アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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横歩きの人生、あるいは、批評と文学研究――あるロマン主義宣言 アリアドネ・アーカイブスより

横歩きの人生、あるいは、批評と文学研究――あるロマン主義宣言
2018-03-05 10:01:16
テーマ:文学と思想


 そう驚くべきことでもないのだが、田中優子さんの講演を聴いたり本を読んでいて、批評と云う言葉を久しぶりに聴いて感慨が深かった。
 田中さんが言うには、学生のころ、法政に入って良き友、良き師に恵まれて、自分は文学の研究ではなく、批評と云う分野を遣りたかったのだと始めて気が付いたと云うのですね。それでロラン・バルトなどの本も読んだし、最終的には石川淳にもめぐり逢うことになる、云々・・・・・・と。
 表題に「文学研究と批評」などと云う大きな題名を付けているが、さしたるほどのことを言いたいのではなく、やはり二十歳のころの自分を鑑みるに、同じ思いを抱いていたと云うことを思い出して感慨深いものがあります。
 その後のわたくしはと云えば、恵まれた環境からも見放されて土建業と云う、異邦人のような世界を放浪して文学などの分野もまた忘却してしまうわけです。ある程度の違いと云うことの差異があれば、ひとはその差異を落差のエネルギーと感じて、かえって鷗外・森林太郎のように二本立ての人生を旺盛に生きると云うことも可能ですが、それもある程度、と云うことが大事なので、わたくしのように途方もなく無関係な世界を生きるとなると、それは悲愴というよりもやや滑稽で、忘却や等閑視すると云うよりもある種の健忘症、何やら異邦人の世界に迷い込んだようで、却って敵対的な人生観や世界観をすら抱きかねないのです。若い頃は文学青年だったという輩はたいていこの類です。
 話しが例によって脇道に逸れましたが、わたくしの場合は批評と云うものの考え方を若き日の江藤淳や川村次郎と云う諸氏に学びました。思えばあの頃の日本の文学者たちと云うものは優秀だったと思います。彼らが優秀だったおかげで、変な言い方ですが、わたくし一人が戦列を離れても問題はなかったのです。しかしそれ以上に驚いたのは、四十年の時を隔てて旧世界との間に自分なりに仕切りを付けて、既知でもあれば旧知でもあると信じていた戦列に復帰してみると、既知や旧知のもの達やものごとは既に冥界や霊界に属する陳腐で珍奇なできごとであるのか、多くの親しみのあると信じた世界は浦島のように跡形も掻き消えて、それらの多くが物故者の葬儀の行列に降りつつあると云う、自分の想定や予想とはとはまるで無関係な、珍奇な、能天気とも云うべき楽天主義の文学観の出現と文学の植民地的状況とでも云うような、斬新でもあればユニークなSF的エーリアンな世界が現出していたのです!なんと!彼らには踏まえるべき過去がないのです!ちょうど影のない人影を見るような奇妙な文学観が走馬灯のようにめぐる戦後後期の原風景でした。それがわたくしが最後に見た、夢の無様な名残か無機質の残影のような、指で押せば突き通せそうな 無機質の紙芝居の残骸か残材のような、戦後と云う時代の終わりにみた珍奇にして不可解、実に不可思議な風景でした。わたくしに何ができたかと云うことではなく、少なくともかかる時代と親和的に同化することはないだろうと云う、憤怒のような予感の如きものが去来するのを、如何ともしがたく、放置し放置されるがまま、雲のようになられ去るがままに吹きさらしの状態にして放置しておりました。ただ微弱とは言え、なにか海底に降ろした錨の異音のように、戦闘意欲だけは旺盛でした。
 このことは言いますまい。本題に帰って、文学研究と批評の違いについて帰らなければなりません。文学研究とは何か、それについてはあえて説明は不要でしょう(大学の先生に聞けばよいことです。日本には「先生」という方々はごまんといます)。批評とは、論ずべき対象が最初からあると決めてかかる態度とは反対のものであるとだけ申し上げておきましょう。批評されるべき対象は最初からあるのではなく、批評と云う行為によって始めて存在し始めます。命が与えられ、批評と云う言説空間のなかで、芸術は芸術的な進化を遂げると云うことなのです。進歩や進化するのは我々ではなく、芸術作品のほうが我々の力をかりて完成域へと向かう、と云うのです。芸術が「芸術」になるのです。あるいは芸術もまた主格態として未完のプロジェクトを生きるわけですから、芸術にも命はあり死すこともあるのです。かかる意味では芸術と永遠性の概念の結びつきは、厳密には留保の条件を加味しなければならないでしょう。芸術もまた未完の人生を生き切るために、わたくしたちの手伝いが必要なのです。わたくしが優れた芸術作品についての言及を止めないと云う意味はこう云うことなのです。他方、政治の世界を胸壁の間から見定めながら、わたくしが愚かなアベセデのもの達の愚劣な言葉の文法と語用法に対して異議申し立てを行うのも、こういう意味からであるのです。
 かって上田秋成は、自らを醜い蟹の容姿に譬えましたが、前進も後退もせずに進退に窮したまま楽観も絶望もせずに、移動しながら構え、構えながら移動する、わたくしもまた横歩きの地平を這う視界ゼロの秋成的幻想的リアリズムの世界のなかで、言葉を武器として、言葉の泡を吹きだしながら生きていきます。