アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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和辻哲郎 『古寺巡礼』――美しきある日本人の思い出 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 『イタリア古寺巡礼』を読んだら『古寺巡礼』を読み返したくなった。『古寺巡礼』は表題に係らず仏像や絵画などの美術案内であるから、それらを見ていないとすらすらと文章が入ってくると云う訳にはいかない。それがよりお多く、風土を見据えた紀行文学である『イタリア古寺巡礼』との違いではなかろうか。読みながら当該の美術品についての記憶を確かめながら、見ていないものや記憶の不確かなものは画像によって確認しながら読んだので、思いのほか読了するの時間がかかった。
 
 以前はそれほど鮮明には読みとれなかったのだが、『イタリア古寺巡礼』を経由した目で見ると和辻の感性の基本にはギリシア的なものが素養として確認される。それは日本人であるから日本的な感性を育てることを由とすると云うような偏狭な日本観からは和辻が無縁であったことも理解できる。それは必ずしもオリジナリティに拘らない模倣や技巧性と云うものに対する和辻の寛容性にも見て取ることができる。現代の日本人にとって自然であるとは、西欧的な感性の幼き頃よりの薫陶を考慮することなしにはありえない。例え油絵に於いて描くことが西洋の模倣であろうとも、日本画よりも勝れた近代日本絵画と云うものは存在する。要は、西洋やガンダーラの様式を使って日本を表現することもまた、日本の文化であるのだ。
 
 和辻のこの観点は意外と日本文化の雑種性を述べる戦後の文明論と近い。和辻の根底には、古典古代におけるギリシア文明が、ヘレニズムとして東暫し、それがインドにおける肉感性や精神性の影響を受けながら、西域をへて唐に至り、ギリシアとも異なった人間性の表現に至る。しかし直もこの世界精神は東進して、日本の温和な山河と出会うことによって、世界に類例のない、例えば法隆寺金堂の壁画や中宮寺弥勒菩薩のような、「もののあわれ」としか言いようのない独自の表現形式を生みだすに至るのである、と。実に、フランス革命後のナポレオン精神の伝播をいちめん世界精神の展開とも見立てたヘーゲル顔負けの、壮大な夢ではなかろうか。例え実証的な裏付けを欠こうとも、和辻のこの若書きの書物はそれだけのものではない、今日まで読み継がれる魅力を持った書物の一つと云える。
 
 個人的には、寺巡りの途中に出会う、京や大和の山河を述べた部分が印象に残った。南禅寺の境内や哲学の道に添った若王子の冬枯れの風景、それからこんなところに、と思わせる隠れ里然とした小盆地にひっそりと佇む南山城は浄瑠璃寺の閑雅な佇まい、東大寺南大門から大仏殿をて三月堂に至る広漠たる林間と石段の道、水田に開ける薬師寺から唐招提寺に至る破れかかった築地塀に添った小道、野辺を緩やかに蛇行する法隆寺への道、大麻寺と二上山のあたりに見上げる駱駝の瘤のような特徴ある異界めいた稜線を際立たせる滲むような万葉の夕暮れ、そしてなだらかに裳裾を引く三輪山と霞棚引く大和三山のあるおおどかな、これぞ日本である、と思わせる風景、何とも若き日の放浪の日々への追憶が込み上げてきた。