アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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現代文学としての”トーニオ・グレーガー”・Ⅰ  アリアドネ・アーカイブス

現代文学としての”トーニオ・グレーガー”・Ⅰ
2011-07-24 12:06:57
テーマ:文学と思想

 このたびトーマス・マンの”トーニオ・グレーガー”を読み直して今更ながらに知的な小説とはこのようなものかと、感動を新たにした。内容が知的であると云う意味ではない。水晶のようにものごとと出来事との関連が計算し尽くされており、丁度音楽で云うライトモチーフのように、挿話の繰り返しや人物の登場や再登場の仕方までもが、隅々に渡るまで論理的に計量し尽くされている観が深い、と云う意味である。

 しかし読後の印象は、悔しいほど現実を捉えていない。”トーニオ・グレーガー”が一個のセンチメンタルジャーニーとして、あるいは文学的詠嘆の書として完結したことにおいて見失ったものもまた大きい。

 トーマス・マンは問題を、芸術家気質と市民的実直さ、あるいは北ドイツ的なプロテスタント的な厳格さとラテン的享楽的感性という和解しがたい気質の問題として解こうとしているかに見えるが果たしてそうか。むしろ個性の均一化が図られ、生産技術の効率化と工業化とが図られようとする第一次大戦前後の世界が被った世界観的な変容を単なる芸術家の感情的な物語に貶めてしまったとはいえないであろうか。古き良き時代に寄せる感傷的な傾向は”ベニスに死す”等でも踏襲されているようだ。

 トーニオ・グレーガー問題があるわけではない。むしろトーマス・マン的な問題があると云う風に考えるべきだろう。このあとヨーロッパ史はどのような展開を迎えたか。トーニオ=マンが徒な感傷に耽っている間に資本主義社会は二つの極致において政治体制における典型を生みだしつつあった。――すなわちファシズムとボルシェヴィズムである。

 作家としての感度の鈍さはこのあと彼自身に代償を支払わせることになる。常に古き良きヨーロッパの民主主義的伝統を標榜する彼であれば、こののちドイツで生じた事態の各局面において、じりじりと後退する苦渋に満ちた生き方の中に死滅しつつある人文主義の伝統の有終を彼自身が演じる羽目になるのであり、その挙句が国外脱出とアメリカへの亡命であった。この問題がマンに与えた傷の深さが致命的であった証拠に、戦後においてもなお文化人としてドイツに帰省することはあったが、人間としては帰ることなくスイスでその生涯を終えたことからもわかるように、戦後の無定形なお祭り騒ぎに参加することを潔しとしなかったことはせめても彼の古典人としての浄い矜持であった。

 そうした目で再びマンの”トーニオ・グレーゲル”を読んでみると、違った意味でまた哀れである。それはまっとうな市民的な倫理的美質と古典的な教養を備えたややローカルな作家が、自らの力を超える時代の渦に巻き込まれていく未来を、その兆候を知ることもなく過ごしたバルト海沿岸の古き良き感傷旅行のひとコマと、読めるのである。

 ”碧眼のハンスと金髪のインゲ”に代表する無害なドイツ市民階級の中から如何にしてあの狂える男を生みだしたのか。あの狂える男の日常的時間のひとコマひとコマは人間的ともいえる平凡さと凡庸さをあらわているのだが、システムとして彼自身の中から亡霊のように生み出され、やがて自律性を獲得していく政治システムと大衆と云う名の”かおなし”の群団はお恐るべき牙を彼自身に向けてむき出しにするのである。