アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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追憶のローマ・45 性差を超えた愛 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 ものの考え方においても、生活習慣においてもわたくしたちとは違った時代に生きたハドリアヌスについて、その桁外れの浪費とも思われる豪奢な生き方について、彼の同性愛の傾向をも含めて謎めいている、とするのが通念のようである。しかしマルグリット・ユルスナールはそのようには描かなかった。『ハドリアヌス帝の回想』を読み終わると、ユルスナールの作家としての仮構ゆえに、自分の肉声ほどにもハドリアヌスが親しく、身近に感じられる。虚構だと云うことが分かってはいても、この感じをどうすることもできない。
 
 同性愛についても、人は多くのことを思い違いをしているようだ。ユルスナール三島由紀夫に会った時に、果たして通常言われている、少年愛の美学が話題になっただろうか。三島由紀夫のなかには二人の由紀夫がいて、ひとりは、その生存の条件においてこの世を否定しなければならないほどの狂おしい思いが生んだ生んだ登場人物である。もう一例は、少年愛の美学を語る俗物である。俗物のレベルで文学を語ったところで何になると云うのだろうか。
 
 唐突に話は飛ぶのだが、平家物語のなかに今井兼平木曽義仲の話が出てくる。源氏の主従をめぐる愛のお話なのであるが、戦いに敗れた二人が追い詰められて、離れ離れになった互いを思いやって死ぬ、それだけの話なのである。しかし読む人によっては、男女の恋愛ほどにも美しい愛の物語なのである。このエピソードが俳人芭蕉をして生涯を通じて念頭を去らず、『奥の細道』の風雪の彼方に幾重もの愛執の物語を超えて、遺言のように義仲殿と背中合わせに眠りたいとした、文学的史実は現実に起きたことなのである。曰く、――
 
木曽殿と背中合わせの寒さかな
 
 近江の義仲寺で起きた懐かしい芭蕉をめぐる、こころゆかしき物語である。
 
 愛は極限態においては性差を超えるのではないのか、――これはわたくしが若年のころから抱いていた、構想である。性差が問題にならない肉親愛や友情などの様態を、近代的な恋愛に卓越するなどと云うことを主張しているわけではない。いわゆるプラトニックラブに言及し僭越にも何かを付け加えたいわけでもない。ホモセクシュヤルやレスビアン、バイセクシュアルなどの特殊な才能に、急に目覚めたと云うわけでもない。むしろ、しかつめらしく小賢しいこれらの議論はわざとらしく、バカバカしくわたくしには感じられる。
 
 昔々、ヨハン・ヴォルフガン・フォン・ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』を読んで壱ダースほどの青年が自殺を試みたと云う。なるほど文学的観念のために、イデーのために一命を奉げる!かかる愚行が一頃ほど馬鹿にできないほど、そんなところまで最近のわたくしは押し流されてきてしまった。
 最近の東京では、茗荷谷と云うところにキリシタン坂というのがあって、遠藤周作の『沈黙』のモデルのひとつにもなったジョバンニ・バティスタ・シドッチの遺骨が工事現場の偶然から発見され、どうも彼のものらしいと云うのである。彼の遺骨とともに、男女の対の遺骨がなかったかとわたくしは息急くような思いで尋ねた。――キリシタンの禁制の記憶が遥かに遠ざかった新井白石などが活躍した天下泰平の江戸の世の中に何を勘違いした一人のイタリア貴族の次男坊が殉教の禍々しい血の構図に憧れて日本に潜入しあえなく最後の死を遂げた。それは無意味とみ言える暴挙であり、原因は祖国で失恋したためとも云われているが、いずれにせよ迷惑千万の当時の江戸幕府にとっては対応するのも面倒くさいので取りあえずは江戸の碩学新井白石に相手をさせることにした。自ら求めて死ぬこともあるまいと様々な江戸の人間が彼に接触を試みたが、翻意させることができないまま彼は水牢のなかで死ぬことになる。しかも世話係であった二人の日本人の使用人に感銘を与えてともに殉教者として死ぬと云う、後日談をも加えて!
 
