アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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追憶のローマ・44 ハドリアヌスとアンティノウス アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 
 「わたしはじきに、自分は偉大な人物の生涯を書いているのだと気付いた。それからは、真実へのいっそうの敬意、いっそうの注意、そしてわたしの側にはいっそうの沈黙が生じた。」
 
 「もしこの人が世界の平和を維持し帝国の経済を改革しなかったとしたら、彼の個人的な幸福や不幸はそれほどわたしの興味をひかなかったであろう。」
 
 「ひとつの声による肖像。・・・・」
 
 人が人の生涯を「外側」から語るのではなく、ひたすら対象の前に跪いて、聴こえてくる声を敬意をもって、ア・カペラの「ひとつの声による肖像」として伝記を書いてみようと試みること、マルグリット・ユルスナールが皇帝ハドリアヌスの伝記を書こうとして選び取ったのは、稀有の方法であった。自らの主観を交えずに、対象が語る通りを、聞こえるがままに記述すること、その記述が伝記となり、歴史となる。
 この方法は、いっけん、古代の秘儀に携わる巫女に似ているけれども、またその博識ゆえに古代宗教の秘儀の幾つかに通じていたユルスナールならではの方法と云う気がするのだが、次の点で違っていた。
 古代的な巫女のインスピレーションに変えてユルスナールがとった方法とは、経験と歴史と書物との間を往復することによってハドリアヌスの図書館とでも云えそうなものを復元し、その書物群がつぶやくように低く語ることを描きとめると云う方法であった。
 この方法は一人称の語りにおいて語り手が特権的な位置から現実と諸経験に意義づける、と云う方法とは異なっている。語り手の主格としての主意的な卓越がないからである。別の意味で第三人称による叙事詩的語りとも違っている。外面的な歴史的事実や経験と云う、通常の伝記的事象の羅列から見えてくるものより内密のものの復元がここでは目指されていたからである。
 そのためには経験が、そして読書と学問的な蓄積が紀元二世紀と同じくらいになるまで古くなること、ユルスナールの経験が同様の時系列の経緯を辿り、内部から経験が己自身を語りだすまでの熟成と発酵と云う過程を踏む必要があったと云える。
 
 こうした経験の濾過装置を経て得られた一人の男の生涯は実のところ、「比類なきもの」などではなかった。トラヤヌス皇帝の後継者グループの一人であることは間違いないことでありながら、とりわけ個人的に親しく、期待されたいたわけでもなく、疎外されていたわけでもなく、冷遇されていたわけでもなく、ほかに適当な候補者がないゆえに偶然のように皇帝に推された、と云うことなのだろう。政治的には極めて野心的ではなかったように書かれている。
 しかし皇帝になってからは多くの点では寛容でも、果断なきところもあった。四人の元老院の政敵を一瞬にして始末する場面、もう一つは死期を意識し始めたハドリアヌスが後継の憂いをなくすために果敢に行動を起こし不穏な動機を持ち続ける親類の一族を滅ぼす場面である。
 前者については、ハドリアヌスの部下が皇帝の意思以上のものをやってのけたと云うことになっているが、たぶんその通りだろう。その通りであったにしても、部下とは過剰に上司の意思を体現しやすいものであり、かかる政治学における常識を知っていながら半ば黙認した、と云うことはなかったのだろうか。『ハドリアヌス帝の回想』はこの点両義的である。真偽はどうであるにせよ、結果的に浮かび上がってくるのは、聖人でもなければ偉人でもない、人間ハドリアヌスの実像なのである。この点、意図的に聖人を装った哲人皇マルクス・アウレリウスとは違っていた、と云わねばならない。
 
 治世上の失敗についてもユルスナールは見逃してはいない。象徴的なのはキリスト教徒の関係を述べるくだりであろう。遺憾ながらハドリアヌスが知っていると思っていたを宗教とは、神の超越的な位置は別として、現生ご利益とまではいかぬにしても、何らかのこの世の反映でありえた。ハドリアヌスキリスト教のなかで見逃したのは、この世の価値よりも来世の至上性を主張する神と民族の存在であった。世俗に対する来世の優位は、やがて神のものカエサルのものとして議論されることになる、ローマの治世の原理と何時かは衝突せざるを得ない原理であった。地上的栄華の虚妄を笑い、死をいとわない原理に如何なる思想が対峙できると云うのだろうか。皇帝ハドリアヌスは歴史上はじめて、一神教的宗教と如何に付き合うかと云う問題と自覚的に直面するのである。
 
 世直し的気分が次第に濃厚になりつつある帝政末期の終末論的な状況のなかにあって、社会的インフラや弱者の位置待遇改善に腐心する皇帝ハドリアヌス改良主義的な姿勢が色あせたものと見えるのはやむを得ないだろう。末期のローマは内部にキリスト教徒の問題を抱えていたように、外部においては諸民族の自治と生存を求めての移動と云う現象に長らく直面していた。この二つの内外にわたる危機が呼応してローマを襲うとき、ローマは滅びるであろう。
 
