アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

西洋舞台演劇史素描・7 アリアドネ・アーカイブスより

西洋舞台演劇史素描・7

2011-08-01 22:30:49

テーマ:映画と演劇

7.大劇場の成立からバイロイトの祝祭歌劇場の演劇空間へ

 

 今日われわれが具体的な劇場としてイメージする近代的演劇空間の誕生がどの段階であったかについては詳細の論議と議論が必要だが、概略的・演劇史的には新古典主義の成立、つまり14世紀から15世紀にかけての“ルネサンス”とのちに呼称されることになる時代、代表例としては先述のパッラディオによるヴィチェンッアのテアトロ・オリンピコ劇場の成立をもって嚆矢とするということについては大きく論議が逸れることにはならないであろう。ヴェネツィアフィレンツェ都市国家から始まり、フランスを始めとする西欧諸国における国民国家成立におけるバロック期の華としてのオペラの隆盛に至るまで、この間の興味ある有為転変の事象や経緯については他書に譲りたい。ここでは国民国家の国威掲揚事象の極限態としてのバイロイト祝祭歌劇場の演劇空間が何であったのかを簡単に触れるにとどめたい。

 さて、私たちはいまバイロイトの祝祭歌劇場の観客席の一隅に座っているとする、そこで最初に気付くのは目の前にある大仰な三重のアーチに隈どりされたプロセニアムアーチと、その背後にある舞台空間である、観客席と舞台を厳密に区分するおどろおどろしさに圧倒されることであろう。さらに詳細に目を凝らすと舞台最前列のオーケストラボックスは灰色のフードに囲われて観客席からは全く見えない。やがて照明がおとされ神秘の彼方から“姿なき”オーケストラピットから立ち上ってくる音響の呟きはやがてファンファーレの奏でる大音響となって演劇空間を超越的なイメージで満たすであろう。

純粋な標準条件による純粋芸術の鑑賞、ここにおいて私たちは舞台の下に深くえぐられたオーケストラボックスを舞台機構上の知識を活用し“想像”しながら、かつての、ギリシア円形劇場で見聞したオルケストラとコロスの媒介的な役割、つまり演劇空間と観客席を繋いだ役割の完全なる消滅を確認するのである。オルケストラという場の演劇的空間の消滅は単に音響的効果や視覚的効果と云う観点のみでは評価できないある種の本質的な変化をヨーロッパの演劇空間に導入したかのようである。つまりここでは、ほの暗い客席に押し込められた観客は一方では絶対的な受動態としての美的傍観者、ディレッタントもしくは単なる美的鑑賞者として、他方ではワグナーの決まり切ったお涙ものの甘ったるい、男尊女卑のイデオロギーに露骨に粉飾された凡庸な道徳劇に付き合わされる羽目になるのである。ワグナーのオペラとバイロイト祝祭歌劇場の演劇空間から失われたものこそ、遠いギリシア時代の円形劇場にありえた、完結した定型性を嫌う古典古代のギリシアの雄渾な悲劇精神、たとえ悲劇的結末が避けられない運命として登場人物の上に君臨するものであったにしても、英雄とは怯むことなくそこに踏みとどまり、“現在”という名の時制変化を持ちこんだ古典古代のギリシアの人々の心意気こそ、古典古代期の生き生きとした都市国家市民社会における民主主義的精神の具現した偉大な姿なのである。

 

 

 

8.ワグナー歌劇から映画芸術の誕生へ

 

 建築家が演劇的空間において何を成しうるのかは一義的には語れないし言えもしないであろう。建築とはいつの世も支配的な時代的価値観の集大成として、歴史に“立ち遅れて”到達する。時代を先験的に読み解く技術としては建築は不適当な技術なのだ。総合芸術としての建築に与えられた偉大な役割は他にある。例えばアクロポリスフィレンツェの花の大聖堂が切り開いた偉大なる造形性と空間的告知のように。

 私たちは、ギリシアの円形劇場、中世の野外劇、そしてワグナーによるバイロイト祝祭歌劇場等の改革と結末と教訓を通じて、わずか三例のみのケーススタディーではあるが、概略、西洋における演劇空間の発展と省長の歴史を振りかえってみたのである。

 その中でもとりわけ現代に教訓を残した事例としては、ワグナーの諸改革とバイロイト祝祭歌劇場における試みであろう。ここで顕著に言えるのは、常に時代の後追いをするように自己実現を図って来た建築と名付けられた芸術の様式が、ここではワグナーとルードヴィッヒという理解者とパトロネージに恵まれて、初めて芸術家の理念が先行的に実現する劇場空間と劇場建築とが可能となったことである。そしてその評価はいままでの論述にもある通り現在においてもなお賛否両論の渦中にある。

 その理由の一つは、芸術と云う概念をどのように理解するかについての共同合意が学理的に成されていないことにあるのではないだろうか。より厳密な云い方をすれば芸術と共同性を繋ぐ意味論的な脈絡が希薄なのである。純粋芸術はこのあと、音楽の世界ではマーラーリヒャルト・シュトラウスからシェーンベルグをへて現代音楽へ、文学の世界でもボードレールによる芸術至上主義の宣揚からヴァレリーの“テスト氏”の一夜に至るまで、その他彫刻や絵画の世界においても純粋芸術の概念には揺らぎがないかのようである。そしてその対極としての娯楽芸術、大衆演劇もまた健在なのである。かかる両芸術の平和共存的なあり方の中で何が必要不可欠で、何が失われたのかという問いが切実に問われた事はなかったのである。

