アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ロベール・Lを待ちながら――マルグリット・デュラス『苦悩』(2013/12) アリアドネアーカイブス

ロベール・Lを待ちながら――マルグリット・デュラス『苦悩』(2013/12) アリアドネアーカイ
2019-08-26 16:45:36
テーマ:アリアドネアーカイブ

アリアドネアーカイブ
原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505537856.html
ロベール・Lを待ちながら――マルグリット・デュラス『苦悩』
2013-12-20 22:00:19
テーマ: 文学と思想




 マルグリット・デュラスの『苦悩』は、たまたま同時期に書かれた六篇が合装された短編集と云うのとは、少し違う。

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QFN3Xa8UL._SL500_AA300_.jpg


・ マルグリット・デユラスの『苦悩』は、凡そ100ページの「苦悩」を中心に、様々に多様な表現スタイルを用いて、――最もリアリスティックな「アルベール・デ・キャピタール」から、無残な現実が言語的抒情へと凍結する「オーレリア・パリ」まで、その他には、それ――主篇「苦悩」を補足するような形で、頽廃美に於いて際立つ「ムッシュウX 仮称ピエール・ラビエ」、哀切極まる「親独義勇軍テル」、デュラ的文体の極致、『辻公園』や『モデラート・カンターヴィレ』によって確立された文体によって、ものの終わりの確認する「手折られた刺草」と、一個一個が傑作であると云う訳ではないのだが、不思議なオムニバス風の六つの短編を含んでいる。この一見、バラバラな、同一の現実感に根差した実験的な諸篇は、全体を通読してのみ、文学が手が届かない、「文学の沖」――デユラスの言――と云うものを、表現形式の外見的相違にも関わらず、禍禍しい乱反射的なコレスポンダンスを通じて、けっしてうかがい知れることはなかったデュラスの戦後における立ち位置を、予感的に彷彿とさせると云う意味で、暗示的、かつ黙示録的な諸篇である。

 主篇「苦悩」は、良く知られるように、強制収容所に送られた夫の帰りを待つ妻の話である。妻とは、これも良く知られるように、作者マルグリット・デユラスである。夫を待つ時間がどのようなものであったかは、これまでに決して描かれることはなく、この書が公刊された1980年代までは、例えば、映画『かくも長き不在』などを通じて、断片的に伝えられてきただけである。

 夫は、強制収容所から絶望と苦悩の底から九死に一生をえて生還する。これだけなら目出度い話なのだが、妻は、病みつかれた、もはやボロボロで生体が物体に還元される一歩手前という状態にまでなった、ごぼごぼと腐臭すら漂わせる緑色の排泄物をする夫に対して、献身的な愛と介護を奉げながらも、夫が正態に復帰した段階で、夫への離別を告げる、というものである。

 夫への献身的な介護の結果として、燃焼尽くした自分自身の実存しか受けとりえないとは、どう云う意味だろうか?

 むかし『ヤーコプについての推測』と云う優れた新小説があったが、デュラスについての推測は、「苦悩」だけを読んだのでは良く分からないのではあるまいか。それが「苦悩」をめぐる六篇の連作、と云う形をとったのではあるまいか。

 たとえば、普遍的な人間的な感情に訴えやすい「苦悩」の粗筋を辿るとき、わたしたちは無条件の、非力な人妻が現実の情報の不確定性の中で翻弄される姿を通じて「共感」する。共感には、形があり形式がある。
 しかし共感の形とは何だろうか。共感の形とは、例えばそれは文学と云う表現形式がある、と云うこともできる。それでは共感や文学の外にあるものとは何だろうか?それを「文学の沖」と云うことでデュラスは暗示しているのでは、あるまいか。共感の外にあるような事態とは、それは、人類が初めて経験するようなアウシュヴィッツの経験のようなものも含まれるに違いない。

 私の論旨の進め方が、デュラスの個人的な実存から初めて、いきなり強制収容所における社会的現実と云う歴史的局面に敷衍したとしても、それは飛躍と云うのとは違う。デュラス自身が自らの経験の伝え難さを、ユダヤ民族を見舞った全般的な運命と云う形で、――唐突とも云える形で、言及しているのである。デュラスには『ユダヤ人の家』と云う重要な作品もある。

