマックス・ウェーバーなどの政治哲学の本を!こうした本を、一冊でも読めば、言葉の世界とは実際の人生や現実的世界よりははるかに広大であることを認識するはずなのであるが。現実が一つであり、いまここに、この場所にある己の感覚のみに由来する環境世界のみが「事実」として特定され、唯一の事実として確信できるものである、という凡人的見識の凡庸さの感覚が、仮象と分かっているちっぽけな事象を守るために、どうにでも言葉を利用し改竄することを拒まない無神経さと鈍感力を生み出しているのである。
 こういう三流の人物を総理大臣に選んでしまった国民は不幸である。