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トーニオ・グレーガー問題 アリアドネ・アーカイブス

トーニオ・グレーガー問題
2011-07-17 16:46:22
テーマ:文学と思想






 文学の世界に”トニオグレーガー問題”があるというのを微かに聞いたことがある。もちろん仲間内でおおっぴらに話したことはなかった。マンのこの本を読んだというと、ああ君もね!と、反応は熱くも冷たくもなかった。まるで通過儀礼のようでもあり、一人前に扱われた証のようでもあり、その当時僕らの関心はむしろ政治と文学の方に向かっていた。

 当時の僕らの感性のあり方が間違っていたとは思わない。
 ”トニオ・グレーガー”とは文学愛好家の自己弁護の書なのである。市民社会の成熟とパトロネージの解体は、一方では芸術や知的関心を一方では芸術家を経済的な自立へ、他方では芸術そのものの自立へと向かわせた。芸術や知的な学問は背後にありえた広範な知的雰囲気や読書階級を当てにすることが出来ずに、ちょうどプロテスタントの神と人間の関係のように、一対一に対峙する孤独な関係が強いられた。

 ”ブッデンブローク家の人々”を書いたばかりのトーマス・マンの目にはこの社会的な背景が人生と芸術の、和解できない根源的な対立であるかのように見えた。それにも関わらずマンは安易に芸術至上主義の道を信ずることも出来ず、丁度この小説の登場人物であるリザヴェータがトーニオを形容したように、”迷子になった普通の人”という線でこの問題を解こうとした、ということが出来る。

 ”碧眼のハンスと金髪のインゲ”の体験が如何にマンにとって根源的であったかは、この小説末尾の幻想的な園遊会の二人との”再会”にも現れている。この場面のマンの筆力は圧倒性を極めていて、これが虚構であるか否かを問題にしはしない。むしろワグナーのライトモチーフのように、きっちりと正確に過去が再現され、その精度の高さゆえに未だにマンにとってこの種の問題が未解決であることを露呈しているのだ。

 小説の最後でマンは、リザヴェータやその他の友人が住む住み慣れたミュンヘンの生活圏を遠く望みながら、他方ではかって自分自身が過ごした郷里リューベックをかってなく間近に感じながら、かれはリザヴェーダの自身に対する批評を首肯する。ここで槍玉に挙げられるのはニーチェを初めとする、ゆわゆる”深遠な”哲学や文学、すなわちドイツ文学の伝統である。

 これに対決するものとして持ち出されるのが例の”碧眼のハンスと金髪のインゲ”体験である。人間的であるもの、愛すべきもの、にもかかわらず自分は人間的なものの側に立ちたい、と。これが最も優美に編曲された高尚で手の込んだ自己欺瞞の変体であるのは明らかであるだろう。

 この当時のマンは未だに”非政治的人間の考察”などという本を書いて自己規定をしてみるだけの保守的な人間のひとりであるにすぎなかった。
 マンの思い違いは次の箇所に典型的に現れている。

”人生を楽しみながら、ときどきは芸術家にもなれるなどと思っているディレッタントくらい、ぼくら芸術家が軽蔑するものはない”(p71)

 と書いて、とある晩餐会でこの上なく立派な風采の青年軍人が自作の詩を朗読して座を白けさせる場面を何気なく例証として描いている。一見温厚に見えるマンの中に潜む容赦なさや俗人に対する隠された軽蔑か露呈するのはこうした場面である。人間としてのマンの、芸術家としての揺らぐことの無い自信のほどを見せ付けられて少し辟易する場面である。

 一方、芸術形象家としてのマンはこの点をどのように捉えていたのだろうか。
 トーマス・マンと正面から対決しようとするのであれば、人間としてのマンと芸術家のマン、作家の単なる恣意的な言説と芸術家の主観を超えた形象的認識の問題は区別されて議論されなければならない。

 故郷を去ろうとする頃、トーニオ=マンはこのように書く。

”時が経つにつれてトーニオは以前ほど真剣には、陽気なインゲのためになら死んでもいいとは思わなくなった”(p43)

 何故思わなくなったのだろうか?これについてはマンは一言も書いてはいない。

 それは、年を降り、人間としてのマンの感性が堕落したからである。

 あの少年の頃の、ひりひりとするような生きてあること、”生きている”という現在形で感じたところの感性は、年降るとともに変質せざるを得ないのである。それはマンが考えるような芸術の価値と実人生とか芸術の自律性の問題とは別の問題なのだ。このことにマンは気付いていない。

 これ以降も二つの世界大戦や全体主義の興亡等の如何なる世情の不安定さを描くにしてもマンが示した大家的余裕と揺ぎ無さの理由の大半はここにある。

 小説”トーニオ・グレーガー”は、このあと故郷を去ったトーニオがどんな経歴をたどり、どんな世俗的な成功を収めたか、それは暗示的にしか書かれてはいない。しかし年も降り13年ぶりに訪れた故郷では彼は受け入れられず、すんでのところで犯罪者として処遇されるところであった。そうしたイロニーも含めて過去のトラウマは、一画一字も変えず北欧の避暑地の広間に再現される。何一つマンの中ではあの問題は変わっていないのだ。

 功成り名を遂げた大作家としてのマンは、講演会などでもほの暗い会場の四周に視線をめぐらしたに違いない。碧眼のハンスや金髪のインゲの面影を求めて、いるはずの無い彼らの面影を求めて。しかし正確には、”正しき生活をするもの”はこの会場にいてはならなかったのだ。居てもらったらあの晩餐会の罪無き少尉殿のように、哀れにもマンの文学的虚構が壊されてしまうだろうから。
 
 功成り名を遂げた未来のノーベル賞作家としてのマンは色々と体裁の良いことを書いているが、芸術と人生の和解等というテーマは欺瞞であり、巧妙に仕組まれた文学青年の自己弁護の書というのがこの本に与えられる最大の褒め言葉であると思う。

 この本を最初に読んでからはや四十年以上が経過したが、いまさらながらにマンの文学の威力と、現代文学としての限界をともに思い知らされた。