「私は子供と兄を喪いました。レジスタンス運動で、ラーヴェンスブリュック、アウシュヴィッツ強制収容所で、十四人の友達を喪いました。でもユダヤ人たちの全般的運命にくらぶれば、そういった個人的喪失の傷の方が直りははやいのです。非常に個人的な、きわだった、苦悩にみちたやり方で普遍性を経験するということはありうることなのです。」(デュラスの言・日本版『苦悩』P281)
 なんと云う、哀れむべき、孤独な言葉だろうか。

 つまり、いっけんわが国で云えば秋成の『浅茅が宿』のような、戦場に出た夫の帰りを待つ物語は、同時に「アルベール・デ・キャピタール」や「親独義勇隊員テル」のような、加虐-被虐の構図を逆転した拷問者としてのおぞましき姿に於いて描かれるのであり、被害-加虐の、サディズムマゾヒズムの捩れた幼児体験を通じて――考えてみれば、これが問題作『愛人』のテーマであった――『太平洋の防波堤』の、デュラスの自伝的な旧約聖書的な原風景の世界へと、病的とも云える回帰現象をみせるのである。

 そうしたマゾ-サディズム的な構図の極限的な表現が、例えば、ムッシューX 仮称ピエール・ラビエ」である。
 夫の帰りを待つ妻の不安に付け込んで接近してくるナチの関係者、と云う構図は戦時下のフランスには普遍的現象として幾つかあったのかもしれない。これは目的のためには手段を選ばないとか、相手の弱みに付け込んで性的な欲望を果たそうとする、というような単純なお話しではなく、加虐と被虐者との間に見られる、極めて不健全な共犯関係にある。私たちは、この種のものを描いたものとして映画『愛の嵐』を知っている。

 「ムッシュウX」が『愛の嵐』と違うのは、お互いに有効な手持ちの駒を持ちながら、その時期を禁欲し、無限にずらせながら競う、ロシアンルーレットにも似た頽廃性にある。最期に、切り札を使った方が勝ちなのか負けなのか、それは誰にも解らない、と云う描き方がしてある。
 分かっているのは、最終的に切り札を使ったのはデュラスの方であったと云うことが事実として残る。

 ナチの関係者、「ムッシュウX」は、身だしなみがよく慇懃で親切である。本当は粗野で無教養であるくせに、文学関係の初版本の収集を趣味などとする美学者風のダンディーと云うように、如何にもナチらしい造形が施されていて、流石はデュラスと思わせるものがある。彼がいかさまのディレッタントであるにすぎないのは、彼は初版本を収集はするけれども、読んだことはない、と云うデュラスの突き放した記述である。

 しかし「何かの」ために、ムッシューXが「何か」を手控えたのはあきらかなのである。その何かが何であるのかをデュラスは決して語りはしない。
 デュラスは、ムッシュウXが彼女にあの決定的な申し込みをした日、長い時間の中に耐えて引き伸ばされた緊張の糸が弾けるような申し出が却下されたあの日、彼女はレジスタンスの仲間に密かに合図を送る。
 そして、のうのうと、次のように書く。

「そしてラビエは私の心から完全に消えていった。私は彼のことを忘れた。
 彼は1944年から45年にかけての冬のあいだに銃殺されたはずである。それがどこでおこなわれたのか私は知らない。」(p163)

 こうした経験の果てにわたしたちが見出すのが、「アルベール・ド・キャピタル」と「親独義勇隊員テル」にみる、苛烈な拷問者デュラスの姿である。
 この世界がおぞましいのは、単に暴力の世界を描いたと云うにとどまらず、これがデュラスの捩れた被虐ー加虐の世界構図の中で、性的なエロティシズムの遠い残響、『太平洋の防波堤』や『愛人』に至る一連の、一種醒めたような固有な恍惚感の中で、倒錯した現実として、倒錯した甘美さとして語られうるからである。

「テレーズは私である。密告者を拷問する女性は私である。同様に、親独義勇隊員のテルに性的欲求を抱く女性は私である」(p166)

