アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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(続)文豪・夏目漱石はそれほど偉いか――『こころ』とお金 アリアドネ・アーカイブスより

 
               
 
 
 たかがお金、されどお金とは思いますが、夏目漱石の『こころ』のテーマとは、けっして疎かには出来ない金銭が持つ不思議な魔力が、人と人々を破滅させていく物語だとも言えます。
 『こころ』の高潔な「先生」を謎の自殺へ追い詰めるのも、彼が若年の頃受けた、跡目相続に絡む金銭問題であり、それは仕組まれた罠のようにも思える事件でした。かれはこれ以来人を信用できなくなります。
 金が、人格を超えた力で人を支配するようになるのですね。とりわけ資本主義と市民社会と云う近代においては、金銭が使用価値や交換価値であることを超えて、単なる抽象物ではなく、それ自体の論理を持った、わたしたちの意思とは独立したそれ自身のリアリティをもって、逆に人を思うままに支配するようになることです。それは一見、金銭自身が人格を持ち、それ自身の意思を行使しているようにも見えます。金銭は類を呼ぶと云うか、無限増殖の機能を自らの内に内在させているかのような、超論理的な存在であるようにも、一見見えてくるから不思議です。
 主人公の「先生」は、跡目相続に絡んで、信頼していた叔父の一家に遺産のあらかたを巻き取られてしまいます。この時から彼は、人は信用できないものだと思うようになり、そうした一般的な見方を超えて金銭によって人は一変するものだと感じるようになります。彼は金の威力を嫌と云うほど見せつけられるのですが、実はその恐るべき魔力を完全に理解するようになるのは、自らが起こしたKの自殺をとおしてです。それまでの彼は、金銭の恐るべき威力については理解していても、どこか自分の人格や道徳的判断だけは別だと思っていました。しかし、金銭感覚とは別物だと信じていた自らの倫理観や善意の中にも資本の論理が貫徹していたことを見抜けなかったのです。
 「先生」は、同情心から郷里のK青年の苦境を思いやって自らの下宿に同宿者として招き入れます。これは善意ではあっても、同情や憐憫が金銭と結びつくと如何なる隠微な形で人が人を支配すると云う様式を成立させるか、と云うことですね。経済的にお世話になっていると云う隠された意識が何かに縺れて、克己型、意志型の好青年Kに、負い目、と云う感覚を身につけさせます。ですから、下宿のお嬢さんを廻って三角関係が生じたときに恋愛関係におけるフェアな行動をとれないのです。しかも資本主義化における論理と倫理は、経済的な自立をもって市民の条件とする社会ですから、貧富の差と云うものが封建制の固定化された身分として可視化されている社会とは違って、金銭のあるなしが、自活する能力のあるなしが、価値観として結びついてしまうのです。経済的に自活できず、寄生的に生きているものは堂々と自己の正論を述べることも遠慮しなければならず、恋愛することすらも許されないと思わせるのです。
 若年期の「先生」は、自らの意思で、善意と信じて不遇な同郷の好青年Kの身柄を一時引き受けたつもりでいましたが、実際には、金銭感覚をとおして、人が人を支配すると云う様式を実現していたのです。その誘因の一つは、人と人とを競わせて能力の全体的な均衡を最適性ににおいて実現するのが市民社会ですから、常々、能力その他において劣勢にあると感じてきた「先生」の無意識が、その負い目意識が、金銭の支配と云う様式のなかで武装解除をされたKを打ち負かすと云うことはどんなに容易な事態だったでしょうか。むしろ、そこに劣等感にさいなまされてきた若年の頃の「先生」が、初めて、快感を、悪の快楽を味わっていたとしても不自然なことではないでしょう。
 「先生」が特に卑劣であったのは、武装解除され非力化された相手が持つ、最後の実存の根拠、Kが頼みとしてきた価値観、人生観の金科玉条のようにしてきた、努力や向上心と云う、不備を指摘されたら相手の実存的根拠を脅かすようなアキレス腱をそれと知っていて、相手を追い落とすために戦略的に利用したことです。努力や向上心がないと常々言われもし暗に態度や言動によって示されてきた相手に、逆にそれの欠如状態を相手に指摘することで相手を心理的に打ちのめす、お嬢さんを獲得するための手段であったと説明されてはいますが、実際には好青年Kに対する鬱屈した積年の感情が暴力的な形ではけ口を見出した、と云うことなのだと思っています。
 こうして「先生」はKを自殺に追い込んで、はれてお嬢さんと希望通りの夫婦になることが出来ました。Kは、あくまで清く正しく美しい好青年ですから、「遺書」においても自らを美しく飾りました。責任は全て自らの意志薄弱にあったと云うようなことを言うのです。真実が隠蔽されていたがために、詳しくは描写されていませんが、しかしKの自死の模様は異様であったことが言外に語られています。古来日本人の自死と云う極限の様式には様々の段階があって、特にその中でも異様なのは血染めで処刑場を汚す、憤死と云う形があります。Kの自死はそれに似ていたのです。つまりKは恨みのようなものを残して死んだ、と云うことになります。
 漱石が描く「先生」は、格別倫理観や道徳心において卓越していたと云う特別の描き方がしてありますが、死に追いやった相手の死の様式がこうした、建前と本音の分裂を生んだ不可解さを、可視的な形で残していたとなれば、誰しも普通の感覚では生きられなくなるでしょう。ですから残された三人は、――先生と下宿の母娘は知っていて知らないふりをする、ある種の健忘症を演じることで時間を生きながらえると云う人生の選択をするほかはなかったのです。こう解釈することで、Kの自殺のあとに流れた時間性、下宿の母娘の不自然な感じが理解できるのです。
 内に秘められた攻撃性を自らに向け、自らが受け止めきれなかった感情の余剰を生き残った妻にも向けなければならない。こうした鬱屈した隠微な感情形式は元々は、清く正しく美しい生き方を志向した好青年Kの、意志的、克己型の生き方の中に秘められた形で、暴力性として内在していたものではなかったか。清く正しく美しい生き方は、切り取られた人為的な「聖域」の外側に不合理な感情を暴力性として、陰湿で隠微で濃密な感情を生み出してしまう。その負の感情形式は決定的な形でKから「先生」へと転移する。人が受けた負の感情様式は転移、伝染するのです。
 「先生」は、何時か自らの実存と一体となった負の生存様式を自らの選択意志において断ち切らなければなりませんでした。日本的近代を通観し貫通する負の生存様式の無限転移をどこかで断ち切らなければならない。少なくとも、負の感情様式に外面の行動だけでなく内面の思考様式まで支配されながら、最後に自らの意思の自由を選び取ること、それはある意味での漱石なりの凱歌であることは間違いなかった。死を選ぶことによって生の尊厳を守る、それが「先生」がなしえた最後の行為だった、と思うのです。
 

