アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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★保苅瑞穂 『プルースト・印象と隠喩』 プルーストとシャルダン アリアドネ・アーカイブス

★保苅瑞穂 『プルースト・印象と隠喩』 プルーストシャルダン
2013-01-29 14:29:26
テーマ:文学と思想

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・ 保苅瑞穂『プルースト・印象と隠喩』は画家シャルダンと、プルーストの文学技法としての隠喩に焦点を与えている。何れも新鮮で読みごたえがあった。特に、日本では認知度が高いとは云えないシャルダンについて、従来からプルーストの愛好家の世界ではシャルダンが話題になっていてずうっと気にかかっていたのが、この本を読んで彼が何であるかを了解でき深く納得した。
 シャルダンについては昨年丸の内のさる美術館で公開される予定であることは知っていたが、東京を行き帰りするうちに残念ながらこの千載一遇とも云える稀有の機会を失念してしまった。この本は、その穴埋めが出来たので本当に良かったと思う。また、こう云う本に巡り合えるのも幸運であったと思う。日本のプルースト学の研究水準に敬意を表したい。

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 「食器棚」と名付けられたシャルダンの絵である。庶民階級の宴が散会したあとの何げない食後の台所風景の中に、喧騒が一転して静寂に化した日常のしじまをシャルダンは「王冠のように」描いている。シャルダンにとっては、日常が聖なる祭壇であったことが、この絵を見ると良く分かるのである。手前のテーブルから落ちかかっているような牡蠣皿、この風景は何処かで観たようなと思ったら、セザンヌの有名な絵であった。
 二番目に紹介するのは壁につるされた赤エイがある風景である。これもまたシャルダン家の同じ台所なのだろう。手前に犬がいたものが今度は上から猫がふんわりと降りて来た感じに描いてある。

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・ プルーストはこれを聖なる祭壇と形容している。そう言えば、フランスのゴシック式教会の正面出口の凸型の出入り口に似ていなくもない。突拍子もない空想に近いと言われるかもしれないが、シャルダンの画架に向う姿勢が妙に納得させるのである。その理由は、後続の二枚を見れば納得いくだろう。

    

 それほど卓越した生き方でもなく、まずはほどほどの水準に生きた。画業もそれなりの一部に高い評価を受けた。そして老境に差し掛かって、世俗的な不運に加えて高齢から来る萎えた視力と体力に思わぬ時の神の贈り物が、それは油絵に代わる新技法、パステル画の技法が紹介されたのだが、そのクレヨンを塗るようなプリミティーヴな技法に託して、シャルダンは自分たち夫婦の晩年の自画像を、ひっそりとこの世の終わりに刻印した。
 この絵を見ると、感無量と云うか、思わず膝まづいてしまいたいほどの感動を与える。

 保苅は後段で隠喩について語っている。詳細は省くが、隠喩とはプルーストの詩法においては、離れた二つのものに類似のものを、つまり共振=コレスポンダンスを生じさせるものの謂いである。
 シャルダンに於いて言えば、皿に盛られた三角形の桃に「王冠」に擬え、腹を裂かれた赤エイの壁につるされた無残な風景に、深海と海の聖堂を予感させる、そうした通常は結びつき得ない事象の間に、有意な意味連関を見出す手法である。意味連関の落差は途方もないほど効果は高い。それが単なる勘違いや錯覚、空想や妄想でないのは、最初の台所を描いた二枚の絵には、一家の主婦がこの世に滞在した在りし日の台所の痕跡を、まるで今は失われた思い出をなぞるかのように、現在を過去の眼差しで描いたシャルダンの時間の遠近法、その敬虔な画法を支えた名もなきこの世を仮初として死んでいくものへの敬意にあったのである。

 それにしても何と云う恰好であろうか、病人ではあるまいし、それにしても飾らない夫妻の人柄。そんな老いたりとはいえ、こころのつんとした張りが、最後の二枚の肖像がには現れている。この変わらぬ普段着姿と見えるものは、もしかして旅姿ではないのか。わたしたちの目には粗末な寝間着姿と見えるものが夫妻にとっては最後の旅の晴れ姿であったのではないのか。
 夫妻の口元、特に老婆の口のまわりの含みに注目していただきたい。ここには清貧に生き死んだ者の威厳、そしてかりそめのこの世に滞在した在りし日の日々への感謝の気持ちが滲み出ていて、感動でわたしたちを打ちのめすのである。

 この書の最大の貢献は、様々に先行する芸術家との影響関係が云々されてきたプルーストの最大の影響関係にあったのは誰であったのかについて、ささやかな示唆を与えた点である。従来世紀末有産階級の華やかな絵巻物的世界を幻想的にかつ詠嘆的に描いたとされるプルーストの美学が、深くプロテスタント的とも云えるような静謐な倫理観に基づいていたことが明らかにされたのである。
 プルーストの美意識と倫理観は一体であったことをひとり読みえて想う。