アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピア 「恋の骨折り損」 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
  シェイクスピアの本を読んで初めて、意味不明の感に捕われた。物語はナヴァ―ル王が学問に精進するために、三人の側近の青年貴族とともに女性なるものを一切周辺に近付けないという非現実的な誓いをするところから始まる。フィレンツェ郊外のアカデミアを彷彿とさせる構想なのだが、それがどうして、これにスペイン人のルネサンス型知識人の駄洒落や放言と才気煥発なこましゃくれた小姓が加わる。さらに平民の学校教師、村の神父、警吏、田舎者が絡んで駄洒落とナンセンスギャグの応酬が延々と続き、物語の筋らしきものの展開もなく終わる。しかも結末は、前半・中盤の騒がしさに反して、物悲しい余韻を持って終わる、と云う前例のない、シェイクスピアの異色作なのである。
 
 駄洒落の極めつけは、女人禁制のナヴァ―ルの宮廷にフランス王女が政治工作のために乗り込んでくることから、極端な不真面目と史実の血なまぐささが同居する複雑な展開となる。あるいはこの戯曲は、資料や文献を渉猟して読みこまねば解らない極めて知的な作品であるのかもしれない。それで最初から歯が立たなかったわけだ。シェイクスピアでなければ投げ出していたであろう。
 
 野崎睦美の解説によっれば、「この劇が1578年のアンリとマルグリットの会見を下敷きにしているのは確実である」と云う。「シェイクスピアは、当時のフランス王室の内情をかなり詳しく記した書物を知っていたに違いない。しかし、そのの知識が、フランスのアカデミア、つまり、カトリーヌ・ド・メディシスの輿入れとともにフランスに入り込み、アンリの心を捉えたとされる学問のための隠棲所」にまで視野が及んでいたかどうかは疑問であると云う。
 
 マルグリッド・ドヴァロア1553-1615についてウィキペディアより引用すると次のとおりである。
 
0.略歴
マルグリット・ド・ヴァロワMarguerite de Valois1553年5月14日 - 1615年5月27日)は、フランスアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの娘。フランソワ2世シャルル9世アンリ3世の3人のフランス王の妹であり、ナバラ王アンリ、後のフランス王アンリ4世の最初の王妃である。マルゴ王妃(La Reine Margot)と呼ばれ、アレクサンドル・デュマ・ペール歴史小説王妃マルゴ』のヒロインになった。
 
1.おいたち
マルグリットは1553年5月14日パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レーの城で、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの三女として生まれた。ニックネームのマルゴは、後にそれぞれフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世となった3人の兄たちによって名づけられた。幼い頃から際立つ美貌と、ギリシャ語ラテン語などの語学や哲学などにも造詣が深い彼女は、宮廷の華として誰もが憧れる絶世の美女として成長していった。
2.政略結婚とサン・ヴァルテルミの虐殺との関係
そんな何不自由のなく成長したマルゴには、大勢の男性が求婚をした。彼女が結婚したいと願ったのは、ギーズ公アンリであった。しかし、彼女の望みは母カトリーヌ・ド・メディシスによって打ち砕かれる。母は、激化するカトリックユグノーの宗教対立を解消するため、ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレに、ジャンヌの息子アンリ・ド・ブルボンとマルゴの縁談を持ちかけた。
当初、カトリック教徒と息子との結婚に反対していたジャンヌ・ダルブレも、カトリーヌの宗教対立解消という考えに同調し、縁談はまとまった。しかしジャンヌは婚礼の直前、1572年6月9日に急死する。一説にはカトリーヌ・ド・メディシスによる毒殺ともささやかれる不審な死であったが、婚礼は予定通り同年8月17日にパリで行われた。その時マルゴは19歳、新郎アンリは18歳であった。
しかし婚礼の6日後の8月24日サン・バルテルミの虐殺が発生する。マルグリットとナバラ王アンリ(母の死後に王位を継承)の婚礼のためにパリに集まっていた大勢のユグノーたちは次々に惨殺され、アンリ自身も幽閉されることとなった。1576年、幽閉の身であったナバラ王アンリがパリの宮廷から脱走すると、マルグリットは一人アンリ3世の許に残された。
その後、マルグリットはナバラ王アンリの許に送り届けられたが、それぞれが公然と幾多の愛人を抱え、夫婦仲は冷え切っていた。マルグリットは病に伏した後、1582年に再びパリの宮廷に戻ったが、兄アンリ3世と仲違いをして宮廷を去った。
 