 最近のわたくしはこんな馬鹿話を単純には素通りできないところまで追いつめられている。そう遠くない過去に三島の事件もあったことだし、馬鹿らしさにおいては、そのスケールにおいても特大のものだと云うことができるだろう。
 わたくしの郷里の熊本においても似た話は百年程前にあって、それを神風連――神風連とは一般的蔑称であって彼らは自分たちのことを「敬神党」と名乗っていた――の事件と云う。有名な西郷隆盛による大規模な蜂起を待つことなく、自分たちは西郷たちとは違うとばかりに単独で三千名ほどの近代兵器を装備した精鋭が駐屯する熊本鎮台の大部隊めがけて、殆ど百八十名ほどが素手に等しい行為で戦いを挑んだ。この事件の首謀者の一人を太田黒伴雄と云うが、わたしは和漢に通じた文武両道のこの男が好きである。人生の酸いも甘いも知りぬいた男盛りが、幼稚園に毛の生えた程度の少年兵を率いて、近代兵器である鉄砲を使用してはならぬと、鎮台兵が構える隊列と銃列めがけて日本刀と扇子を翳して突撃した、世界史にも稀な、前例のない出来事なのである。
 この男何を考えていたか。馬鹿げたお話もそれが現実の出来事として生じたとなると感心してばかりはいられない。勇み立つ偉丈夫、死の美学の信奉者にして少年愛美学の教祖・太田黒伴雄はまるで聖セバスチャンのように弾痕に刺し貫かれて、緒戦で敢え無く派手に戦死してしまうのであるから、残された少年たちの絶望はいかばかりであったろうか。三々五々に落ちのびた少年兵たちの末路に何が待っていたか。幾たびかの練習はしていたと思うが、慣れない手つきでお互いに介錯をしあったと云う。刃毀れした刀は上手く腹に刺さらずに、切れない介錯の不手際は彼らの死を徒に長引かせただけだったと云う。熊本に今も棲息すると云う肥後もっこすの輩が言うように、美談とばかりは言えなかつたのである。
 
 話しがあらぬ方向に飛んでしまったけれども、皇帝ハドリアヌスと寵臣アンティノウスの関係がそうでああった。ホメロスの世界を夢見て文学的理念のために命を投げ捨てた。
 生き残されたものにとっては、わかもの達の生き急ぐ聖性を疎かにはできなかった。疎かに考えることができないばかりか、芭蕉ですら功成り名を遂げたあとの数千人にも及んだ門弟、知人の間で、命を共にしたいと思えたのは伝説の彼方の木曽殿をめぐる思い出話であったと云うではないか。木枯らしが吹き荒ぶ荒野に彼は出会うのである。
 
 理念や観念のために命を投げ捨てる、愚かな行為であるようにみえる。しかしひとたび事態を理念の方から考えたらどうなるのだろうか。
 性差を超えた愛、愛の純粋化と云う過程からみればなるほど性差のなかに宿る諸属性は純化を妨げとなることだろう。同様に、性差を超えた愛の延長線上に、時系列や空間性を超えた愛と云うものも想像することができる。
 こうなると論議は俄かに仙人じみた空想か妄想の類に近くなるのであるが、魂の不死性と云うことを、ハドリアヌスの時代に生きたものたちはこのように考えたのではなかろうか。しかも唯一神と云う言う概念に頼らずに、あくまで人間的スケールにおいて!
 
 禅においても心身脱落という言葉があるそうだが、もちろん悟りの境地に留まってしまっては何にもならない。仏教には、悟りからこの世に帰る還行と云う行為もあるそうなので、これと菩薩道の関係が良くわからない。人間は結果的に仙人になってしまうのではなくて、性差を超えるとは性差をなくすのではなく両性を具有すること、時系列と空間性を超えるとは、様々な想いでの断片を衣装に、煌びやかに纏い宇宙の森羅万象に対峙することなのであろうか。プルーストが『失われた時を求めて』の末尾で、微笑みと半眼に見開いてこちらを見据えた乙女の何気ない所作のなかに永遠と時の記念碑を、記憶と云う名の巨人族たちの時代の遠い追憶の黄昏のなかに、様々な人生の遍歴と履歴を重ねてみたように。乙女の微笑みの輝きはかってのオデット夫人に回帰する。回帰し円環する中で、オデット夫人の肖像はストップモーションのように過去たちは同時に華麗な演舞を描く。未来をも円環する過去の様態に含んで。
 何時のころからか人類は物事の精密な観察を理由として見ることと静止画像において観察することを同義と考えるようになったようだ。静止したものとしての愛や美ではなくて、瞬間のなかに未来と過去をその内に含んだ思い出と予見としての時間性、その時間性の中で動態として愛と美とを仰ぎ見ると云う新しい経験がたぶん生じているのかもしれない。
 思い出の記念碑としてのヴィッラ・アドリアーナがあるように。