アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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NHKドラマ”大仏開眼”(後編) アリアドネ・アーカイブスより

 
孝謙天皇とは、その名が示すとおり両親とは愛憎を含めた深い、きわめてヴォルテージの高い親子関係にあったのだろう。事実、不本意ながら天皇の位を光明皇后に退位させられたとき、”孝謙”、すなわち孝行と謙譲を理由としている。あるいは建前として、その命名の通りに誘導されたというべきか。無念だったろうと思う。
 
かくして加持祈祷の大僧正!道鏡の登場となるのだが、このNHKのドラマでは明らかに生臭い関係があったと想像させる二人の関係を描くことなく、その直前で打ち切っている。前編以来の吉備真備とのプラトニックラブを思わせる石原さとみの清純な役造りとも合いそうもない。つまりこのドラマでは道鏡は出番がなかった。同様に東大寺建立の立役者・良弁や、藤原八束以下藤原北家の面々も出番がなかった。この政変は藤原一門の二大閥、北家と南家の主導権争いという面も持っていたのだが、それもあっさりと無視されている。まして大和政権の旧勢力・皇親政治を理想とする橘諸兄の鵺の如きしぶとさは良家の二代目のように上品で諦めが良すぎるし、それを背後で支えた大友家持の女と見まごうまでの陰湿な執念は片鱗すら描かれなかった。孝謙天皇吉備真備の活躍の余地がないからだろう。あくまで学芸会もどきの行儀のよい清純ドラマでなければならない。
 
史実の重みをドラマの特権として大きく逸脱したところが反面、このドラマを大きく成功させた原動力となっている。のちの名を称徳、今の名を孝謙という石原さとみ演じる、日本史上に輝く比類なきこの女帝の純情さと高貴さが実に良い。存在感が希薄とはいえ吉備真備の草食系男子ぶりもそれなりに良い。政治のドラマがドラスティックで生々しい世俗の利己心だけで成り立っているだけに、青春期という固有な時期にのみにみられる至純などという月並みな表現を超えた日本史上無比の女帝の高貴な感情が際立とうというものである。
 
ここに宣命体というわが国固有の文体がある。漢文の書き下しに対して和漢交じりの口語体に近い感じを与える。この祝詞の亜変種ともみなされる無味乾燥とも思われる宣命体は孝謙天皇の時代に比類なき文体の完成をみる。つまり一流の文学となる。いわく。――自分はながらく淳仁天皇を大目に見てきたつもりだが、何を勘違いしたか自分の領分わきまえず逸脱することはなはだしい。ここに”あれ”(自分)は宣告する。今後天皇は小事、つまり宮中祭儀や儀礼等の行事に専念すべし、大事すなわちまつりごとは”あれ”が親政する。
 
この台詞を石川さとみに言わせて見たかった。ドラマでも最小限描かれていたように、この女帝はやるとなれば決断は早く、左遷されていた吉備真備大宰府から即時召還し、反撃に出る。追撃ぶりも一気呵成というか容赦を知をしらず仲麻呂を琵琶湖西岸に追い詰め殲滅してしまう。北家・藤原八束たちの活躍が主だったという気はするのだが、唐に最新の法兵術を学んだ真備の面目躍如という感じがする。
 
自らの政治的無力を恥じながら、藤原一門の専制を許す聖武天皇の諦念と民を思う至純さも実に良い。この親にしてこの子が生まれたということが、無理なく納得できるのである。そして陰謀と権謀術数の入り混じる複雑な時代に生まれたにもかかわらず、聖武の薫陶を後生大事に継承し、いけ好かない母親との関係も無碍にはできぬまま矛盾を抱えて生き抜く孤立無援の若き女性皇太子の前に、堅いだけが取り柄の唐帰りのインテリの理想論がいかに清新に、かつまた若き内親王の内面において高らかに、いと厳かに響いたか!
 
主人公がミーハーであるために重厚な脇役人で固めている、というのも常套手段だろう。朴訥な僧・行基が実にいい。来世のことは念ずるばかりでわれわれの手に負えぬ。とはいえ、と言って行基は自分の無骨な両手を見る。この手でなしうることはこの世に存在するし、なしうる限りにおいてこの世のあり方を少しずつ変えていけるのだ、と。
 
新京・平城京はいまだ完成の道は遠く、新興藤原一門と旧都勢力の触発の危機を解決する器量を持ち合わせぬ無能さを恥じて、遠く美濃へ逃れるように神輿を東進させる聖武の複雑な胸中と、これを取り巻く呉越同舟ともいえる、南家・藤原仲麻呂光明皇后のリゴリズム、吉備真備と若き孝謙・安部内親王律令性への理想、天然痘で主要なメンバーを失ったとはいえ保守政治の正統派の矜持を示す藤原八束と北家の人々、皇親政治の見果てぬ夢を追う橘諸兄大伴家持を中心とする大友家の人々、それから仏教界の風雲児・玄防と謎の僧正・良弁、地蔵菩薩のごんけの如き世俗の僧・行基と高邁なる仏教会の理想を引っさげて荒波をわたって来日する鑑真和上、そして吉備真備の息がかかっていたと思われる和気清麻呂と背後の吉備の勢力、この複雑なる相貌が凝縮した天平期の一場面はその歴史的興奮に心は熱く目くるめくほどである。
 
もちろんこのすべてを前編・後編3時間と言う長さにもかかわらず描くことはできなかった。とはいえ天平史の謎に満ちた最も重要な日本史の局面を、吉備真備と言うダークホースじみた人物に焦点を当て、これも埋もれた天皇孝謙称徳天皇のこうもあったであろうと言う清新なイメージでもって再生させた技量に敬意を払う。