 資本主義と市民社会においては、金銭が人格のレベルとは別の、それ自身の論理と倫理を持っていたように、人間の倫理的な行動や道徳的な考え方も、本来それが持っていた意味とは異なった現実を実現する。
 「先生」の良かれと思って成したKに対する善意の行為が実際には相手の自尊心や自由の観念を奪っていることには無自覚であった。加えて、この善意に見せかけられていた行為が、積年の劣等感を感じさせられてきた「親友」に対して秘かなる復讐心の秘められた実現であったことについても、無自覚であり過ぎた。実際には「先生」がとった卑劣な行為とは、漱石が意図したような意味でのエゴイズムの問題ではなく、金銭がそれ自体の自己増殖の論理を持ち、金銭が人を支配すると云う様式が変異、転移されて、人が人を支配する様式として模倣されていたに過ぎない。
 「先生」とKの関係の背後に蠢いていたのは、人を支配すると云う資本と市民社会の論理だったのである。人は資本主義と市民社会の中で、己が自由な意思で選択しうると信ずることが出来るけれども、それを背後で動かしている資本と金銭の自己増殖の論理を人は何ほどか無意識のうちに体現し模倣する。と云うのも、わたくしたちは資本や金銭の論理を自らの意識の外側にまるで社会学の対象であるかのように観察の対象として定立できるのではなくて、資本と金銭の論理によって全ての物事を考えているからである。
 
 夏目漱石は、真の敵が何であるかについて捉えそこなっているようである。「先生」が最後にとった、乾坤一擲とも云える自裁の行為が、何ほどかの有効な成果を生み出したのであろうか。
 漱石の『こころ』は自己制裁に関する隠微な論理が秘められた心理学として語られると同時に、明治と云う時代の終わりを象徴する天皇崩御とそれに係る乃木希典の事件を同時並行的な背景として語られるがゆえに、社会学的な広がりを持った作品として結実する。
 乃木事件とは、乃木希典の主観的な意図を超えて、あくまで可視的な領域にとどまっていた封建制の武士道の論理と倫理が、不可視の対象である天皇国民国家の領域まで拡大できるかと云う、革命的な語義解釈上の飛躍を秘めていた。封建制武士道の論理と倫理は、何がしか所領安堵とかその他の可視的な成果を想定していたけれども、その論理と倫理を不可視の対象であるとされた天皇国民国家の領域まで拡大することは、無償の死、と云う概念を普遍化し、一般化できるかどうかと云う黎明期国家の存立にかかわる問題として意図されていた。であるから、乃木希典事件においては、その無私性、と云うものが他ならぬ出来事として重要視されたのである。何となれば、今後日本が国民国家として強大なる列強と肩を列していくためには、大量の国民の「無私の死」と云うものが前提されなければならなかったからである。かかる意味で乃木希典こそ行為における革命的でもあれば創造的な解釈において、天皇国民国家の論理と倫理を体現し、近代と云う昏い時代の先駆性において先陣を切ったものであったからである。
 
