アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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西洋舞台演劇史素描・2 アリアドネ・アーカイブスより

西洋舞台演劇史素描・2                                     

2011-08-01 22:18:31

テーマ:映画と演劇

1.はじめに

 

 博多座は日本の伝統でき古典芸能の一つである歌舞伎の公演施設として地方都市への文化の保存と振興を期して建設されたが、ミュージカルやコンサート、演劇等や演舞等多様な目的に対応できる、最新機能を生かした多目的ホールである。舞台から見渡すことのできる客席の空間的な広がりと解放感は、いまは客席の椅子に隠れて見えないオーケストラボックスを始めとする花道、脇花道、奈落やセリ、廻り舞台等の舞台設備と諸機構を始め、それを内外から内部の舞台構造まで見学するバックステージツアーに参加すると、まるで最新鋭の航空母艦かメカニズムに立ち会っているような気持ちが去来し、伝統的な古典芸能の幾つかに携わっているのだという感覚を一瞬忘れてしまいそうである。

去年は客席から一般の観客の一人として、今年は立場ところを変えて大学院の授業企画の一環としてツアーの一員としてステージ上という特権的な場所に立たせてもらっているのだが、ちょうどこの二年間の勉学に勤しんだ時間が、まるで一枚の透明な鏡を隔てて向かい合った二人の自分自身が対面しているようで、不思議な感慨に襲われるのである。むしろ私の意識は古典芸能よりも現在研究しているギリシア悲劇や劇場史の影響の方に強く吸引されていて、演歌と演芸が幕を降ろして間もない、紫雲が霞み漂う舞台上から遥かにうち眺められるプロセニアムの彼方の雛壇状の深紅の客席が、まるでエピダウロスの円形劇場かパッラディオの設計になるヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ、さらにはメトロポリタンやスカラ座等と云った近代を代表する歌劇場の馬蹄状のボックス席に二重に重なって見えたのは、昨夜の夜なべ仕事と、今日の演舞劇が果てて間もない劇場の興奮消えやらぬ人口の紫雲の名残りとが、いまだ後片付けが終わらずに散見される桜吹雪の吹き溜まりが引き起こした半ば幻想と酩酊のせいであったろうか。

しかし、現代の舞台空間は古典古代期のギリシアの円形劇場に、また形状においてもまた精神的な類縁においても少しも似ていはいない。観客席を隔てるプロセニアムアーチの真下に立って客席の床に格納されてあるとされるオーケストラボックスの痕跡を学理的にあるいは機械・機構的に多少強引に想像上再現するにしても、又深い奥行きを持ってせり出してくる二階席や左右のバルコニー席がヨーロッパの主要な古典的な劇場に少しも似ていないことを確認するにしても、昨夜の疲労感と、ツアーに参加できたことからくる歓び、ささやかな私の精神的な興奮状態の中では、その差異は混沌とした天地開闢の坩堝の中に掻き消えてしまうかのようである。

 

 

 

2.古典古代期のギリシア的演劇空間の誕生

 

 私たちはいま、古典古代期のギリシアの円形劇場の一角にたっていると仮定する。そこは、例えばそこはシチリアシラクーサの劇場であると特定しても構わない。背後には地中海を球形に囲む蒼穹と青い水平線が広がっていたであろう。そこではいままさにアイスキュロスの“アガメムノーン”が演じられている。私たちはトロイ戦争の概要を知っており、アガメムノーンという人物がだれであり何を成した人物であるかを知っている。かれはいまや一連の一族の不吉な血と運命との廻り来る連鎖によって最終の悲劇的局面に至ろうとしている。その物語一部終始の出来事を中央に位置するオルケストラと呼ばれるこれは古典古代期ギリシア特有の円形の、舞台よりは一段低いステージで、これもまたコロスと名付けられたギリシア悲劇に特有の合唱隊によって語り歌われようとしている。アガメムノンがトロイ戦争の戦利品?カッサンドラを伴って勝利の凱歌を高らかに歌い上げながら、紫色の絨毯が敷かれた勝利の花道を奥へと歩を進める時、現代演劇との顕著な違いが明らかになる。

現代演劇においては物語の一部終始は神の如き位置にある作者の一点透視画的なオリジナル性によって強く規定されており、運命の女神といえどもこれを変えることは出来ない。ニュートン的絶対空間・時間による厳密性と言い換えても良い。同様にギリシア悲劇においては既に完結した歴史的事象としてのホメロス時代の物語と歴史的記憶の経緯とを語る紀元前5世紀のギリシア悲劇の作者と演者、あるいは観客にとってもまた物語空間の起承転結性は自明ではあるのだが、ここではコロスと云う名の合唱団が観客の代理人として、仮面に仮託された演者との一連の演劇的掛け合いを通じてそこに“現在”という時の時制を現出させる。演劇空間はそれが完結した物語的空間として語られる時現在と云う時制の他に過去と未来と云う複数の時制を所有することが出来るのだが、悲劇が現在進行形として生じつつある過程としては現在形以外の形式の取りようがない。悲劇的空間はまさに現成し生じつつあるホメロスの時代の時制に一瞬回帰することによって、悲劇の骨格自体は変わらないにしても、そこでは物語はなお進行中であり完結することのないある種の身体的な臨場性が誕生する。観客は固唾をのんで、あるいはコロスと云う演者兼観客と云う中間的媒介者を通じて舞台裏に、あるいはギリシア悲劇では通常スケーネと呼ばれていた舞台の背面の背後に演者たちが姿を消そうとする間際になってもまだ、正義とは何であるかの議論を通して、いままさに生じつつある舞台裏の不可視の悲劇に介入すべきか否かを自問自答する観客自らのあり方を少しも不思議に思わないのである。物語としては完結していても、演劇空間としては“その都度”的に時制が甦ることによって物語は完結することなく、引き延ばされた現在と云う名の特権的な時制の中に観客は永遠に放置されたままになるのである。ここにギリシア演劇のあるいはアイスキュロスの悲劇の特徴がある。

余談だが、プラトンの有名な“国家論”などに代表される芸術否定論と、プラトンその人が持つ老人性特有の臆病な警戒感は、主として演劇的空間が持つその都度的な臨場性と非完結性にあったことがうっすらとではあれ想像することができる。哲学者であるよりは政治家を志向したプラトンにとって、また芸術と哲学とは評価の位階制としては異なった評価を与えていたとしても、政治の手段としてしか考えていなかった古典古代のギリシア民主制のプラトンと同時代の人々にとっては、演劇的空間が導入する不確定性的な“現在”という時制の導入と、つねに進行過程にあることからくる未完結性は真理に対する許しがたい冒涜であるように彼の眼には映じた、と云うことだけをこの論考では付け加えておく。