 最後に、純粋芸術であると同時に大衆芸能でもありえたワグナーの歌劇とバイロイトの祝祭歌劇場の演劇空間を意味するものが何であったか、これを20世紀以降著しい興隆を示してくる映画芸術との関係について論じることで締めくくりとしたい。

 再び話は古典古代のギリシアに戻って、あの円形劇場のオルケストラと云う名の円形の空間とコロスという名の合唱団が果たしていた中間的な役割の中で、観客は純粋な傍観者として芸術や自然に対峙するのではなく共同参画的な空間を生きていた。時制変化においても現在とは、未来と過去の中間に成立する抽象的な存在ではなく、生き生きとした臨場性あふれる現代の流行りの表現を使えば身体的な言語として成立していた。この関係を強引に擬-近代主義的な主客分裂へと持込み、ギリシア悲劇的な“対話”の理念から法廷的な“論争”へと屈折させたのはかのソクラテスプラトンとであった。こののちアリストテレスの努力があるにはあったが、この趨勢を根本的に挽回するには至らなかった。

 ソクラテスプラトンの哲学とは、端的にいえば“みること”に準拠する哲学、すなわち純粋なアタラクシア、“観照”の学なのである。プラトンの哲学を支配しているのは見ることに準拠した、より正確により精度よくものを見極めることのできる認識の学、なのである。近代市民社会と資本主義社会の勃興の時期と哲学的な認識論の隆盛がルネサンス以降プラトン哲学の再評価と結びついたことは怪しむに足りない。ここに正しくものを見るとは見るものの思惟と眼差しの鮮明度のほかに、主客を繋ぐ適度の距離感と云うものが前提されなければならない。近代人のものの考え方とは、この距離感を自明のものとすることによって成立した。この距離感の中から一方では人間の優位さと搾取されるものとしての自然観が、他方ではこの敵対関係に準拠する自然と人間の関係が、そのまま社会に持ち込まれて資本家と労働者の対立へと、資本主義的な貧富の格差の起源になった。こんにち我々が眼にするプロセニアムアーチを境にして鋭く分岐する舞台と観客席の関係は、また最前列の座席の下に押し込められたオルケストラの痕跡とは、かかるものごとの隠喩にほかならなかったのである。

 こうして疎外態(物象化)としての芸術、自己疎外の極限態としての芸術としての映画芸術が20世紀に誕生することになる。ここでは映画芸術の是非を、本質論としての良し悪しを論じているのではない。疎外態として現れた芸術の2500年の歩みの中から最も典型的な経緯として映画芸術が誕生することになる歴史的過程の、その象徴的な意味に注目していただきたいのである。

 周知のように、映画芸術においてはプロセニアムアーチは物理的にそれが有ろうが無かろうが本質的に映画芸術に内在的に固有なものとして本質化されている。例え屋外公園のような野外の仮設ステージで演じられるとしても、夜の暗闇がプロセニアムアーチの代役をする。映画の場合はプロセニアムサーチの存在はたまたま偶然にあるという在り方ではなく、より本質的なのである。つまり映画芸術は、自分ではないものとしての極限態としてのあるものの存在をスクリーンの彼方に華やかにも投影する。昔の日本人はこれをいみじくも“銀幕”と表象した。そこには手の届かない庶民の憧れと、銀幕やハリウッドスターたちのオリンポスもどきの天上的世界を垣間見る奇跡のような空間がありえた。映画芸術が20世紀後半、姉妹関係にあるとも言えるテレビジョンに一方では押されながらも、一定の影響力と視聴者の感性的支持とを保持できた最大の理由はここにあった。つまり20世紀の観客にとって“銀幕”の彼方の私生活とは、ちょうどフランツ・カフカの主要な登場人物にとっての社会機構や官僚制が、見通しが利かない有無を言わせない権威の絶対性を持つように、そこではその敵意の反転された形としての庶民の夢や憧れが逆投影された形として、つまり語の正確な意味における“現代芸術”として将に成立していたのである。

 もちろんかかる理由をもって映画芸術の存在が否定されるわけでもない。建築が歴史を後追い的に実現した技術であるように、映画には映画のまた違った特性と役割と云うものがある。映画がこの約束事を忘れる時、例えば1960年代のジャン・リュック・ゴダールの映画“ヴェトナムを遠く離れて”や、ペーター・ヴァイスの長大な題名を持つ映画“サド侯爵の指導のもとにシャラントン精神病院の演劇グループによって演じられたジャン・ホール・マラーの迫害と暗殺”劇のように、舞台と観客は敵対的な関係のものとなるのは象徴的である。こうして私たちはギリシアの円形劇場から2500年の時空を一巡するかのようにひと廻りして、殺伐とした現代の演劇空間の世界に佇む自分自身の肖像を見出すことになるのである。映画芸術とは、そうした時代に固有の、象徴的な表現形式なのである。