 「先生」の自死と云う贖罪の儀式を成立させたものは、植え付けられた、負い目、の論理であった。負い目は乃木のように敵に連隊旗を奪われる等の面目を潰す行為もあれば、それを温情的に許容する天皇制国家の疑似家族制の擬態の中で、人を忠誠心の仕組みの中に取り込み、支配の技術として完遂すると云う、恐るべき国家の意思を秘めていた。
 乃木希典の天才性は、個々の生涯上の事象を、無償の行為として無私化、純粋化する過程で、不可視の対象としての天皇を殉死の対象としていただくと云う個別的経験を、一億の総国民に共通する事象として普遍化することであった。
 事件の衝撃性、威力が如何ほどのものであったかは、鷗外・森林太郎をして一連の殉死ものとも云える歴史小説を書かせ、漱石夏目金之助をして『こころ』を書かせる。理性の人鷗外においては、褒め殺し(『興津弥五右衛門の遺書』)や古武士道の本来性への復帰(『阿部一族』)などと、様々に多様な抵抗と応答の諸段階を踏ませることで、ただでさへ複雑な鷗外の性格をより屈折させていくことになるが、漱石の場合は、その人格を震撼させるような日本人の実存的衝撃性において、『こころ』に描かれた「先生」の死を乃木希典事件に心情的に「連座」?すると云う体裁をとるいことにおいて、全面降伏とも云える思想の無抵抗性を導き出してしまう。つまり明治の文豪の言葉の力は、乃木希典事件に代表される明治期の歴史的言説の言語の力学に対抗できなかったのである。(実際には国家意識を媒介とした明治政府の統制原理と民衆の正常を逸した熱狂的盲目の意思があった、と思う。)
 結果的に漱石の『こころ』は、乃木事件に習合させられて、無私の死、すなわち殉死と云う死の美学を無条件とも云える是認を導き出す作品として国民の誤解に晒されることとなった。誤解と云うよりも、漱石の言葉としての力が非力であったと云うことが根底にあるわけだが。そして言葉の非力と云う禍々しい赤い導きの糸を手繰るように、多くの青年たちを戦場に送り出し、死の誘因として機能すると云う実に不可解にして残酷な、六百万人とも云われる大量死の結末を終戦の日に迎えさせるのである。
 
 夏目漱石の『こころ』が、文学的評価とは別に果たした負の社会的機能は、日本国家に壊滅的な打撃を与えたと云われる先の大戦における、直接的で顕著な影響だけに留まらなかった。
 戦後の日本社会は漱石を国民的作家としてもてはやし、不明朗な作品『こころ』を教科書等に積極的に取り込むことでしきりと無私性を強調し、幼年期のまだ柔らかい頭に刷り込み、かかる無私性を企業戦士の根底を支える倫理と論理とし拡大解釈することで高度成長期以降の社会を、途切れることのない近代化百年の日本の継続せる国家意思として継承、継続することが出来たのである。かかる継承、継続する意志の象徴が靖国神社なのである。同様に、かかる戦前‐戦中‐戦後の連続性の論理は、当然のことながら多くの戦犯の放免を許容し黙認させ、生きながらえさせる「負い目」の社会構造を生み出し、「負い目」を全体的統合の論理として、負の求心力として利用する社会を生み出すのである。「負い目」を支配の力学として利用する社会、その悪だくみの天皇制国家意思の機構の再生産の過程を、その微視的な小さき構造において『こころ』は巧みに再現し描き出していた、とも云えるのである。
 
 夏目漱石の『こころ』とは、日本人の悲しさの記憶である。等しく民族の悲しみを共有したと云う意味で漱石は国民的作家と呼ばれるに相応しいのであって、『こころ』が読み継がれている限り健全な社会とは言えない。『こころ』が提起する問題は、未来の日本の社会のリトマス試験紙である。