  史実に詳しくなれば、より良くこの作品の奥行きを読み解けるようになるだろう。手ぶらでは味わえない作品のようなのだ。
 
 私には、ナヴァ―ル王国とバルテルミの虐殺と云う史実を重ねて読み込むだけでなく、もう一人のマルグリット、すなわち「ヘンリー6世」三部作に出てくるマーガレット・オブ・アンジューの歴史の影もまた、読みこみたい気持ちがする。
 
 マーガレット・オブ・アンジュー1429-1482とは、例のジャンヌ・ダルクが出てくる百年戦争に出てくる、言ってみればマーガレット・サッチャーのような女傑である。無能な平和主義者ヘンリー6世を支えるためにフランスから王妃として乗り込み、策謀と権謀術数を駆使した果てに敗北する悲劇の女性である。彼女の精悍さの面影が、どこかこの戯曲のフランス王女の毅然とした面影に影を落としているような気がするのである。「ヘンリー6世」を読みこむことでこの作品の深みは増すと思われる。
 
 それにしても、父王逝去の報を知らせられて一切の政治交渉を放棄し帰国の途につく女王の一転した威厳と、悲劇性の演出をどう評価すべきか。ナヴァ―ル国王と三人の貴族の相次ぐ求婚に応えるべく彼女の設問とは?とりわけ三人の貴族たちの筆頭に挙げられるビローンに向けられた、これまたフランス王女を取り巻く貴婦人の一人ロザラインが定めた求婚の条件とは、
 
ロザライン「その癖がつのるのは、くだらない冗談を笑って聞くひとたちが
そういうおばかさんたちをもてはやしているからです。
冗談が栄えるのは、聞く人たちの耳のせいであって、
言う人たちの舌のせいではありません。ですから、
じぶんおうめき声で耳をふさがれている重病人が、
それでもなおあなたのつまらない皮肉を聞いて
喜ぶようでしたら、その癖をお続けなさい、私も
その癖をおもちのままのあなたと結婚することにします。」
ビローン「十二か月か?よろしい、雨が降ろうと槍が降ろうと、
十二ヶ月間、私は病院に行って冗談を言い続けていよう。」
(第5幕第2場)
 
 ナヴァ―ル王国側のビローンと云う貴族はどういう人間として登場したか。
 
王とビローンの間に交された学問論を想起してみよう。
ビローン「ところで、学問の目的とはなんでしょう、いったい?」
王「学問によらねば知りえぬことを知ることいがいにあるまい。」
ビローン「つまり、常識の目では見極められぬことを、でしょう?」
 
このあと、どういう知を学問と云うのか、と云うビローンの真理観が展開される。
 
ビローン「美しい目は人の目をくらませますが、目を捕えて離さず、
そのうちにくらんだ目に光を与えてくれるのです、必ず。
学問とは天空に燦然と輝く太陽のようなもの、生意気にも
人の目で見極めようとしても見えはしません、少しも。」(第1幕第1場)
 
通常の努力精進型の学問に対する批判が展開される。
 
ビローン「たえずこつこつ研究をかさねるものが手に入れるのは
なに一つありません、他人の著作からのくだらぬ知識以外には。(中略)
知識が多いのはおおいなる虚名を得るだけのことです。」(同上)
 
なにやら先日、日田の咸宜園を訪ねたおりに教えられた学びと教育の関係、あるいは学ぶことの歓びについて語ったアリストテレスの学問論を思わせるではないか。
 
 それにしてもシェイクスピア!――悲劇のシェイクスピア、喜劇とロマンス劇のシェイクスピア、史劇のシェイクスピア、とても同一人物とは思えない多面性をみせるその複雑怪奇さに加えて、『恋の骨折り損』が魅せる知識人としてのシェイクスピアに出会って、ますます敵わないな、と云う思いを新たにした。