アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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冬のなかやすみ――マルグリット・デュラスの二つの秘められた経験、二つの時代 アリアドネ・アーカイブスより

冬のなかやすみ――マルグリット・デュラスの二つの秘められた経験、二つの時代
2014-01-25 11:15:39
テーマ:文学と思想

 


・ たとえばわたしたちは、作家と作者その人とが別の人格を持つことを知っている。現在、わたしが関心を持っている作家、マルセル・プルーストについて云えば、作家としての彼は関心を引いてやまないとしても、実作家としての彼と日常的に付き合うと云うのはしんどいだろうと思う。ここからわたしたちが真剣にお付き合いする価値ある行為はあくまで芸術家としての作家の方である、と長らく思ってきて、実証的な研究や文献の閲覧には消極的だったのである。
 しかしデュラスの『苦悩』を読んでみて、作家その人が作家よりも興味深いし興味深いこともありうるのだな、ということ久し振りに理解した。それはたまたま作家その人の日常的な行動や伝聞や報道を目にしたり聴いたりしてそう思った、と云うことではなくて、異なるテキストを読みながら、そこに秘められた矛盾と云うか対立点と云うか、文学的関心のみでは解けない問題が秘められてあること、あるいは文学上の憶測や仮説が定かならぬものであることを感じるとき、それを裏面の日常の文献によってどうしても確かめてみたいと云う欲求が湧き上がるのを如何ともしがたく感じるのである。
 マルグリット・デュラスが70歳のとき発表した『愛人』――「愛人」と云う言葉は、それを正しく日本語で定義できれば素晴らしい言葉だと思う――をめぐって、これがあの『モデラート:カンターヴィレ』や『ロル・V・シュタインの歓喜』――これを最近は『・・・の喪心』と訳し直しているが「歓喜」が正しく、より正確には『ロル・V ・シュタインの法悦』とすべきであると考えているが、これは別の機会に書きたい――を、分かり易さや平凡さが何とも理解し難く感じたのである。ここには明らかに、不連続的な過程のなかのデュラスがいる、そう感じたのである。
 私がまた違った目を開かれたのは翌年の発表された『苦悩』を読んでからであり、この時初めてマルグリット・デュラスとは文学的な事件ではなく、それを超えたものであることをおぼろげに理解した。そして死後十年目に発表された『戦争ノート』を読むことによって、この本は内容もさりながら、編集者の偶然とも云える資料の配列の仕方に注目した。デュラスの秘められた二つの求心、つまりこの書は、『太平洋の防波堤』と『苦悩』に大別される、二つの中心を持った楕円形状の世界だったのである。
 たしかに定本以前の草稿研究や背後の文献的多様性と云う内容面のみで云うならば、他にも証言や他の文献等によって確かめることも出来るだろう、とりわけ作家が現存する作家、あるいはそれに近い作家である場合は。わたしを驚かせたのは、内容よりも、本の構成、明敏なデュラス研究者がなした無意識の、あるいは意識的な構成の仕方、絶妙なとも云える編集方針であった。

 つまり『太平洋の防波堤』と『苦悩』を同時に思い浮かべると云う、感性の在り方であった。この両作の背景になった時代はデュラスの文学にとって本質的な基盤になっているのは知られていたのだが、ただ順序良くこの二つの経験を描いた二系統の草稿群をひとまとめにすると云う発想の仕方が、実に暗示的でもあり象徴的でもある、と思えたのである。

 一般にデュラスは愛の作家だと思われているが、わたしはそうは思わない。『太平洋の防波堤』と愛人』とに愛は描かれているか?半世紀以上もたって、記憶と時間に浄化されたかたちで70歳のデュラスが、華僑の青年をもはや愛していなかったと云い切れる自信がなくなった、と書いたとき、それは七十歳のデュラスなのではなかったか。『モデラート・カンターヴィレ』に愛は描かれているか?ここに描かれたのは、愛の偽装であり、偽装された愛の再演に向けられた儀式であり、至高形態としての愛を「殉教」の形で定義し、それに殉じる事の出来ないアンヌ・デバレードの在り方を、彼女自身「殉教と剽窃」として、アイロニカルにしか語る術もなかったのではなかったか。『苦悩』もまた愛を描いた物語であるだろうか。生死がようとしれない夫を待つ『浅茅が宿』もどきの、銃後の妻の純愛物語として?至誠なるものを導き出したのは、あの華僑の青年が契機となったことは疑えないだろう、もちろん短編集『苦悩』はそれだけのものではないけれども。そして後期の代表作『ロル・V・シュタインの法悦』に至っては、愛を他性として見出したときの驚き、無力さ、非力さ、絶対的受動性を時間的硬直の中に描いているにすぎない、のではなかったか。

 つまり実作者としてのデュラスには、本当の愛を経験したかどうかは極めて疑わしいのである。むしろより正確に言えば、ある特殊な人間的な感情は、記憶の浄化作用の中で、ある日愛になった、愛に変容した、と云うべきだろうか。
 60歳代のデユラスはある日唐突に、パリに他の用事で来ていたあの華僑の元青年から電話を受ける。デュラスは電話のこちらがわで初めて泣いた。彼女には、愛とは、それが如何なる利害の関わりもないものであることが初めて理解できたのである。そうして、愛がそうしたものであることを学ぶと、次々と自分の履歴書の中から、自分が過去になし経験したことども、その無償の行為のひとつひとつが芋づる式にに出てきた。ひとつは兄さん、つまりインドシナで過ごした二番目の兄と過ごした、メコンマングローブの森の中で過ごした神話的な黄金の日々であったったろうし、ロベール・アンテルムと別居中に、ひとり隔離された環境の中で産もうとした極限的な孤独と、死産するに至る嬰児を取り囲む無残で無常な思い出であったろうし、さらには一転して歴史の過酷な歯車に巻き込まれた夫を想う戦中のもどかしいほどの頼りないサンブノワ街の日々、多くの夫を喪った妻に通底する普遍の経験であったろうし、これらは人が如何なる利害損得とも離れて成し得る創造的な行為の在り方だったのである。

 『愛人』は、作家としてデュラスに知名度と社会的認知とゴンクール賞を与えたと云うだけでなく、作家としての仮面が裂けて割れて破損してそこから初めて、傷つきやすい人間の素顔が露呈した事件であったのである。

 愛の定義が『愛人』を生み、理想化され浄化された愛の記憶が、二つの未だ浄化されざる二つの世界、すわわちインドシナとサンブノワ街の日々を「同時」に思い出させたのである。愛の記憶による浄化は、確立されたかに見えたデュラスの文人像をもこえて、歴史の証言者としての苦悩をも表現する勇気を与えたのではなかったか。その洞察力はある場合においては西洋的な知の経験をも揺るがせるほどの洞察力を秘めるほどのものであった。わたしがマルグリット・デュラスの自伝史的な表記における旧約的なものと新約的なものに言及したのはそういう意味である。
 『戦争ノート』は二つの世界、二つの言語、秘められた二系統の草稿群を持つ、言語化未然の楕円形状球体であることの理由はそういう意味なのである。