アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピアの "ヘンリー四世” 第一部・第二部 アリアドネ・アーカイブスより

 
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 前作”リチャード二世”から本作・”ヘンリー四世” の間に何があったか。前作が1597年ころ、ヘンリー四世が一二年ほど後ということであるから、近接しており作風の変化を人生論風に論ずることは困難である。冷徹な歴史劇は如何にしてガルガンチュア的=キホーテ的悲喜劇に変貌したか。一見して分かるのは、余りにも有名なフォールスタッフの人物造形であるといわれる。しかしここでは全体演劇としてではなく、歴史劇としての側面のみ言及したい。
 
 ヘンリー四世は、”リチャード二世”においては国外処分の憂き目にあい、加えて所領没収という悲運に見舞われ、ここに残るも地獄進むも地獄の状況に追いやられ、それが乾坤一擲とでも云える賭けに出る。その王位転覆と纂奪の物語が ”リチャード二世” のもう一つの側面とも云えるものになっていた。”リチャード二世” の歴史観とは、王の殺害を通じてこれ以降は、打算と悪意が自転する歴史が始まるであろうという暗澹たる予感の内に終わっていた。
 
 それゆえ ”ヘンリー四世” は、王位纂奪の過程に伴う己の罪意識の懊悩から始まる。王位の正当性の保証は、絶えざる王位継承者や有力な貴族群に対する猜疑と粛清によって保たれうる。内部に空洞と負荷を隠し持った政治権力は、通常内部的圧政と外部侵略による膨張主義によって特徴つけられるが、前者がウスター伯やホットスパー(熱い拍車)達への挑発行為であり、後者が劇中しばしば言及されることになるイエルサレムへの十字軍遠征であり、西北フランスにおける失地回復である。この頃はフランスは国民国家以前の形態であるから、”侵略” と云う言葉は相応しくない。当時のイギリス王室はイングランドと西北フランスを往ったり来たりしていたのであり、フランス王位継承権を主張しても必ずしも不自然というわけではなかったらしい。
 
 一流の治世者と云うものは、外に対する統治能力を内面から支えるものとして倫理的な求心性と云うものがあって、両者は力学的釣り合いの関係になければならない。”ヘンリー四世” が描いている歴史ドラマは、治世者の内側へと向かう倫理性が、単なるリアリズム、中世的な価値観に憚ることを知らないマキャベリズムに取って代わられると云う、歴史群像の転換期と云うものを描き出した点にあると思う。かかる意味では、主人公とは若き皇太子ハリー、後のヘンリー五世であることは間違いないであろう。
 
 私は、放蕩三昧の生活から抜け出て戦場のおいて英雄的な行為の通過儀礼を経てのちに王位を継承するまでのドラマに、ふと織田信長を思い出してしまった。若き信長の放蕩ぶりが内政の不安定さからくる擬態であったことは明らかであろう。そして皇位継承権がスムーズにいかない父子の不安定さは信長の場合も同様である。シェイクスピアの場合はそれを単なる擬態とまでは云っておらず、一人の人間の中に潜む二元性とでも考えた方がよい。どちらもハリーの真の姿なのだ。彼のやや斜めに構えた姿勢は、後半において驚くべきシリアスさと政治的冷徹さへと変貌する。フォールスタッフとは、当時必ずしも従順ではなかった郷士や騎士階級の象徴であったろうし、最後の場面でハリーが見せる急変ぶり、政治的粛正劇を予感させる裁定は、何によって人間はひとを統制しうるか、という重大な疑問を投げかけているかのようである。
 
 今回もまたシェイクスピアの歴史劇は、単なる善玉・悪玉風の歴史群像の類型化を許さず、例えば反乱軍の物理・心理的不一致を描くにしても、ホットスパーとそのグループ、彼の父親であるノーサンバランド伯のグループ、そしてヨーク大司教のグループと、それぞれの利害や特殊性を差別化をもって描き出している。その人物造形における振幅巾の大きさは、ヘンリー四世や皇太子ハリーの二元性をもって描く歴史的多面性の手法ともつりあっている。シェイクスピア歴史群像は一筋縄ではいかないのである。
 
 自らの政治的罪悪感の報いとしてでもあるかのように、外的相貌と内的人格を損なう病の中に崩れていくヘンリー四世の死に、単純な勧善懲悪の物語を読み込むことは不可能である。王位にあるものとしての善政への理想と冷徹なマキャベリズムとの非情な政治的均衡の内に、内面的にも外面的にも精魂果たすかのように悲劇への道行きを歩む王者の後ろ姿の中に、偉大なる中世的な人間像の最後の残照を感じるのも単なる近代の感傷にすぎないのであろうか。