 お洒落で洗練されたムッシュウXとは対極にある、チンピラ、親独義勇隊員テルへの加虐行為に於いて、なにゆえそれが性的な感受性と綯い交ぜにして語られなければならないのであろうか。それは無知であることに於いて上の兄を彷彿とさせ、無防備で純粋であることに於いて下の兄に似ていたからではなかったか。狩人と狩られるものと云う、インドシナ旧約聖書的原型は生涯デュラスに亡霊のように付き纏うのである。
 おそらく不可視の暴力性を描いたと云う意味で、「親独義勇隊員テル」ほど残酷な物語はないであろう。狩るものと狩られるものの二極性に於いて、なぜかナチズムとユダヤ人社会の幾重にも倒錯化された世界を、人類の病のようなものを連想してしまうのである。

 この、マルグリット・デュラスの特異な、新約聖書風の時代を共に影のように生きた、作中では単に「D」と呼ばれる人物が頻出する。Dこそ、デュラスの二番目の夫である、ディオニス・マスコロであることは間違いないであろう。二人の関係は、ある段階までどちらが影でどちらが実体化分からないような不可分の込み入った関係で、この多難で困難であった時代を、絶妙の二人三脚において生きたに違いない。
 もはや自分自身を純粋な被害者としても語り得る第一番目の夫、ロベールアンテルムとは如何に異なった現実へと、かれらを浚い流し果ててしまったことであろうか。

「私にとって、戦争は、『アルベール・ド・キャピタール』で語ったあの情景のあった日に終わった。そのあと、強制収容所からの帰還があったけれども、もう殺意は消えてしまっていた」(デュラスの言・p282)とある。

 より正確に言えば、殺意が消えていたと同時に、愛も燃え尽きていた、と言いたいのであろう。

「『苦悩』のことをまるで、大きな愛の物語のように語った人たちがいる」(デュラスの言P270 )
 何と云う皮肉であることか。

 デュラスの文学には不可解な二面性がある。先の彼女の言を引き取って言えば、『愛人』のことを大いなる愛の物語と信じて読んだ人たちがいる、と云うことにもなろう。
 名作『愛人』が愛の物語であることは間違いないであろう。事実、私はいまもそのように読んでいる。しかし『愛人』で語られた愛の天使が、同時に『太平洋の防波堤』と同一の現実から描きだされたものであること、同一の素材から鋳直された姉妹品であることを、デュラスは決してわたしたちに忘れさせはしない。彼女は、一方で読者を慈しみながら他方の手で冷酷に突き放すのである。

 わたしたちは彼女の著作群を併読することによって、『愛人』の世界が半分は嘘であることを知っている。作者であるデュラスが文学の内部として、文学の定型として読まれることを望んでいないからである。それが文学を離れると云うこと、「文学の沖」に漕ぎだすと云う事の、デュラス風の意味である。

 最期の二篇、「手折られた刺草」と「オーレリア・パリ」は、前者が人がものに解体する無機的な世界の世界性を描いたと云う意味で、『モデラート・カンターヴィレ』の手法と文体とを駆使して、『苦悩』の世界を描き直し焼き直ししたものと思われる。小説の最期では、ヒーローの、親独義勇隊員テルを思わせる「見知らぬ男」の、棒切れのような無意味で無残な死が暗示されて、終わる。かかる世界の無機的な描き方は、アウシュヴィッツの世界的経験を通じて初めて、極限的表現者としての彼女が獲得したものであることを、今は知る。

 「オーレリア・パリ」のイロニーは、ユダヤ人の孫娘オーレリアを通して、純粋に受難的な行為を通してしか人は語りえないことを暗示している。つまり「文学の沖」には語り得る言語は存在しない、と云うことなのである。それゆえ末尾の結句はこのようになる。(鬼のような仮面の裏側で、たぶんデュラスは泣いただろうと思う。)

「わたしの名は、オーレリア・シュタイネルです。
わたしは、両親が教員をしているパリに住んでいます。
歳は十八歳です。
わたしは書きます。」(p266)