 歴史と歴史の大きな転換期において、人が人としての思い遣りよりも、飢餓やもっと極限的な状況であるこの世を否定してでしか得られない超越的価値に殉じる、そういうことを信じる人々が増大する世の中において、最後まで人間であり得る、と云うことはどういういことなのであるか、ハドリアヌスが直面した人類最後の問題はそのような問であった。
 ここで初めてアンティノウスの問題が出てくる。
 
 ハドリアヌスとアンティノウスの愛の問題は実を言うと少年愛の美学などではない。この特殊な愛の物語については二つのことをわたくしは考える。
 ひとつは、神々の時代が人間と大衆の時代に移行する過渡期に、英雄の時代がかってあったとするギリシア時代の民族の記憶である。具体的にはかかる世界観の象徴的な書物であるホメロス叙事詩に描かれた神と人との生きざまの意味を考えてみる、と云うことである。キリスト教と云う、狂信的な集団を相手にしながら、やがて近未来に生じるであろう世界観の修羅場を想定して、ハドリアヌスとアンティノウスがどちらからともなく思い出したのは、アキレスとパトロクロスの友情の物語であった。友情と云っても、愛ゆえに相手の命に代えて自らの命を差し出すと云うほどの友情であるのだから、恋愛と云ってもそれに等しい。
 この事件は、アンティノウスの側から考えれば、もはや壮年期のように機敏に万事に対応できる柔軟性を失いつつある人類史上の最後の皇帝に対して、生涯の恩恵に応えるのに何が適当な行為であるか、と云う問いである。キリスト教の死の論理に対抗するために、遠いギリシアの古典的な勇気と友情の原理でもって代えようとする。そのように考えてアンティノウスはカノプスの運河に身を投じる、それが分かっていればこそ、アンティノウスの死が残された自分に対するメッセージであることが分かっているからこそ、ハドリアヌスがこの出来事から受けた傷は深かった、と云わなければならない。
 こうしてアンティノウスは死してのち、神として見出されなければならない。各地に建立されることになるアンティノウスポリとして、アンティノウスの神殿として、そして最後には彼の生涯の思い出を語る造形としてのヴィッラ・アドリアーナの造営として。
 アンティノウスは神となったとは言っても、生かすも殺すも御意のままにと云う、場合によっては人間に死を命じる彼岸の神ではない。あくまで人間である限りにおける神なのである。神が人間になり、人間が神となる、あくまで人間としてのスケールのギリシア的揺籃の記憶のなかの神なのである。
 
 ここから、人間的スケールにおいて生きると云うハドリアヌスの第二のテーマが出てくる。人間は誤りを犯すこともあるけれども、善意が生かされている場合は、破局を回避し、程々の善を実現することができる。外交においては国家間の利害を調整し、外征においては国境の隅々を巡回し、屯田兵を慰問し、守備隊を増強する。内政においては社会的インフラの充実と、社会的弱者の保護と、格差是正に取り組む。社会的改良の過程は一歩前進二歩後退の観があるかもしれないが、善意であるものとして意思を己の実存として示す。
 皇帝の位を譲ってからは身辺の整理にいそしむ。身の回りのもの一人一人に、進退を配慮しながら、必要であれば自分の死が影響を与えないところにまで解放してやる。こうしてハドリアヌスは公人として燃え尽き、最後は私人としての憂いもなくす。翻って自分自身の生涯を振り替えってみて「ハドリアヌスは最後まで人間らしく愛されるであろう」と云うのが勲章のように与えられた最後の、元皇帝としての栄光なのである。
 皇帝ハドリアヌスは、生と死が未だ分化しない混沌から生を受けて生れ出てきたように、生きている間から彼は、生が死の未明の混沌の中に没していく最後の光芒を、返り血のように浴びる人生の夕映えを、しっかりと自分の見開かれた目で見ていたいと願っていた。最後まで明晰でありたいと願うのが美の使徒としての、古典文献学者としての彼の祈りであった。
 ハドリアヌスの死は『ハドリアヌス帝の回想』の中には直接は描かることはないけれども、フランスで出版された『作家の部屋』と云うフォトエッセイのアルバム集の中で短く、マルグリット・ユルスナールの終の棲家と死の模様が紹介されている。
 偉大なるフランス語作家マルグリット・ユルスナールは1987年12月17日未明、ハドリアヌスが願ったように、ハドリアヌスをミレニアムに匹敵するほどの時を隔てて追悼するように、生が死の地平線に没する末期の光景を、怯むことなく、極北の荒地に描くローマ軍団の軌跡さながらに、マウント・デザート島の寝室のベッドにうえに仰向けの状態で、死の硬直に向かういまだなまあたたかい体を横たえていた、眼を見開いたまま。
 
 「小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、何時が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま、蒼ざめ、硬く、露なるあの場所へと、昔日の戯れももはや叶わぬあの場所へと降りて行こうとする。いまはしばしともに眺めよう、この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を・・・・・目をみひらいたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう・・・・・」(『ハドリアヌス帝の回想』の掉尾をかざる文章から。)
 
 
(付記) この文章は多田智満子訳の懐かしい白水社の初版本と最新のユルスナールセレクションの両方を用いて書きました。19日の未明に生じたパリ発のエジプト航空機の不可解な遭難事故の第一報をハドリアヌス的予兆の時間のなかで聴きながら。