生前退位の御意向の談話の言外にあるもの アリアドネ・アーカイブスより
今回のお言葉もそうであったが、先日のNHKのインタヴューに応えた所感は短いお話のなかに幾たびも、不自然なほど繰り返された言葉が、象徴、という言葉だった。「象徴」の意味内容に、何か変化が生じたとお考えなのであろうか。
これ以上の憶測は差し控えたいが、ないよりも平和憲法の公布に望んで自らの立場が明記された象徴的立場について独自の解釈を付け加えられたのは昭和天皇である。その偉大な昭和天皇の平和への祈りと遺訓を継ぐかのように即位され、それを既定の路線として踏襲されて誠実にその責務を果たされてこられたほかならぬ今生天皇が、「象徴」に何か変化が生じたとお考えなのであろうか。あるいは、昭和天皇‐今生天皇と引き継ぎ継承されてきた「象徴」としての時代の終わりと、大きな曲がり角を予感されていた、と云うことだろうか。
それにしてもこのご発言がなにゆえにこの時期なのであろうか。昨年は安保をめぐる諸法案が決して立憲主義の原則に照らし合わせても自慢できるようではない、民主主義の原則を破壊しかねない罵詈雑言と乱闘の末の粗野で野蛮な状況のもとに、議事堂内外に響き渡る怒号のなかで、ある種の強行採決と云う事態を生んだ。そうして今年は、これからいよいよ改憲の本丸である憲法改正の議論が具体的な計画の俎上に登ろうとしている時期も時期である。一方、天皇の生前退位に関する述懐はこれまでにも度々ある種の危惧感として語られて来たが、数年来の積み残された課題であったにもかかわらず、特にこの時期を選んで異例とも云える国民への呼びかけと云う形をとったことについては釈然としないものがある。
しかも従来は清明かつ平易さを旨とした従来の陛下のお話しぶりとはこと異なって、憲法のなかでも最も耳慣れなくて難解な、例の象徴天皇制を既定した憲法の諸条項分を踏まえた「象徴」論議、不自然なにほどにも繰り返される、象徴、の二文字。戦後七十年、決して国民レベルで消化されてきたとは言えない抽象的な二つの文字。あるいは――その任に耐ええない、と。語義通り、健康上の理由あるいは近傍の類似した理由で耐えられない、と云う意味だけに限定してい良いのだろうか。昭和天皇が抱懐されていた象徴天皇制に於ける「象徴」の元来の意味を再考してほしいと云う願いではないのか。
お言葉の最後の結びは、――「国民の理解を得られることを,切に願っています。」、これは形式的な結びの言葉の常套に過ぎないのであるか。
これもまたあるコメンテーターが言っていたことではあるが、陛下の気持ちのなかには、何か、国民に理解されていない、と云うお気持ちがあるのではないのか、と。あるいは国民のなかに紛れて例の知恵遅れの不心得者がいて利害だけで結びついたものたちがいる、長年継続され蓄積されてきた昭和天皇以来の「象徴」的行為を尊重し継承する過程で国民との間に七十年間にわたって築いてきた継続的で相互的な信頼関係が変質しつつあるのではないのか、陛下の気持ちのなかに少なからぬ距離感が、あるいは「象徴」についての解釈に於いてある種の危惧感が、齟齬が生じ始めているのではないのか、と。
(注記) 「にこにこ島と愉快な仲間たち」を参照。