アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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プルーストとウルフと、そしてナタリア・ギンズブルグ アリアドネ・アーカイブス

プルーストとウルフと、そしてナタリア・ギンズブルグ
2011-07-01 11:05:58
テーマ:文学と思想

 昨晩ナタリア・ギンズブルグとプルーストの関係を書いていたら、もしかしたらナタリアの”ある家族の会話”は、より以上にヴァージニア・ウルフの文学、――”灯台へ”に似ているのではないかと思いました。

 ナタリアの夫であるギンズブルグは生きている頃から既に神話を生きているようなところがあったのかもしれません。死してなおその生き方はナタリアの文学に陰を落としていると思うのですが、定かに見定めることが出来ず痕跡を跡を定かにしません。高名なチェーザレパヴェーゼ自死についても暗に陽に深い影響を与えていると思うのですが、通奏低音と云うのでしょうか、周囲の喧騒が途絶えた時だけ聞こえてくるような低いうなり、それは聖痕と言ってもよいほどのものでした。事実パヴェーゼは自分の作品の幾つかにおいて”聖痕”について語りました。また、聖痕はロッセリーニの有名な映画”無防備都市”にも陰を落としているように思うのですが、たぶん思い付きの域をでないでしょう。それにしても生きている時代において既に神話であり死して後もまた聖痕として完結する夫を伴侶として選んだ女性の心中とは如何なるものであったろうかと考えると、気が遠くなります。

  話がそれてしまったのですが、”ある家族の会話”はそんな”聖痕”に出会う前のお話です。時代は確実に北イタリアにおける苛烈を極めた抵抗運動の時代に傾斜していく時代ですが、描かれた風景はなお牧歌的です。
 ウルフの”灯台へ”は、家族が離散した後に改めてちょうど扇の要のような配置に位置を占めていた母親の面影に奉げられた挽歌です。
 その挽歌はどこかクロード・モネ描くところの”日傘を持った女”を思わせる清明さに満ちていますが、回想が美化しているのです。この三つの作品のモチーフは、回想と云う時の作用によって理想された面影を描くと云う事において共通しています。母親の理想化を通じてかって戦前と云う時代にありえた、イギリスとフランスとイタリアの階級的社会像を描いているのです。

 マルセル・プルーストの優しさは雄篇”失われた時を求めて”の最終章”見出された時”において際立っています。少年期の神話と幻想に満ちた人生の散歩道、ゲルマントの方とメゼグリーズの方という二つの散歩道が、ちょうどメビウスの輪のように大河的合流を果たすとき、マルセルはそこにかっての恋人ジルベルトと心の友サン・ルーがこの世に残した一粒種としての少女の立像に永遠を見出します。永遠を通して青春を見出します。プルーストの観察者としての冷徹さと人間としての優しさが、まるで対位法かオペラのアンサンブルのように歌われる、まるで聖歌かコラールのようなクライマックスです。

 女好きのプルーストが少女に食指を動かしているというような穿った解釈もありますが、ここは素直に読んだ方がよいのです。ジルベルトの娘を家系史てきにとらえると、彼女の意識からは疎外されている曾祖父は第二帝政期の社会的変動期を捉えて株仲買人として社会的に成功を収めた人です。社会的なステイタスを確保した後にこの家系が目指すものは息子のスワン氏の姿を借りて名士的な社会に仲間入りすること、実業家である父親には手の届かなかった芸術や貴族社会の一員となり審美的な生き方を選ぶことでした。そうしてスワン氏の娘であるジルベルトはサン・ルー侯爵家と婚姻を果たしパリの社交界の最高峰に位置するようになるのですが、その娘は親の気持ちも知らず、無一文の貧乏な青年と愛を育むという具合なのです。ここには19世紀におけるある家族の四代に渡る変転と、家族の理念としての論理の物語があります。つまり貧しさや清貧と云うものを理解し始めた、意図せざる祖先帰りが見られるのです。それを死期にあったプルーストは”青春ににていた”と万感の思いを込めて描き出したのです。

 ヴァージニア・ウルフの”灯台へ”においては、かって数十年前に果たせなかった避暑地の岬の先にある島の灯行きを果たした大学教授である父親がひらりと小舟から身を翻して島に着地し、十年来の約束を果たす場面がありますが、この映像もまたプルースト風に言えば”青春に似ていた”ということになるのでしょう。あるいは同じヴァージニアの代表作”ダロウェイ夫人”においても、最後の午餐会のイメージは失われた時の大団円を意識したものとなっています。

 まるであたりのパーティーの喧噪がそこだけ静寂に化したかのように幻想のスポットライトに照らされて、無時間的な静謐さの中で父親と娘はあたりの靄めいた陽射しを逆光のように浴びながら、ちょうど印象派風の輪郭が朧に雰囲気に融けかかったような暈かした画風の中で、ちょうどきっちりと収まった絵の中の二人であるかのように、ヴィクトリア朝風の金縁の額縁の中に収まる名画面として表現されます。

 ナタリアの”ある家族の会話”においてはかかる名場面は存在しません。時代の要請は彼女の場合より切迫したものであり苛烈なものでありました。ギンズブルグ夫人は直接に描かれることはなく、娘の回想の中で朧に理想化され、いまは失われたトリノの階級性社会の象徴として、永遠と云う名の光学の光の中にとどめ置かれたのです。

 ”ある家族の会話”の特徴は、プルーストやウルフの文学にはない、男性像ですね。母親の内助の功が描かれば描かれるほど、癇癪持ちの本当は人のよい、理系的人間の力強い男性像が、つまり一切の不条理に屈することなく闘った北イタリアの男性像の理想的な面影が、何時しか夫ギンズブルグの聖痕的な生き方と重ね合わされて表現されているのです。

 とはいえナタリアとヴァージニアには共通するものがありました。それは狂気でした。ナタリアの場合は眼に見える時代の狂気として、ヴァージニアの場合は自分自身の狂気として。二人の生き方は狂気と如何に対峙したか、その気高さにおいて感動させるのです。